「淡々と描く素晴らしさ」グレース・オブ・ゴッド 告発の時 CBさんの映画レビュー(感想・評価)
淡々と描く素晴らしさ
小児性愛者の司教によって少年時代に深い心の傷を負った主人公たちが、司教及び、知っていてもほとんど何もしなかった教会を訴えていく話。
最初はそのことから30年経ち、ようやく妻に語れるようになった一人の男が、行動を起こす。行動し続けるうちに、同じ経験を持つ人たちが、一人二人と同調を示し、徐々にだが大きな動きになっていく。
冒頭から、ど真ん中のストレート。主人公が、子供時代の自分に起きたことを、妻ばかりか子供達にまで話し、訴えを始めていく。
ただ映画は、淡々と事実を描いていく。そこには、映画にありそうな大逆転や、思いもよらぬ裏切りといった
"劇的な要素" は、全くない。強大な妨害勢力が現れる訳でも無ければ、メンバー一同が契りを交わして一糸乱れず行動する訳でもない。だんだん人が増え、考えていることは少しずつ違うが、進めていく。その姿を、ただ淡々と描いていく。
しかし、それが実は、彼ら一人一人の苦悩を生々しく描くことにつながっている。訴えが届くかどうかは、もちろん大切なファクターだが、もっと大切なことは、彼らの苦悩を我々観客が肌で感じることなのだろう。
観ている私が感じるべきことは、「訴えが通った、あ〜気持ちいい」ではないのだ。被害者である彼らの苦悩を、気持ちを、少しでも感じとることなのだろう。
そんなことを感じながらの137分は、あっという間にすぎさっていた。被害者にも、様々な人がいる。しかし、誰でも苦しんでいる。苦しみ続けている。
終盤、息子が主人公に聞く「パパ、今も、神を信じる?」という問いかけには、明確な答えはなかった。あれだけ、「棄教すべきではない。内部から、教会をより正しく変えていくべきだ」と言い続けてきた主人公が、だ。被害者は、苦しみ続けている。
コメントありがとうございました。
難しい事を投げかけてくださり頭を悩ませます。色々知識不足の私が言う事を前提に。外国のドラマを観ていますと人気の犯罪物で聖職者による性犯罪を複数観ました。それぐらいポピュラーなようです。この表現、不適切かもしれませんが。警察どころか親にも言えずに過ぎてしまっている現実。主人公は、神の信仰とそこで務める犯罪者達とは別物だと思って来たのでしょう。しかし、個人だけではない教会自体の腐敗の深さに遅々として進まぬ状況に(神はいないのかぁ。)と思いつつある時に息子の問いかけ、だったかと推測しました。しかし、多分、この主人公や他の方達は、しばらくの間、モヤモヤされるかもしれませんが、神の信仰はやめないと思います。心の奥の奥に神が存在し息子達を思う事も神の教えの一つだからかと思い直すのです。と、勝手な事を書かせていただきました。