「ドラクエである必要がない」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー Takさんの映画レビュー(感想・評価)
ドラクエである必要がない
SFC版は世代ではありませんがドラクエ5はPS2版、DS版をプレイしました。
現在11まで発売しているシリーズの中でも1番大好きで思い入れのある作品です。
SNSでもちらほら危なげな雰囲気は感じてはいたものの好きなゲームの映像化とあればたとえ俳優を声優に起用していても、鳥山先生の絵でなくともファンとしては気になるのが当たり前です。内容は想像を絶する程に酷いものでしたが。
こちらの記憶が間違ってるのかと錯覚する程の改変に次ぐ改変、ガバガバな設定。
全てをぶち壊すラスト。
DQ5が好きな人間が幼少時代を全部カットして
プレイするんですかね。
ビアンカと共に過ごした幼少期をカットしておいて「何でも言い合える相手が〜」とかどの口が言うんですか。
個人的に一番許せなかったのが“アレ”が自らを「ミルドラース」と名乗りエンドロールにも「ミルドラース」と記載されていた事です。ただのマネキンじゃねーか。
「ゲーム好きな奴らはこうやってゲームって素晴らしい!ってやれば喜ぶんだろ?」って思考が丸見えです。オタクに媚びるために適当なコスプレする国会議員と同じ思考回路。薄っぺらい。
「山崎貴監督だから」ではなく「DQⅤの映画だから」見に行った人間たちにアレを見せようとする魂胆が到底理解出来ません。
というかドラクエでもFFでもポケモンでもなんだって良かったしドラクエである意味が無い。
監督がああいったメッセージを世に発信したいというのは勿論自由だと思います。しかしそうであれば0からご自分で話を作れば済む話であって他人の褌で相撲を取らせてもらっておいてやる事では無い。
口直しにDQⅤをやり直そうと思います。
「山崎貴」しっかりと名前を覚えておきます。一生忘れません。
このオチならゲームであれば何でもよくRPGである必要すらないですよね。
個人的にはどうしてもネームバリューのあるタイトルを原案に使いたいなら、マリオを使えばよかったんじゃないかな~と思いました。
マリオなら重要な構成要素が
ピーチさらわれる
マリオ救出の冒険に出発
クッパを倒す
ピーチを助けてエンディング
くらいしかないので尺が短くて済みますし、
余った尺を使って現実世界とゲーム世界の絡みをうまく描けば
あのオチで感動できるように作れたんじゃないかなって思いました。