在りし日の歌のレビュー・感想・評価
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夫婦の、そして中国の30年史が大河のように流れゆく
映画が幕を降ろす時、流れ行く一本の大河を思った。この夫婦が歩んだ30年に及ぶ旅路はどれほどの心の痛みに満ちたものだったろう。まるで記憶を遡るみたいに、遥か遠くから水辺の風景を捉えるカメラワーク。逆にどれだけ時を経てもいつもすぐそばにある、光に満ちた家族団欒の食卓。または仲間たちが肩を組んで興じるダンスパーティー。3時間という長尺で描かれる構成は決して時系列ではなく、むしろ我々は夫婦の胸に浮かんでは消えゆく様々な思い出にじっと身を任せているかのようだ。
街は大きく変容を遂げ、労働状況も変わった。知らぬ間に貧富の差も拡大した。そうやってあらゆるものが猛烈に変わりゆく中でも、今やすっかり老け込んだ夫婦の思いだけは何一つ変わっていない。そのことにしみじみとした感慨を覚え、二人への慈しみはますます深まるばかり。彼らの心象を通じて現代中国の姿が浮かび上がってくる。暗転した瞬間、思わず溜息がこぼれた。
一人っ子政策の愚かしさを、ある家族の年代記で体感させる
中国の“改革開放”と“一人っ子政策”を、言葉として知ってはいても、「在りし日の歌」のヤオジュンとリーユンの夫婦が生きてきた1980年代、90年代、2000年代、2010年代を追うことで、そうした政策が人民にどのような影響を及ぼしたのかを疑似体験して学んだ気がした。抽象的な情報が、具体的な体感に変わったと言ってもいい。
90年代→00年代→80年代といった具合に、4つの年代を行ったり来たりする構成が巧みだが、分かりづらくはない。ミステリーというほどの謎ではないものの、人物たちが抱える秘密や決定的な出来事を、効果的なタイミングで観客に明かすための仕掛けなのだ。脚本と監督のワン・シャオシュアイの筆致には、極端な政策を押しつける共産党幹部とそれを盲信して従った人々への静かな抗議を感じさせるが、翻弄されたヤオジュンとリーユンへの優しいまなざしが、作品にヒューマンな温かみをもたらしてもいる。
これぞ映画
こういう中国の小市民を描いた静かな映画大好きです。どうして中国映画ってこういう何十年もの時間の流れを描くのがうまいのでしょう?この映画はさらに時間と空間を行ったり来たりするのに全然ストレスないし、少しづつ明らかになっていく事実がドラマチック過ぎず本当に上手。役者は全員すばらしかったけどとくにメイユーがかわいかったなー、オバちゃんになってからも屈託なくてかわいい、そりゃ彼も追いかけていくよね。
家族の絆、友人の絆
中国地方都市の工場で働くヤオジュンとリーユン夫婦。ひとりっ子政策の為に2人目を妊娠したのに中絶させられる。工場の社員は殆どが社宅で暮らしている様子で、家族ぐるみのお付き合い。子供同士も仲良し。
そんな中で起きた子供の事故。ヤオジュンの息子シンシンが子供同士の水浴びで死んでしまう。工場の人員削減もあり、別の土地へ引っ越す。仲の良かった友人たちとも疎遠になり、、、
ひとりっ子政策の為に2人目を堕し、たった1人の息子を亡くし、仕事も解雇。失望の中で幸せだった頃の友達とは以前のようには付き合えないだろう。ヤオジュン夫婦も勿論、一緒遊んでいた子供のことを恨む気持ちはないし、友人夫婦を責めたりしない。でもやはり会えば辛いから、会えない。
子供を亡くした親も地獄、死なせてしまった子供ハオハオも、その親も地獄。20年以上過ぎてハオハオの母親が病気になり死の間際でやっと謝ることが出来た。20年、忘れることなんて出来ない。ハオハオも立派に医師になり、結婚もして子供ももうすぐ生まれるけれど、1日も忘れたことはなかったのだろう。ようやくヤオジュン夫婦に打ち明ける場面は感動的。
