「なぜ攻撃しないとレビューひとつ書けないのか」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー Englishman in New Yorkさんの映画レビュー(感想・評価)
なぜ攻撃しないとレビューひとつ書けないのか
終盤10分あたりで観客をふるいにかけたような作風であった。物語の途中にも、このオチの前兆として、敵がメタっぽいことをしばしば言ってたけど、やっぱりいきなり流れが大きく変わったのはショックは大きかったように思う。
だが、奇をてらった表現方法は、やはり勇気が要るものだ。採用に至った監督や映画撮影陣の勇気を高く評価したい。彼らもまた勇者だ。
映画とは観客を欺き、裏切ることで面白くなることもある。様々な反発がでるのも納得できるが、アレは面白かった。まさかドラクエでこれをやるかー!というのが第一印象だったが、少し間をおいて再考すると、ドラクエでやるからこそ自然に受け入れるというスタンスも採れるのだと考え直した。
反発がでるのも納得と書いたが、物事には加減と言うものがある。
感情的に映画の顛末に反発する人たちは、怒りのあまり、映画を楽しめた人たちを攻撃的に扱い始めることがある。この手の連中は、見ていて気持ちのいいものではない。
この映画が不愉快だったという意見を言いたいがために、他人の意見を尊重せず、決めつけ貶めるなんて行為は、その何百倍も不愉快な行為ではないか?
映画のレビューを投稿する者として、ふさわしくない資質だと思う。
貶めたいのは映画だろう?楽しんだ人までも貶めないとレビューひとつとまともに書けないような愚か者に墜ちる必要はないだろう。
レビューの半分は面白半分でテンプレのように批判する人や、逆に批判する人を批判する擁護派。どちらも点数に納得がいかず、本来の評価に関係なく1と5の極端な引っ張り合い。でも、それってアマゾンをはじめ、評価を数字で投稿できるサイトの日常です。注目すべきは評価をしたり、レビューした数。ドラクエはそれだけ熱いファンがいるコンテンツだって事。「高評価の奴らは頭が悪い。」「高評価はサクラ」とか、「低評価は大人になれない子供」「低評価は民度が低い底辺」とか、実際に見られたレビューだけど、どっちもどっち。自分は議論のやりとりそのものが面白いと思って見てるし、酷過ぎるレビューが削除されてもなお、この平均点という事実だけが、確かな多数意見なよる評価って事で良いのでは?