「今世紀最低な映画」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー サカさんの映画レビュー(感想・評価)
今世紀最低な映画
レビューを書く為に思い出すのも憚られる程、最低の映画でした
オチは文句無しに最悪。
ただしその最悪のオチを抜いても、映画の出来としては最低ランクです。
数々の意味の無い、心無い、センスの無い改変や設定削除のせいで、ファン映画としても最低ランクです。
褒められる場所が何一つ見つかりません。
【オチについて】
既に有名になったとは思いますが、この作品、最後の最後で舞台がVRゲームの世界だと唐突にバラされます。特に理由も脈絡も無く、唐突にです。
敵が突然「私はウィルスだ」と威張り、観客を置いてきぼりにします。
そして「これでどうだ理解しろ」と言わんばかりにキャラ達のテクスチャが剥がされ、物をすり抜け、飛ばされて行きます。
確かに度肝は抜かれました。しかし、それだけです。
創作においての「期待への裏切り」というのは、自由な様に見えて厳格なルールが設けられています。
それは、「裏切りが物語を進める重要な要素でないといけない」「裏切りが最後に一つ以上のメッセージを残さないといけない」という事です。
名作と名高い作品には大抵、期待への裏切りが存在します。そういった作品は、裏切りによって物語へ一気に引き込み、悲壮感、あるいはヒロイズム、あるいは疾走感を増幅し、物語を先へ先へと進めるエネルギーとしている訳です。そして、その裏切りから産まれたカタルシスを観客が抱きしめた結果、作品に込められたメッセージとなるのです、
しかしこの映画はどうでしょうか。
VRであるという裏切りは、物語において何の意味も持ちません。ウィルスを作った黒幕を倒す訳でも無いし、ウィルス製作者が現実世界の破壊を目論む訳でも無いし、VRだと分かった後で物語が動き出す訳でもありません。そこには何のメッセージも存在しないのです。
つまり、この裏切りは監督の「ショックを受けさせてやろう」という悪意のみによって作られた構成であり、観客を害する以外の目的が無いのです。
最低の裏切り方であると言えるでしょう。
VRオチにするならば、ドラクエ5を題材にする必要は無かった。
何なら、VRというオチである必要すらなかった。
「Aという世界はBという上位世界が存在し、Aに住むCはBを倒す」という構図であれば何でも良い訳です。
因みにこの構図は数百年以上も昔から存在する、ベタなオチです。
そんな使い古されたオチを、さも「天才的なアイデアを思いついた」と披露される所がまた、不快になる一要素でもあります。
【出来について】
映画としての出来もお世辞には良いと言えません。
幼少期はダイジェストにすらなっていないゲーム画面の継ぎ接ぎ。
青年期は何が何だか分からない程目まぐるしく進んで行きます。
ろくな心理描写も無いので、感情移入は全くできません。
話も繋がっていない為、オムニバス映画の早送りを無理矢理見させられている様な感じでした。
そうやって疲れ果てた所に、前述の悪魔のオチですから、観客のダメージは計り知れません。
ドラクエ5という大作を100分に収める訳ですから駆け足になるのは仕方ないと言う方もいらっしゃいますが、それを収めるのがプロです。
幾らでも見せ方はあった筈です。
それが出来なかったのがこの監督の能力の限界なのでしょう。
単純な映画としてもC級作品です。
【ドラクエ5の2次創作として】
この映画、原作からの改変要素が非常に多く存在します。
多少の改変や設定追加は仕方ないとは思いますが、この映画は絶対に変えてはならない部分を変え、絶対に消してはならないものを消しています。
主人公の母の出身地は丸ごと削除、グランバニアの描写、ヘンリーは改心せず嫌な奴のまま、主人公の娘は存在ごと削除、
ビアンカは父親の介護をする良妻賢母の慎ましい美人からサバサバ系KYの大魔導士に...etc
それはそれはもう書ききれないほど、不要な改変や削除がされまくっています。
また、それ以外にも天空3部作なのにロトの剣が登場したり、ドラクエ5以外の曲が流れたりする為、ドラクエ5のファンの神経は逆撫でされ続ける事になります。
監督はドラクエ5を未プレイだそうです。
「この程度どうでも良いだろう」と思って作られたのでしょうが、懐かしさに浸りたいゲーマーにとっては、「その程度」が重要なのです。
この映画はゲーマーに寄り添うどころか、何一つ理解せず、一歩も歩み寄らない作品です。
特に、ドラクエ5を楽しくプレイした方には視聴を勧めません。悲しい気持ちにしかならないでしょう。