30年近くの夫婦の物語。シンシンを亡くした後、養子を迎えたり、その子と折り合いが悪く、家出されてしまう。ヤオジュンも浮気をしたり、思い悩んだリーユンは離婚を切り出し、自殺未遂までしてしまう。人生山あり谷あり。それでも、夫婦別れず乗り越えて、手を取り合いシンシンのお墓参りに行く。ラストは家出した養子のシンシンから電話、どうやら恋人を連れて戻って来る様子。辛い人生だったけど、残りの人生は幸せに穏やかに過ごしてほしい。
私事だけど、考えさせられた。私たち夫婦も山あり谷あり谷あり💦でここまで来たな。離婚を考えた事もある。2度ほど話し合った。でもここまで一緒にいる。この夫婦の様に、後は仲良く穏やかに過ごせたら、、、と今は思う。まっお互いの歩み寄りが大切なんでしょうね。🥴
これからの在りし日を歌う
コロナの発生地と世界から非難を浴び、なのに世界がコロナ第三波に苦しむ中、コロナに打ち勝ち経済回復したと一人喜ぶこの国…。
しかし、こんなにも素晴らしい作品を送り出す。
芸術は芸術。
子供が居ない私、ましてや中国のその時代や歴史など映画で欠片をほんのちょっとだけ食べた事あるくらいの私。
果たして共感出来るのか。
さすがに全てではないが、政治/歴史視点ではなく、あくまで一庶民/家族視点で語られていく。
家族の物語は万国共通。
さて本作、大まかなストーリーは説明ある通り。
中国の地方都市に住むヤオジュンとリーユンの夫妻は一人息子が川で溺死し…という、いきなり痛々しく悲しく始まる。
現在と過去が交錯する本作だが、そのようにちょっと入れ換えてみようかと。
中国で1979年から2015年まで実施されていたという“一人っ子政策”。文字通り、一組の夫婦に子供は一人だけ。爆発的に増える中国の人口を抑える為。それにしても、一昔前と思っていたら、ほんの数年前まで実施されていたとは…。
映画に話を戻すと…
2人目を妊娠したリーユン。が、すでに子が一人居たので堕ろす事に。それでもう妊娠できない身体に。
そして息子の死亡事故。子供を産めないという悲運…。
そこで夫妻は亡き息子と同じ名の少年を養子に迎える。が、成長した彼は夫妻に反発してばかり。特にヤオジュンとの関係は最悪。やがて成人し、本名と身分証を返し、旅立たせる…。
この30年、夫婦が望んだのは何も特別な事ではない。
子供が居て、誰もが営む平凡な“在りし日の歌”…。
それが政治政策や悲劇や人間関係で…。
勿論夫妻にも、最も穏やかな日々はあった。
まだあの地方都市で暮らしていた時…。
仲の良い友人と義家族の契りを交わし、息子同士は兄弟同然。
悲劇が起きてから夫妻は知人の居ない町へ移り住むが、かつての息子の親友が事故について秘密を隠している。
成長するにつれ自分の中の罪悪の木も大きくなっていき…。
夫妻が彼に掛けた言葉、夫妻が過保護な両親に掛けた言葉が胸打つ。
夫婦の歩んだ30年。
3時間の長尺でじっくり描き込んだワン・シャオシュアイの演出、中国近代史を背景に置きつつ家族物語にした緻密な脚本。
そして何より、夫婦の喜怒哀楽を体現したワン・ジンチュンとヨン・メイの名演が素晴らしい。
画も美しい。音楽も美しい。
喜びも悲しみも、日々は過ぎ去って。
そして、今。
人生苦楽あり。また新しい幸せが。
それはこの夫妻にも…。
過去の“在りし日の歌”ではなく、これからの“在りし日の歌”をーーー。
順風満帆とは行かなかったある夫婦の話
中国の変革時期にて連れ添った2人の夫婦30年物語。
たった1人の息子が川で溺死。しかし、数年後その世界にはキチンと息子がいたり、、変だなとおもいながら1980年代、90年代、2000年代、2010年代の夫婦を入れ替わり立ち替わり観る事になる。
「一人っ子政策」「国有企業による国民の生活維持変化」など歴史的急激に変化した中国にて、支え合う親戚や周りに関わる人々を国的に盛らず飾らず映画にした事には好感が持てた。
主役ヤオジュンとリーユン夫婦。
決して見本となる夫婦でも無く、また逆に荒れている夫婦でも無いのがまた良い。欠陥はありながらも耐え忍んで繋がりあった夫婦の先に待ち受けていたラストにはウルウル泣いてしまった。
私的にも兄弟は遠くバラバラでもある。
このコロナ禍にて不幸があっても、一同に会う事が出来なかった。子供、孫、義兄弟含め一斉に集まれる日はいつになるのであろうか?
