「ドラゴンクエストとしてあるべき姿のひとつ」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー あっぽこさんの映画レビュー(感想・評価)
ドラゴンクエストとしてあるべき姿のひとつ
ドラゴンクエスト5は何度かプレイ済み。ネットのネタバレ感想を一通り読んだうえで映画館で鑑賞しました。個人的には、全編を3DCGで構築したアクションファンタジーものとして存分に楽しむことができました。ただしラストの展開に必然性がなかったので☆4としました。
以下、ネットで見受けられる批判に対する、当方の分析を記載させて頂きます。
批判1:ドラゴンクエスト5(以下、原作)と設定や展開が違う。
批判2:ラスト15分がメタ視点で展開する。
上記について、各々理由を推測しました。
〇批判1:本編と設定や展開が違う。
⇒あらすじを下記します。
「(冒頭、SFC実機の画面。幼少期がダイジェスト的に流れる)父親をゲマに殺された主人公のリュカは、ゲマに捕らえられ、大神殿で奴隷として10年間働かされる。何とか脱出して故郷のサンタローズに戻り、父の敵を討ち母を探すことを目的に旅に出る。紆余曲折を経てサラボナでブオーンを倒し、ビアンカと結婚したリュカ。サンタローズで新婚生活を送るなか子宝に恵まれるが、夫婦ともども石にされてしまう。8年後、石化を解いてもらった子供はなんと息子のアルスだった。リュカと仲間たちは大神殿の麓にいたマスタードラゴンの背に乗り、ゲマを打倒すべく頂上へ向かう」
上記を概ね2時間程度で進行します。原作をプレイした方にとっては自明ですが、原作のストーリーが大幅に改変されています。本作が、原作をなぞったものであろう、という期待を込めて見に行った方は、この点に対して拒否反応が現れます。細かい具体例を挙げるとキリがないので、割愛。個人的には以下のような事情があったのでは、と推測しています。
〇分析1:本作は海外に対するドラゴンクエストの売り込みを意図している。
⇒本作のコンセプトは、全編を3DCGで構築したアクションファンタジーです。映画館で鑑賞したところ「ドラゴンクエストの世界観に準じた戦闘手段で、キャラが画面狭しと大暴れする」点を楽しんでもらおうために作られたのではないかと感じました。ディズニーを思わせる人物造形、非常に丁寧に描き込まれた背景、ヌルヌルしたアクション、過剰な表情、ノリの軽いキャラ。これらは、海外の同様の作品に倣っており、明らかに海外の観客を意識した作りとなっています。日本以外で売り上げの芳しくないドラクエを、海外へ売り込もうという方針が垣間見えます。原作を再現するとしたら3部作になることは免れないであろう、壮大な原作のストーリーを、「2時間で完結する冒険活劇」としてまとめたにしては、よく頑張った方ではないかと考えています。
〇批判2:ラスト15分がメタ視点で展開する。
⇒あらすじを下記します。
「ようやくゲマを打倒したものの、唐突にリュカ以外の時間が停止し、ウイルスと名乗る異星人のような生物が現れる。ウイルスは世界からテクスチャーをはぎとり、各種の効果処理をOFFにすることで、この世界がゲームであることを示す。実は、リュカはVRに興じている現実の人間であり、それ以外のすべてはゲームの設定であり、ストーリーも作られたものだった。『所詮ゲームだろ。大人になれ』と諭すウイルスに対して、『ゲームはもう一つの現実だ!』と反抗するリュカ。」
正直なところ予備知識がなかったら驚きましたが、知っていたので少し笑えました。これも以下の事情が原因と考えています。
〇分析2:ドラゴンクエストの主人公はプレイヤーであり、公式のキャラが設定されていない。
⇒ドラクエを映像化するに辺り、最大の障壁となる点です。ドラクエの主人公に公式絵は存在しますが、ゲーム内では一切喋りません。周囲の言動から、プレイヤーが自由に想像するべく、設計されています。これはゲームや小説の世界では成立しえるレトリックですが漫画やアニメ、映画は話が違います。映像化に際し主人公にキャラを付けざるを得ませんが、なにせプレイヤーが自由に想像しているものですから、その最大公約数的なキャラ像から外れてしまった場合、原作ファンの支持を得られ難くなります。従って、ドラクエの名を借りた作品のほとんどは、狭い層をターゲットとした二次創作にならざるを得ないのです。例えば、「ダイの大冒険」は「ドラクエの世界観を借りた別世界のお話」、「ロトの紋章」は「異なる時代の話」ということで、ナンバリングタイトルの映像化を避けています。
さて、ドラクエのナンバリングタイトルを真正面から映像化し、かつ広い層(しかも海外の観客を含めた!)をターゲットとしたい場合、いくつか手法が考えられますが、本作はそのうちのひとつ「主人公は、実は現実の人間=観客たる貴方だった」を選んだようです。言葉を選ばず表現すると「そっちいっちゃったかー」という感じですが、ドラクエ本来のコンセプト「主人公=プレイヤー」である点を考慮すると違和感がありませんでした。また、あらすじに記載したように「ゲームで過ごした時間も、自分たちにとっては掛け替えのない現実である」と主人公が訴えています。擁護した言い方をすると監督はじめスタッフの作家性が強く現れている点になります。このメッセージをきちんと受け取れていれば、「この映画も数ある二次創作の一つに過ぎない。本当に大切な、ゲームをプレイしたときの思い出は、自分たちの心の中にある」と気づくことができるのではないか、と思います。