「ペトルーニャは最後に悟った訳だが、そのセリフ『この十字架は貴男とあ...」ペトルーニャに祝福を マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
ペトルーニャは最後に悟った訳だが、そのセリフ『この十字架は貴男とあ...
ペトルーニャは最後に悟った訳だが、そのセリフ『この十字架は貴男とあの男達の為にある』その意図する事は間違っている。その前段に『神が女だったらどうする?』というセリフがある。つまり、この映画の結論とペトルーニャの出した答えが同じと仮定した場合、彼女はこの男たちを俯瞰して『この十字架の為に争うのはバカバカしくなった』と受け取れる。さて、
でも、この演出家と脚本家の経歴は、1975年位の生まれで、ユーゴスラビア連邦共和国の出身。現在、脚本家がボスニア・ヘルツェゴビナで、監督が北マケドニア。どちらの国も1991年ユーゴスラビアから独立した。つまり、彼女達は、国の独立の時に17歳だった。感受性の高い時期に国が大きく社会が変革している。また、
ユーゴスラビアは修正社会主義と言う実験的な国でもあった。
従って、その旧社会に対するアンチテーゼが、彼女達に芽生えていると見るべきだ。単純な男尊女卑を訴えているでは無い。もっと根が深い。男に対して、女が優位に立つと言った次元ではない。そして、
この国の宗教は北マケドニア正教になるが、その北マケドニア正教自体に対する疑問を超えて、宗教そのものに対する女性としての疑問が、演出家達にはあると思う。旧約聖書の創世記まで遡る事や『神が女性だってらどうする』と言うセリフが出てくる。それがイスラムやユダヤを含めた宗教全体に対する女性差別の訴えに感じる。その大事な訴えをペトルーニャには、わがままで、些か引きこもりのマザコンの女性として醜く、コミカルに演じさせている。その意図する所を、デフォルメとして笑い飛ばしていると私は感じた。共感出来る映画だ。
最後の音楽も良いが、題名が分からないのが残念だ。