順風満帆では無いが皆で語り合う日がまた来て貰いたい。
そう願わせてくれる映画でした。
許し/マントウおいしそう
1980年代から2010年代までの中国社会を背景に、ある夫婦の悲喜こもごも(といっても悲の割合高め)が、時系列を交錯させて描かれる映画です。
北の方と南の方の風景が、はじめは見分けられなかったですが、そのうち分かるようになっていきます。
また、人名と人物の老若もなんとなく見分けられるようになっていきます。
夫婦は、一子を持ち、再び懐妊するもひとりっこ政策の下、堕胎手術を強制され、その数年後ひとりっこの息子トントンを事故で失います。その失意の中、北の故郷を離れ、知り合いのいない南へ移住し、トントンににた養子を育てるも高校生くらいで家出され、夫は故郷のよしみだった妹分と浮気し、その1度で妹分が妊娠、産むんだか産まないんだかよくわからないまま妹分は海外へ移住すると言って別れ、夫が帰宅すると夫の浮気に気づいたのか妻の様子がおかしく、服薬自殺未遂、そして一気に時代が飛んで、息子トントンの幼馴染で、トントンが亡くなった一因になったハンハンとその両親(お互いの子の義理親の誓いがあるらしい)が故郷に夫婦を招き、死期が近いハンハンの母より、堕胎手術の強制と多分トントンの死への謝罪がある。また、ハンハンからも事故の時の様子を告白され、夫婦は受け入れる。ハンハンの子が生まれ、海外にいる浮気した妹分の子(夫の子は中絶した?)とSkype的なもので会話。また、家出した養子くんが成功して恋人を連れて帰省しているとの連絡があり夫婦は喜ぶ。そして夫婦でトントンの墓へ行く。
以上が、時系列にしたあらすじです。多分大体繋がってるとおもうんだけど。
これらが細切れになってランダムに出てくるので、なかなか頭を使います。
このおうちの主食はしろくてまあるいなかみのない蒸しパンのようなもので、ほかほか湯気を立てているところが和みます。調べてみたところ、中国の北の方はあのしろいほわほわ(マントウ)が主食なんだそうです。反して南の方は米が主食。なので、南の方でもマントウを食べるあの家族は、地元民じゃないってことがわかる、ということのようです。また、聞き分けできませんが、言葉も違うとか。知らないことばっかりだなとおもいました。
携帯電話がぱかぱかタイプからスマホに代わり、故郷の町もなんだか垢抜け、北にとどまったハンハン一家は大いに栄えている。時代の移り変わり、人の盛衰(衰はだれもいないか)。それらに取り残された風の主人公夫婦なのに、彼らは人を責めない。悲しい寂しいをただ噛みしめて、人の幸せを喜ぶ。美しいなあと思いました。
この夫婦と過ごした時間が愛おしくて仕方ない
1980年代から2010年代、激動の中国を生きた夫婦の30年の物語。
人口抑制を目的とした「一人っ子政策」による中絶、最愛の息子の死、社会主義とは裏腹な国有工場からの解雇、養子として育てた息子は高校をドロップアウトし家を出た。
この夫婦を通して中国社会をも俯瞰する大きな作品だが、何より幾度も希望を失い、それでも生き続ける二人の姿に激しく感動する。ラストは温かい涙が溢れた。
いい映画だった。30年を共にした嫁さんのことを思わずにはいられない心に響く逸品。今年の外国映画のベストの一本だろう。
遠くからのカメラ、出来事での切り取り、シーンの繋ぎ。中国らしい人間...
遠くからのカメラ、出来事での切り取り、シーンの繋ぎ。中国らしい人間関係と、ヒトの関係や感情の複雑さ。人生と中国の歴史に飲み込まれつつも、その中で生きていく人の人生の美しさ。
北京の昔のうちに戻るシーンは圧巻でした。
長い
ベルリン映画祭でのW受賞&3時間上映時間の大作です。
はっきり言って、退屈でした。まず相関図が途中で、わけわからなくなる。時代も前後したりして、一貫性が無い。また内容的にも核となる物が無いため、ただ単にストーリーを追うことになる。追っても、正直、つまらなさで苦痛であった。ほとんど3時間惰性で見たため、じっくり鑑賞すれば、また違った印象を持つ作品ではあろうが、また見たいとは思わないところが残念である。
長い
内容は面白いが冗長。
中国版、「北の国から」。しかも中国人は顔が同じに見える(日本人もそうだと思うが)し、名前が覚えづらい上に時間軸が加わるので難解。
最も辛かったのは50男、3時間の映画の排尿問題。
ストーリーは自分と家内で全く解釈が違ったのがビックリ。
子供は希望、愛は消えない。
ひとりっ子政策に翻弄された夫婦の物語。185分の長い映画なのに、もっと続きを観ていたかった。1980年代から2010年代までの場面は非連続で出てくる。主人公の老け具合、車や携帯電話や洋服なども含めて、ああこの頃かと想像しながら頭の中で物語を埋めるようにつなぎ合わせていくのは楽しかった。
同じ日に生まれた一人息子を大事にする二つの家庭は国有企業の社宅で親戚同士のように暮らしている。
楽しい庶民的な暮らしの中に、ロックンロールのダンスパーティでの逮捕など、欧米文化の取り締まりの厳しさもある。
