「<ネタバレ注意!>賛否両論が気になり、見に行きました。」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー japonesia do:さんの映画レビュー(感想・評価)
<ネタバレ注意!>賛否両論が気になり、見に行きました。
おそらくここまでの賛否両論が巻き起こってなかったら、また他レビューのネタバレ感想によりラストの展開を先に知っていなかったら、わざわざ映画館にまで足を運んで観にいくことはなかったと思います。
NHKのドラクエ30周年特別番組で、山田孝之さんとの対談で、堀井雄二さんが仰っておられた「人生はロールプレイング」「自分の人生の主役は自分」という言葉に自分は少なからず心を動かされ、感銘を受けていました。伝え聞く映画ラストの展開はまさにそういったメッセージ性を含んだものと思われたので、いったい何が観客の酷評を生み出している原因なのか、あるサイトのレビューのようにラスト展開のアイデア自体はまだ許容できるものの具体的な描写の次元で雑だったのがよくなかったのか、自分の目で確かめたくなったのです。
昨日、実際に映画を観てきましたが、自分は観てよかったと思いました。すこし前に読んだ週刊ファミ通で、レベルファイブ日野晃博さんとの対談で堀井雄二さんが「ゲーム文化がここまで社会から認められるまではいろいろな【批判や無理解】があった」ということを述べておられました。ラストの展開は、そういったゲーム文化を軽んじる風潮・圧力に対して、クリエイターやプレイヤーが汗と涙を投入してきた体験・営為の長年の結晶により、それらを押し返す内容になっていたと思います。いきなり山寺宏一さんの声なって、とってつけたようなスラリンの「役割」でしたが、あそこに堀井雄二さん・すぎやまこういち先生の声が代弁されているように感じました。自分がこの映画から受け取ったのは、<長い間、ドラクエ・ゲーム文化を愛してくれてありがとう。これからのゲーム文化は若い世代に任せた、頼む!>というものでした。堀井さん・鳥山明さん・すぎやまこういち先生が、すぐにではないかもしれないけれど、確実のドラクエ創作・ゲーム文化の第一線から退いていかれるのだな、という雰囲気が醸し出されていましたが…。一方で、若い世代や新しい技術や新しいアイデアが生み出される未来に、夢や希望を託していきたいという希望も込められていました。ドラクエは、いまの日本の学校では教えてくれないことを教えてくれました。そのことには、ほんとうに感謝しています。ありがとう。
ただ…、自分はたまたまネタバレレビューでラストの展開を知ってから行ったので心の準備ができていたのでよかったですが、純粋にドラクエⅤのCGアニメ映画化だと受け取って楽しみに映画館に足を運んだ人にとっては、宣伝の内容と実際の内容に落差がありすぎて、騙すような営業方法だと感じても仕方ない部分もあると思います。これは自分の仮説ですが、この映画はもともとドラクエ30周年イベントと連動するように企画されたものだったのではないでしょうか。2017年は、ドラクエ総決算的な告知やイベントが多くなされ、ドラクエⅪも発売、NHKでの特集番組も放送されました。その一連の動き中で、この映画の宣伝がありこの結末だったら、もう少し皆の受け取り方も違ったかもしれません。そこは制作が長引いてしまったために生じてしまった齟齬だったかもしれません、あくまで自分の仮説ですが。そのように好意的にみても、実際に発売されたドラクエシリーズの1本にしか見えないスーパーファミコンのソフトを登場させたのは、よくなかったと思いました。思い入れが強い人の中には、傷つく人もいると思います。
ゲーム文化の最大の意味は「インタラクション」にあり、ゲームのストーリーをそのままただ3DCGアニメにしたとしたら、ドラクエがゲームである必然性がなくなってしまうという問題もあり、どちらにしても映画化するもが難しいテーマだったと思います。普段は映画のレビューなどしませんが、感想を公開することで、この映画が投げかけてくれた問題に、意見を投げ返す責任があると感じて、書きました。因みに、自分はドラクエⅠ~Ⅳをリアルタイムでプレイした40代のおじさんですが、2016年のドラクエビルダーズからゲーム復帰し、いまニーアオートマタと隻狼を交互に周回プレイしているゲーマーです。
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