「壮大な実験だったと妄想してみる」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー SAライブラリさんの映画レビュー(感想・評価)
壮大な実験だったと妄想してみる
純粋によくできた映画で感動できるし、人にオススメしても問題ない映画だと思ったというのが私の正直な感想である。
しかし、上記の感想は、私がドラクエについて簡単にしか知らない状態で視聴したからにすぎない。
この映画は、原作のドラクエVをよく知っていれば知っているほど評価が低くなる傾向にあるようだ。いくつかのレビューサイトを巡回することで、ドラクエVファンにはオススメしないようにしようと考えを変更するに至った。
これは陰謀論の域を出ないが、ある仮説にたどり着いた。以下に、映画に込められたメッセージと当サイトに寄せられたレビューの内容を見て妄想したことを記載する。
<この映画は実験>
この映画は、ラスト10分程度に巨大な実験を兼ねているのだと思う。
<実験で証明されるもの>
では、なにを調べる実験か?
『日本人はすぐ排他的になる』ということ。
もっと詳しく言うならば、
『現代人は、戦時中の極右政権時からなにも成長していない。自分の大切なものを脅かされるたちまちと結託し、大政翼賛会よろしく、非論理的かつ排他的かつ全体主義的な素質を発現する』ということの証明ではないかと思う。
<実験の目的>
作品を通して、そのような『非論理的かつ排他的かつ全体主義的』になる人間たちを露見させ、彼らの荒れ狂う言動を見て、自分の思考回路を見なおすきっかけとすることが真の目的なのではないだろうか。
<原作ドラクエVの立ち位置>
ドラクエVは、その実験のエサに使われたと認識した方がいい。
<なぜエサだなどと思ったのか?>
1)監督は戦争嫌い
なにせこの映画、監督のうちの一人は「アルキメデスの大戦」を見事に映画化しきった実績のある御仁だ。アルキメデスの大戦は戦艦大和の戦艦建造フィクションであるが、厭戦的なメッセージ性が強い。つまり、攻撃的な戦艦という題材を使いながら、厭戦的な雰囲気の作品を描くことに嫌悪感を抱かない、兵器の魔力に引きずられない、真の意味で戦争嫌い=平和を愛せる監督であると推測できる。
2)監督の目に映る現代日本
それでは、平和を愛し、厭戦的な考え方に理解のある監督にとっては、現代日本はどう映っているか?昨今では、ニュースでなにか炎上事件がおこるたびに取り巻きが正義をかたり、ほのおの中にいる人間や、彼らを擁護する人間にまでも正義の鉄槌と称したバッシングを繰り返す「非論理的かつ排他的かつ全体主義的な素質」の発現があちこちで起こっている。
これは、監督にとってはかつて日本が陥ったファシズムと被って見えたことだろう。
3)監督が手に入れたい実績
もしもこのような症状の発現を意図的に、国家的な規模で、それも日本人が最も平和について再認識するために時間を割く、8月の半ばごろをピークに自分の作品の中で発現させるとどうなるか?
一見すると平和そうな日本人だが、いかにその多くがトチ狂った素質をもっているかを日本中で上映する自分の作品の中で証明して見せ、社会現象として記録される・・・それは、彼の映画監督としての伝説的な実績となる。
4)監督にとってドラクエはエサにできる
インタビューからも、ドラクエの映画化はアルキメデスの大戦よりも優先度が低いものとして受け取られる描写があった。
彼はドラクエにそこまで思い入れはない。だからこそ自由にいじれる。そして、ご存じの通りドラクエは国民的人気を誇るコンテンツだ。彼が実験のエサに使うには、ドラクエはまたとない最高の素材だったのだ。
<実験方法>
では、どのように発現実験を行ったか。
今や大人から子供までこよなくゲームで遊ぶ時代だというのに、時代錯誤の毒親のような説教をたれる敵を物語終盤に登場させた。それも、原作が国民的人気のゲームコンテンツであるにもかかわらず、原作にはないオリジナル要素として、登場させたのである。
<発現の工程観察>
このシーンを通して、ドラクエファンは総じて最後の10分にかけられた監督の魔法で混乱し、静かに怒り、帰路で発狂し、暴力的な書き込みを始める。
<実験の進捗>
この実験は今のところ見事に成功している。
ここといくつかのレビューサイト、ブログ、ツイッター、5chの書き込みが、なによりの報告書となろう。
引きこもりが大切なゲーム時間を邪魔をされて親にぶち切れるがごとく、極めて酷似した内容のブチギレレビューで、ネットの海は不平不満にあふれ返っている。
彼らのうちの何割かは、映画をよかったと言おうものなら「映画関係者め!」「工作だ!」というコメントを寄越す始末。
これは、大政翼賛会が気に入らない相手に対して「非国民め!」と言い懲らしめるのと何が違うのか?
どちらも「こだわり」「理想」「愛」などが醜く歪み、視野と包容力が狭まり、狂っているのだ。
また、自分たちが多数派となったことで自分たちを制止しようと咎める者にまで襲い掛かるようになった。民主主義の暴走である。
これこそが、監督が見せしめたかった醜い日本人像なのではないだろうか。
そこであのメッセージだ。・・・「大人になれ。」
監督は、ここまで予測してこの実験とあのメッセージを映画に込めたのではないだろうか。
そして少しでも多くの日本人の中から、荒れ狂う彼らを客観的に見て、我がフリを直そうとする者が出てくれれば・・・!と願ったのではないだろうか。
<結論>
国を愛すること、自分の思い出を大切にすることは良いことだが、その思いはみんな同じものではない。そういった強い想いをおびやかされた時、人は感情的に反発する。そこまではいい。しかし、自分の怒りを愛のせいにして、別の人に押し付けてはいけない。
他人の庭にまでズカズカ入り込んでわめき散らしている連中は早く気づこう。その行為は、戦前日本の国粋主義者と似通ったものすごく凶悪な素質をはらんでいる。
<あくまで妄想だからね>
これは私の妄想による仮説にすぎないが、もしもこの映画のオリジナル要素がホントにそんな意図に基づくものであったのなら面白いと思う。
監督は邦画の歴史上、どの映画監督でもなしえなかったような実績を手に入れたに等しい。