ひとりっ子政策で、二人めを強制的に堕胎させられるシーンは胸が苦しくて見ていられない。その前の場面でこの後に一人息子が事故死することを知っているから、なおさら「やめて、産んで。産ませてあげて」と思う。運命の皮肉なんてありがちな言葉で語れない。涙が溢れた。
ひとりっ子政策の愚かさ、悲しさ悔しさ優しさ愛おしさをたくさん感じた。
家電や家具や小物のデザイン、車や建物は日本と近いだけに、政策に翻弄される様はショックで、とってもリアルだった。
子供は希望、愛は消えない。
そして彼らの主食マントウが美味しそうで食べたくなった。落花生も。
#32 ちょっと昔の中国とは
当初過去と現代が行ったり来たりして訳がわからなかったが、途中からこの手法に引き込まれた。
過去の話は30年ちょっと前の話なのにまるで日本の戦前みたいで、この頃大人だった人は今の中国について行けないのも頷ける。
他人の子も自分の子と同じように大事にする文化は、これからもなくならないで欲しい。
Once Upon a Timeが大好きな中国人
世界万国のシニア層が、大好きなヤツですね。で、私もぼちぼち対象層に仲間入りですw
しかし中国、テーマ尽きんなぁ。ネタ豊富やなぁ。さすが4000年の歴史、あれ、5000年だったっけ?いや、文革を経た国だけの事はある。と言うか、地味な政策批判は許容されている雰囲気だけはあります。文革・一人っ子政策・毛沢東、全部地味に批判してるよね。無論、て・ん・あ・ん・も・んは禁句です。
真面目に映画としてみると。その撮影技術、画の造りには、とにかく驚かされます。韓国映画と言えば「コテコテ胸アツ」、中国映画と言えば「画の美しさ」、って俺の中では定着してしまいました。
貯水場を見下ろす丘の上からの画と水辺で走り回る人々。病院の階段の奥の壁にある「静」の字から左に移動し、廊下奥の治療室の前で泣き叫ぶ人々の姿を写す。なんの宴会かは知らないけど、歌って踊る人々と宴会場の地味な暗さと派手な色使いの服装。等々、はっとさせられるし、画面を目を凝らして見てしまう「仕掛け」に黒澤魂を見る気分。
もうね、感嘆するのは夫婦二人を写すシーン。陰影だけの心象表現。どれもこれも芸術的ちゃう?工場の寮(アパート)で、ヤオジュンとリーユンは座る場所が決まっていた。二人が、もしくは、そこに一人が座っているシーンだけでも幾つあったか。定位置カメラの手法ですが、陰影を使い二人の心象を表現します。よって、20年振りに戻った夫婦が部屋に入り、陽が射し込む「その場所」を写しただけで、胸が締め付けられる気分。
ひとり息子を事故で喪った夫婦。南に移り住み、養子を迎え育てても、癒える事の無い傷。息子は家を出て行き、夫の浮気で、何もかもを失ったリーユンは自らの命を絶とうとする。命を取り留めたリーユンとヤオジュンは、故郷の旧友達と再会し、「あの部屋」に戻り、在りし日の二人に戻り、息子の死を乗り越える。すっかり開発から取り残されてしまった丘の上に残った、息子の墓の前で別れを告げる二人。それでも。息子の幼馴染のシェン・ハオは夫婦を義父・義母と呼び、海南の家から飛び出した息子は、恋人を連れて家に帰って来た。
時間が癒しになるのは、時代が変わっても、人の情が失われなかったから。
だひょん!って事で。
にしても、中国魔術です、若返りメイクです。モーリー役のチー・シーさん、1984年生まれだって?マジすか?最初の娘時代のモーリーって別人ですよね?これ芳華の時にも思ったんです。中国奥義若返りメイク、恐るべし....
3時間5分の上映時間は決して長くはないです。
言葉を交わさずとも心が通じ会っている夫婦の姿に深い深い愛情を感じさせます。
生きていると辛いことの方が多いけれど、自分の理解者が傍に居てくれるだけで少しだけ気持ちが軽くなります。
蛍の光でも別れのワルツでもありません
1980年代湖南省の国有企業で働いていた息子を亡くした夫婦の話。
上映開始早々に小学生の息子シンシン(リウシン)が溺死…しかしもう少し成長したシンシンの姿が…?
開始から約2時間は、1980から1990年代の主に3つぐらいの時代の話を更に分割して時系列を弄りまくってみせていく展開で、最初はちょっと頭に入り難い。
一人っ子政策が特に厳格に実施された計画生育政策下の中国を舞台に、一人息子を失った悲しみと「一人っ子」に纏わるエピソード、家族同然の友人達との交流と関係性をみせていくストーリーで、確かにそうかも知れないけれど、そうじゃなくたって…という思いや、オヤジ結構…というのが頭に過ったりと、わかるけれど淡々としていたり、ノイズが混じったりと沁みる感じはせず。
ちょっと長いしシーンの移りかわりは行ったり来たりと慌ただしいけれど、丁寧にみせてくれたおかげで、現代パートの優しさラッシュが胸に響いて胸アツだった。
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