「広大な砂漠の中から娘を探す」ワン・セカンド 永遠の24フレーム きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
広大な砂漠の中から娘を探す
チャン・イーモウは、
少し前の日本の人情を見せてくれる。
それは「ほんの少し前の情景」だから、僕たちの過去とか、思い出とか、そしていま心にかかっている事どもにそっと触れてくれる、そんな映像を見せてくれるのだ。
映画館が「シネマコンプレックス」と呼ばれるようになって久しい。
どういう仕組みになっているのか分からないが、フイルムではなくデジタル映写とか云うものらしいのだ。
だから上映投写中にフイルムがメラメラと燃え始めて慌ててて映写が中断!・・なんてことももう起こらないんだろうなあ。
僕が小学生の頃、父親に連れられて、あるいは母親から「補導に備えてのメモ」を持たされて独りで通った映画館は、ふるさとのS劇場。
ポンコツのS劇場はこんなところだった、
杉の羽目板の隙間から外の光が漏れ、
タバコの煙に映写機の光跡が映り、映写室からの音なのか便所の換気扇の音なのかカラカラといつも鳴っていた。小便臭い小屋だった。
2階席に陣取る僕と両親は、持参した座布団を敷く。粗末な長椅子に座り、或いは疲れてきたらゴロリと横になって、黒澤明やポチョムキンを観ていたものだ。
あれは小学校の正門のはす向かいだったが、ブロック塀に貼られたポスターの、渥美マリさんたちの勇姿も大変懐かしい。
「映画館の映画」は数々ある。
どれもこれも、映画好きの我々にとっての宝だろう。
映画人へのリスペクトとオマージュ。
そして
「小屋を守る健気な人たちへの励まし」だ。
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本作は
いなくなった娘を探す駄目男の物語。
みんな哀しくて、みんな優しいよ。
ネオリアリズモの世界にただ泣けてくる。
我が娘も、就職した途端にとんと連絡を寄越さないし、
そして僕には行方不明の肉親もいる。
行旅死亡人の名簿を丹念に読むし、民間の尋ね人のサイトも開く。
毎年出される捜索願の数は8万なんだそうだ。
大海の真砂の中から手掛かりを見つけたい親たちや、茫漠とした天山山脈の砂漠から子供のネガの欠片(かけら)を見つけたい父親が毎年8万もいる。
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映画は、失くしたものへのノスタルジーと、美しい諦めの微笑みで終わった。
塩尻の東座は、今夜は貸し切りだったから、人目をはばからずに僕は泣くことが出来た。
支配人兼映写技師の合木(ごうき)さんに泣き顔を見られないようにそそくさと帰る。
深呼吸して夕闇に振り返ったら、映写室から駆け下りてきた彼女が丁寧に頭をさげて下さっている姿が、見えた。
今晩は。
”チャン・イーモウは、少し前の日本の人情を見せてくれる。”
仰る通りですね。特に文化大革命時の映画はその感を深めてくれますよね。私はその後の一般的には評価が低い「グレート・ウォール」や、「SHADOW/影武者」も好きなんですが、矢張り文化大革命時頃を扱った映画は格別に良いですね。よくぞ、制作したモノだと思いますし、その脚本、演出も含めたハイレベルな作品には驚きを禁じえません。
最近、嵌っていますよ。
ところで、同名の方のレビュー登録は改善して欲しいですよね。私にも小文字でnobuという方がこのサイトにいらっしゃいますが、今のところ有難い事に問題にはなっていませんよ。では。
制作は検閲をかいくぐり、ヨーロッパでは上映中止になり・・そういう情報をあとから見聞きすると「カットされたフイルム」が別の意味をもって語りだす気がするし、
乱暴で解せない終わり方には子供の粛清と父なる存在を描いた「サウルの息子」様なものを感じます。