「3人の視点が良かった」グレース・オブ・ゴッド 告発の時 コージィ日本犬さんの映画レビュー(感想・評価)
3人の視点が良かった
フランスで、長年数百人にも及ぶ未就学男児への性的虐待を続けてきた神父に関する訴訟、「プレナ神父事件」を映画化。
ドキュメンタリーではなく、訴訟記録や証言から、再現フィルムのように作られた作品。
被害者は支えてくれる人の存在があって、言う勇気がでるのだなと。
そして恐怖と嫌悪感から身を守るためと、世間の好奇の目や仕事を喪う恐怖から、「なかったことにしたい」と思って沈黙する道を選ぶことが多いのだなと。
沈黙は更なる被害者を増やし、犯罪に加担することであると気づくまでに、人々は2~30年かかるという現実。
3人の視点で描いたのがよかった。
敬虔なキリスト教徒ゆえに、自分の子供たちを守りたい気持ちと、教会を変えたいという思いで訴訟という形で告発した「0から1にした」アレクサンドル。
棄教し、怒りからマスコミを使って世界に発信し、被害者の会を作った「1を100にした」フランソワ。
トラウマから、パニックを起こして失神を起こす障害を抱え、仕事も家族も持てなくなった「100の中の1」エマニュエル。
3人がそれぞれ、告発の<葛藤>、社会や家族との軋轢という<代償>、告発によって生まれた<希望>を表していたように思う。
そして浮かび上がらせたのは、犯人のプレナ神父は、自分が小児性愛者で、レイプ依存症であることを自覚していて、隠していなかったこと。
プレナは告発されるたび認め、子供に触れられないように、解任を(企業で言えば上司に当たる)地区教会の歴代枢機卿に訴えてきた。
しかし、組織を守るためと、プレナが信者と寄付金を集める才能に長けていたため、教会はずっと事件を隠蔽。
被害者の家族に「子供に触れさせない場所へ異動させた」と嘘をつき、町を変えただけで、プレナに同じ聖歌隊やボーイスカウトで子供に教える仕事を続けさせていた。
これ、完全に教会および枢機卿による、隠蔽と犯罪拡大(幇助)。
なのに、悪びれず「神が試練を与えた」「時効は神の祝福で罪を逃れられてよかった」と言い続ける枢機卿に、一番の怒りを抱きました。
別の事件ではあるが、神父の性的事件を告発するに至るまでのマスコミの苦闘を描いた『スポットライト 世紀のスクープ』と併せて見ると深みが出ると思います。
映画作品では『スポットライト ~』のように、訴訟に持ち込んだ人達の正義感の達成で完結することが多いと思うのですが、本作は訴訟が起きるまで言えなかった、普通の映画であれば「モブの一人」の心に至るまで、多角的・多面的に切り込んだところに意義があると思います。
時間的に、少々長すぎるのが難ですが。
2020年7月時点で未だ係争中ゆえ、この結末は今後も見守っていきたいと思いました。