「冷静になるまで3日もかかってしまいました」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー kikkoさんの映画レビュー(感想・評価)
冷静になるまで3日もかかってしまいました
鑑賞してから冷静になるまで日数を要しました。
もうすでにたくさんの批評が出ている中で、わざわざネタバレを含むレビューを書く必要もないかなと思ったのですが、結末を踏まえてもどうしても納得がいかない点が多いので書くことにします。
まず誤解を招かないために記述しておきます。
30代女性です。
DQは父の影響で幼少期から馴染みがあり、それから30年超、ずっと大好きなシリーズです。
とりわけ、今作品の原案であるDQ5は特別に好きで、SFC版はもちろん、リメイクや移植されるたびにプレイしています。
また、今作品の総監督が手がけた「鎌倉ものがたり」が大好きです。
今回の映画でも、CGアニメーション技術や声を演じられた役者の皆さんの演技など、技術の面で私個人としては高評価でした。
好みが分かれますが漫画的な表現もアニメーションだからできるもので唯一無二ですし、そこは高く評価したいです。
大前提として、この作品はDQ5を「原案」とした、DQのみならずゲームを愛する全ての人へ向けたメッセージが込められているものです。
最後をにおわせる伏線も、それまでに感じる違和感も、全て「オチ」を見れば説明できるものですよね。
その説明を理解しても、何故こんなに多くの人が納得できないのか。
考えてみたのですが、やはり本作の主人公(ゲームプレイヤー)とVRゲームの表現と、自分と自分がプレイしてきたDQ5の乖離が激しいという点に尽きるかと思います。
具体的に書きますね。
・DQ5が大好きなプレイヤーなのに、なぜ初プレイのVRゲームでスキップや縛りをつけるのか。
>自分があんなに凄いゲームハードを目の前にして、かつDQ5のストーリーをちゃんと理解していたら絶対にスキップなんてしません。
そんなもったいないことできません。
映画内で幼少期が爆速で進むことや何故かキラーマシンが出てきたこと、ストーリー展開が変わってたのはこのゲームのバグのせいかと理解する前に、
「なんだよ舐めプかよ」という感情が反射的に出てしまいました。
・主人公(プレイヤー)の人間性が魅力的に見えない。
VRゲームプレイ中は現実世界の記憶は全て消えるという設定でしたので、主人公はゲーム内の苦難を純粋に自分の人生として乗り越えてきたはずですよね。
であるなら、あそこまでヘタレな性格になるでしょうか。
・DQ5のVRゲームなのに、なぜ他ナンバリングの楽曲が多用されているのか。
>DQシリーズの楽曲はそれぞれに意味と意義があります。
流れるだけで、そのシーンで何を表しているのか語れるほど雄弁なものです。
DQに詳しければ詳しいほど、「何故ここでこの曲が流れるの?」と首を傾げてしまいます。
これもオチを見ればバグのせいかと理解できますが、映画作品として効果的だったのか疑問です。
この他さまざまな疑問とツッコミが、あのラストシーン中に次々に浮かび上がり、混乱し、
「ゲームの世界も自分の大切な人生なんだ!それを否定する権利なんて誰にもない!」
という、キャッチコピーにもある
「君を、生きろ」というテーマにたどり着くまでに感情移入が間に合ってないのが原因だと思います。
人間は「混乱」や「理解できないこと」を反射的に「怒り」ととらえることが多々あるので、酷評が相次ぐのもそのためかと…
逆に、主人公と同じテンポで感情移入できた人にとってはとても感動的なストーリーだったと思います。
正直羨ましいです。
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ここまで書いて分かることは、「この作品はDQ5原案だが、DQファンやゲーマーの多くに共感を得るには表現が足りない」ということです。
また、「DQだけでなく普段ゲームやアニメに触れていない人が見ても話がわからないじゃないか」「好感を持てる意味がわからない」という意見も見えますが、そもそも普段ゲームやアニメに触れてない人たちは、その世界に「現実感」をもって没頭していないので当たり前のことです。もっと客観的に作品と向き合うことができるのです。
自分の夢にゲーム画面やアニメの画面が出てこない人達です。
ゲーマーやオタクには信じられないかもしれませんがそれが現実です。私もオタクなので書きながら胸が潰れそうです。
しかしながら、純粋にこの映画を面白いと思うことになんの違和感もないですし、それで良いと思います。
オチを見て「あんなに話しが早く進んだのはこういうことだったのか!」「あの画面はこういう意味だったのか!」「ゲームから学ぶことも人生に生かされることもたくさんある!」と理解して興奮するのはなんの間違いもありません。
感動を大切にしてほしいです。
映画というのは娯楽なので、一部のファンだけでなく、より多くの人々が楽しむべきだと思います。
全てを踏まえた上で、この映画のメッセージを伝えるためにDQ5を原案にする必要があったのか疑問です。
というか、DQ5を原案にせず、オリジナルのVRゲームの世界で同じ内容を繰り広げていたら、もっと成功したと思います。
映像技術や役者さん方の演技に満足していたからこそ、残念でなりません。
そういう意味で星は1つです。
次回作ではもっと一般大衆向けなプロモーションを期待します。
最後に、これは単純に物語への疑問なのですが、フローラはなぜ「じこあんじ」をとく薬を用意できたのでしょうか?
キャラクターはすべてAIという設定なのでしょうか?
それともあれもバグなんでしょうか?
純粋に分からなかったので、どなたか分かる方がいたら解釈を教えて欲しいです。
>フローラはなぜ
あの部分に関しての個人的な解釈ではありますが
お話を作る上で、現実と物語の境目の部分を表現したかったのではないかな。とおもいました
ゲームやファンタジーが好きな人ならわかると思いますが
たとえ虚構の中でも、そのキャラクターが何を考え、どう行動したか。といういわゆる肉の部分を想像して楽しむものとおもいます。
ゲームのキャラクターはあくまで自由意志を持った個であり、一人の人間。という考え方ですね
それ(そういう人から見る、意思のあるキャラ)がプログラムの域を超えて行動を起こした
という、ウィルスの言うところの所詮作り物~という部分に反する、主人公のこれ(物語の中)も一つの人生という部分への説得力の材料ですかね
それと同時に、これは穿った深読みかもしれませんが
最終的にはプレイヤーの意思決定がモノを言うのがゲームなので
自己暗示プログラムという外的な要素があったとしても、心の中(本当の深層心理)でビアンカを選びたいという情報をVRマシンが読み取って
選択を迫らせる→結果的にビアンカを選ぶ
という部分を表現したのかなともおもいました。
ゲーム世界に生きていた時点のリュカは、ビアンカが好きなんだよとわかりつつ、フローラとの間で一応は悩んだわけですし。
プログラムに人格まで左右されるわけではなく、プレイヤーが選んだ=ゲームをプレイしている。という部分ですね
さらに横槍を入れるとすれば
少年時代をスキップしたため、視聴者にビアンカが恋人候補になる決定的な心の繋がりの部分を描けなかったので
三角関係的な、わかりやすい恋愛ドラマを演出し、最終的にはわがままもありつつ全員納得済みであるという、綺麗事の演出のためのギミックなのかもな。
ともおもった部分もあります。
長々と失礼しました。