「未プレイでも憤りを感じます」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー monmonさんの映画レビュー(感想・評価)
未プレイでも憤りを感じます
ドラクエというゲームを私はプレイしたことがありません。
一緒に観に行った相手も5は世代ではなく、思い入れは薄いです。
しかし、ドラクエというコンテンツのファンは恐らく監督が思う以上に多岐に渡って存在しています。
ゲーム未プレイでもタイトルは聞いたことがありますし、スライムの存在は知っているなど、ある程度の認識を持っている人が多いのです。
好きな作家が「俺はビアンカ派だった」と意気揚々と話すところを見たことがありますし、友人の年の離れた弟が小学校から帰ってくると「スライム大好き!」なんてはしゃいでゲームをする姿も見ています。
そして、大人になったいまも、ドラクエの新しいタイトルが出たら同僚の多くが発売日を楽しみにする情景があり、その後はどこまで進めたか和気藹々と話している姿を見てきました。
彼らがあんなに楽しそうにプレイしているゲームはどんな物語なんだろう?
ワクワクしながら前売り券を買い、初日に鑑賞しました。
結果、多くの批判と同じくラストがあまりに酷いと思いました。
ビアンカたちのテクスチャが剥がれ、主人公に向かって大人になれとウイルスが言うシーンはどんでん返しでもなんでもなく、不快感を与えただけでした。
上映が終わり明るくなった劇場内は恐ろしいほど静まり返っており、観客が一体となって暗澹とした空気に包まれたことだけは貴重な体験でした。
ただし、2度と体験したくありません。
お金を払ってまでして、大事な宝物を目の前で叩き壊され、侮辱されたファンの方々の心情を思うと胸が痛いです。
監督にそのつもりはなくても、観客が感じた答えがすべてだと思います。
ゲームに対してだけではなく、映画を含む創作物を素晴らしいと思う心そのものを傷つけられた気分です。
あっと驚かせる展開にしたかったのかもしれませんが、そういった力量も感じられませんでした。
監督が思いついたアイデアや台詞は使い古された既存のものです。
それを、ご本人はナイスアイデアだと思っているのであろうインタビューを拝見して愕然としました。
寸前までこの仕掛けに気付かなかった人が大半でしょうが、それは監督による手腕ではなく、まさか今更こんなオチを、こんな醜い形でやる者はいないと思っていたからでしょう。
これだけ有名な作品ですからゲーム未プレイの私にも先行知識はある程度あったので、散りばめられた違和感の伏線は膨大なプレイ時間のドラクエ5を一本の映画にするためには仕方のない表現なのだと良心をもって目を瞑りました。
結果的にそういった多くの善良なファンを騙し討ちしてしまったことも、ここまでの酷評を生み出したと思います。
その後のフォローも、あの短時間で浅い台詞では不十分です。
むしろ、傷つけた者自身が被害者を癒し操ろうとするモラハラのような薄ら寒さを感じました。
また、近年はゲームの実況が流行っており、この映画も他人の実況中継に過ぎなかったという意味でも時代遅れでしたし、サブタイトルの「ユア・ストーリー」のアンサーにもなっていません。
ゲームのドラクエ5経験者から言わせれば「こんなの私の物語ではない!」と拒否反応が出ても致し方ないことです。
やるなら最初からVRだとわかる形で進めていき、ゲームのキャラクターだとわかった上でビアンカたちに親しみがわいてくるような展開にしなければならなかったと思います。
今回の場合は物語が終わる寸前にビアンカたちは作り物だと冷や水をかけられたので、その後たとえ姿形だけは元に戻ったとしても、観客の失った愛着までは元に戻りませんでした。
映像だけはきれいでしたが、監督は目に見えるもの以外のものも見えるようになってほしいです。
親子三代による物語というのはありがちな勇者物ではなく良かったですが、これに関しては原作=ゲームのシナリオですよね?
前述ではVRにするのならとコメントしましたが、主人公は主人公だけど勇者ではなく、その息子が勇者という展開も感動的なのだから、へんなオチなど考えずに作れば良かったのでは?
小説やコミックを映画化した場合、これは実は作り物です!現実に戻りましょう!なんてしないですよね?
なぜゲームもそういった創作物のひとつの物語として向き合えなかったのでしょうか。
また、映像は良かったと言いましたが、ゲーム未プレイのせいか全編を通していまいち感情移入できませんでした。
やはり、幼少期を飛ばしすぎたと思います。
上映時間の問題上、省略するのは仕方ありませんが、幼少期のビアンカとの絆だけはもっとうまく見せてほしかったです。
初見のせいか、嫁選びの場面で、あれ? ビアンカと幼なじみって聞いたことあるけどフローラとのほうが仲良し? フローラとのほうがいい感じじゃない? と混乱しましたし、フローラにプロポーズした翌日にはフローラとの縁談を破棄してビアンカを選び、よりによってフローラが住む町でビアンカにプロポーズする主人公はろくでもない男に見えました。
そのデリカシーのなさに気付かないあたりに、ラストに最大級のデリカシーのなさをやってしまう所以があるのでしょう。
また、フローラが独自に動いて主人公とビアンカのお膳立てをしてあげることは、ゲームのキャラクターに過ぎないというオチに反したストーリーなので、いっそフローラをウイルスに対抗するすべがある設定にしたら良かったのでは? という気もします。
せめて、最初からGCも何もかも出来の悪い映画だったら残念感はあってもこんなものかとファンの方々の傷も浅いもので済んだかもしれないですね。
職場ではいまもこの話題で持ちきりです。
もう大人に成長しているファンは自分自身で心の整理をつけられるが、夏休み上映にしておいて子供たちが傷付くような騙し討ちを用意しているなんてあんまりだ、と。
私はこの監督のことを監督としてではなく、人間として軽蔑しました。
子供を含む多くの人を傷付けた作品としては、つまらない映画よりもたちが悪いので、たとえ部分的にはスタッフの頑張りを感じたとしても申し訳ありませんが星0,5です。
おっしゃる通り、幼少期は端折られすぎでした。
ゲームのプレイ時間を考えても初めてならば5時間以上かかりそうな幼少期。
とくにビアンカとの冒険は懐かしい記憶として、また幼馴染として、嫁選びにビアンカを選ぶように仕組まれてたはずなのに、まったく必然性が感じられませんでしたよね(笑)
ラスト15分までは90点と言ってる方も多い中、俺はラスト15分までも全く面白くなかったのでウィルスが出てきてもショックは大きくありませんでした。ただ、会場の静まり返った空気はずっと記憶に残りそうです。