「誠意・敬意・熱意のない映画」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 無明長夜さんの映画レビュー(感想・評価)
誠意・敬意・熱意のない映画
低評価の理由としてラストシーンを挙げる方がとても多いので、その点は触れません。もちろん、あの展開は脱力するほどダメでした(ドラクエ作品にあんな手垢のついた古臭いネタを工夫もなくオチとして持ってきた、という事も脱力ですが、そもそもあの展開へ持っていく流れ、伏線、構成もうまくないため純粋にヘタクソだなと思います)
それ以前のシーンは良かったのに、という方もいるのですが、私はそれまでも普通に「ヘタクソだな」と感じました。ドラクエ5が何故今も多くの人に愛されているのか、その肝を真剣に考えたようにはとても感じられませんでした。
特に嫌悪感を感じてしまったのが、この作品の山場であった、結婚シーン・ブオーン戦です。
結婚エピソードについては(ゲームプレイ時には私はビアンカを選んでいましたが)、今回のストーリーであればどちらでも特に違和感はありませんでした。少年期がカットされているため、ビアンカとの交流も劇中では描かれず、どちらに対する思い入れも大差なく結婚シーンを迎えるためです。むしろ、主人公と再会した時に素直に喜びを表現している点、ルドマンの「(主人公が)死んだと聞いてとても悲しんでいた」という言葉を考慮するとフローラを選んでほしいと思っていました。
しかし結果は、「フローラを一度選んで、やっぱりやめてビアンカを選ぶ」という、「どちらかしか選べない究極の選択」に対するとても雑な第三の回答でした。
もちろんこの展開も、描写がうまければあり得ると思います。しかし主人公は「あれだけプロポーズで喜ばせておきながら」「その日の夜には思い直し」「本人ではなくルドマンにだけそれを伝え(本人に言うつもりで行ったらルドマンに会って先に話してしまって、という展開だったのかもしれませんが、描写がない点に対する想像によるフォローは無意味だと思うのでやはり「せめて本人にちゃんと伝えよう」という描写がないのは不誠実に見えます)」「ルドマンが悪者になってまでフローラにこの話が伝わらないようにしたにも関わらずよりによって町の酒場で、公衆の面前でビアンカにプロポーズをする」という、信じられない行動を取ります。これ、いい話でしょうか?私は主人公とビアンカを祝福する気持ちには全くなれませんでした。
フローラが実は主人公の本心に気づいて後押しした、という描写がありますが、主人公視点ではそんな事知らないのでフォローにもなっていません。主人公の不誠実さに対して、フローラの健気さが際立つだけです。
さらに言うなら、ラストのあの展開を考えると、単なるNPCでしかないフローラが何故「自己暗示プログラムを解除できるアイテムを持っていたのか」など、行動面にも大いに疑問が残ります。
次に、ブオーン戦。なかなか迫力のある絵も多く、戦闘は良かったと思います。ブオーンの巨大感・強大さはよく再現されていました。
しかしそのラスト。ブオーンを仲間にするくだり。主人公はブオーンの弱点である額の目に剣をつきつけ、「死ぬか従うか選べ」と告げます。ブオーンは「死にたくはねぇ」と言って従います。これ、単に命をネタに脅迫しただけです。ドラクエ5における「モンスターが仲間になるシステム」をこういう意味と解釈したのでしょうか?
ドラクエ5はシリーズ作品で初の、「主人公が(少なくとも狭義の)勇者ではない」物語でした。しかし彼は(勇者の手を借りながらとはいえ)世界を救います。これは4までの「選ばれし勇者が世界を救う」という物語とは全く意味が違ってくると思います。
三代にわたる親子の物語、結婚システムも含めた家族の物語という視点で語られることが多い5ですが、私はその本質は「それらも含め、さらにモンスターとも心を通わせる事ができる主人公」による絆の物語だと考えています。彼は強く公平で優しい心を持っていて、それゆえに「田舎の村娘であるビアンカ」と「都会の金持ちの令嬢であるフローラ」を公平に見つめることができます。あるいは、「王子であるヘンリー」とも友達になれるし、「他の人には見えない妖精」とも「人間を襲うモンスター」とも、心を通わせることができます。そういう彼だからこそ、多くの存在が力を貸してくれて、悪を打倒できる。「選ばれし勇者」でない彼も、強く優しい心で悪と闘える。それこそが私がこのゲームから受け取った最大のセージでした。
しかしこの映画の主人公は、モンスターを脅迫することで味方にします。そもそも劇中でモンスターは三体しか仲間にならず、そのうちのスライムは実は純然たるモンスターではありません(そしてキラーパンサーはおそらく原作エピソードを消化するために選ばれたものではないかと思います)。数少なく、かつおそらく唯一意図的に選ばれたモンスターであるブオーンは、脅迫により仲間になる。主人公の優しさを感じることは出来ませんでした。
もちろん、この「主人公」はプレイヤーでしかありません。彼の行動はすべて、「私たちが好きだったドラクエ5の主人公」の行動ではありません。しかし彼は劇中で唯一登場する「すべてのドラクエ5プレイヤーの代表者」です(ユアストーリー、と銘打つ以上その意図は明白でしょう)。その彼に、こうした行動を取らせる意味を考えなかったのでしょうか。それともこれらもすべて、「ドラクエ5の主人公であればこんな行動はとらない」という違和感をもたせることでラストへの伏線とする意図があったのでしょうか。だとしたら何重にも不快な描写で、私はそれを「うまい」とは到底思えません。
他にも挙げたらキリがありませんが、ドラクエ5という物語の魅力をよく吟味し検討して描かれた作品とは、私にはどうしても思えません。
とても残念でならない。わかりやすい盛り上げどころ(戦闘シーンなど)はさておき、本質的に気持ちを盛り上げていく流れは観客の「ドラクエをプレイした時の感動・思い出による補完」に任せている。そんな中でも良い所を感じ取り、受け止め、ラストシーンに向けて惹きつけた観客を最後に突き落とす。
私はこの映画から、原作やファン、観客に対する誠意・敬意・熱意は感じられませんでした。
※小説版ドラゴンクエストⅤの作者である久美沙織先生から提訴されている件に対しては、せめて誠実に対応される事を切に望みます。
モノ作りに未成熟な人間が自画自賛に浸ると最悪なモノが出来上がる。こんな監督が何故か賞を貰ってる。世の中の仕組みが信じられなくなりますね。個人的には抜粋エピソードとして濃密な正統派ファンタジーにした方が余程真っ当な評価になったと思います。例えば父と子の絆をテーマに芯のある冒険譚にするとか。手堅く作ることが勝利への近道である事を知らない(知ろうとしない)愚者なのでしょう。山崎貴って。
結婚エピソードは私も全く同じ事を感じました。
テレビを買うような感じで安直に結婚相手を決める主人公。
しかも申し込みしておきながら、本人ではなく第三者経由で簡単にキャンセル。
ルドマンが気を遣って秘密にしておいたのに、酒場で平然と経緯を話し、さらに結婚キャンセルした日に公衆の面前でプロポーズする主人公のデリカシーの無さ。
この監督には人生経験や想像力が足りないのではないかと思います。