ジョーカーのレビュー・感想・評価
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紛れもなく名作
単なる映画としても、芸術作品としても、バッドマンシリーズとしてみても完璧な作品。
演出の細部が作り込まれていて、ただの「ジョーカー誕生秘話」ではない。まさに圧巻。腹と耳の奥に響く暗い音楽、憂鬱なストーリーに反して鮮やかな色彩。ホアキン・フェニックスの怪演!ジョーカーを演じているのではなく、ジョーカーに乗っ取られているかのような演技っぷりだった。
そして、映画とリアルが絡み合っていく現在。便乗して「私はジョーカーだ」と憂う人のなんと多いことか。今年のハロウィンにジョーカーを演ずる人は山ほどいるだろう。危険すぎる名作。だが観ないわけにはいかない。
病的
さすがのホアキン
繊細で素晴らしい映画
細かい描写が現実感を増し主人公の心情が徐々に変化していく内容のシーンが良かったです
確かにコメントにある通りブルースの両親が違ったり執事の様が違ったりしたのは違和感がありましたが全体的に見れば素晴らしい映画なのでスッと飲み込むことができました
少しだけシャッターアイランドのような部分を含みつつ不気味な感じなのにBGMがなかったりそれでも引き込まれていくような映画です
映画というのは僕自身引き込まれたりスクリーンの中の世界にいったような感覚になればそれはかなり楽しめている証拠です
仮にホラー系でもヒューマンでも泣いたり笑ったり恐怖を感じたりということができればそれはあなたにとって引き込まれている証拠です
このジョーカーという映画引き込まれ現実社会に一石を投じるような映画近年の社会情勢たまたまだとは思うのですが台湾を彷彿させる部分もあります
悲しいけど最後にはジョーカーになって称賛されよかったと思える自分がいました
これから見る方はぜひ表面ではなくて細かく繊細な描写からこの映画の意図をくみ取って観ていただければより一層楽しめるのではないでしょうか
紙一重
苦しくなる映画でした
母親の面倒をみて、真面目に働き、決して悪いヤツではなかったアーサーが、段々と哀しみに潰されて狂っていく
こらでもかこれでもかと押し寄せる不幸に、狂っていくアーサーを責められるだろうか
その苦しみから逃れるために、善と悪、どちらに転ぶか、人間誰も紙一重なんじゃないだろうか
笑ってほしかった、愛して欲しかった、認めて欲しかった、ただ切にそれを願っただけなのに
もちろん、不幸だからといって、その後の行動は認められない
分かってはいるけど、アーサーの気持ちが痛くて、とにかく苦しくなる
哀しみの中でも、何かを忘れるように、取り憑かれたように優雅に踊るアーサーに涙が出た
アーサーを狂わせたのは私だったのではないか、私はどちら側の人間なのか、と自分自身すら分からなくなりそうだった
清掃局のストライキで、街中にゴミが溜まっている
その風景の中を歩き、画面が絶えずごちゃごちゃとしてるのをずっと見てると、知らず知らずのうちにこっちまで気持ちが荒んでいく気がして、アーサーの気持ちに寄り添いたくなる
全てが良くできた映画でした
演技、映像、音楽、どれも惹きつける
最後white roomが流れたとき、狂っていく気持ちを煽られるというか、破滅的な衝動に駆られました
せめて映画の中ではハッピーでいたい、と思ってるんですがね、、
衝撃的な映画でした
期待以上
アメコミっぽくないというのは間違い!これこそDCのアメコミ映画っぽい!!
もともとは『スーサイド・スクワッド』でジャレッド・レトが演じたジョーカーを基盤とした『スーサイド・スクワッド』のスピンオフとして浮上した企画であったため、当然ながらジャレッド・レトがその時はジョーカーを演じる予定であったし、この時点ではDCエクステンデッド・ユニバースの拡張であったと思われる。しかし、独立作品とした背景には、マーベルの成功があり、いくら追い抜こうとしても追い抜けない現実から、DCならではのことをしようとしたときにこの『ジョーカー』の企画がスタートしたのだろう。
差別化を逆手にとったかのように闇!闇!闇!!ここまで来るとアーサーのどん底設定が楽しくなるぐらいだ。監督のドット・フィリップスと脚本のスコット・シルバーもこの設定を逆手にとって楽しんだのではないだろうか。
そこに加わったのがホアキン・フェニックスというクセ者俳優の怪演。
ホアキン・フェニックスがキャスティングされたと知ったとき、明らかにヒーロー路線のスピンオフでないことは分かってしまった。
ホアキン・フェニックスなんてヒーロー映画向きではない俳優だからだ。
舞台はゴッサムシティ、のちのバットマンとなるブルースは登場すると言っても、見事なまでに現実社会の闇が投影されていながら、バットマンの世界観をフルに活用している点はさすがドッド・フィリップ、そしてさすが「バットマン」という作品だと思わされた。貧困層の抱える抜け出せない負の連鎖や障害を抱える者への差別、現実と幻覚との境が分からなくなる精神状態を投影して、更にもの凄い違和感を残すことに対して、違和感がないメジャーアメコミ作品なんてバットマンぐらいじゃないだろうか。
評価されている点として、『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』というマーティン・スコセッシ作品へのオマージュ・アピールが挙げられているし、ロバート・デニーロが出演しているから、どうしてもそう見えてしまいがちなのだが、個人的にはやり過ぎだと思った。あくまで分からない程度のオマージュに抑えていて、何となくわかるよ的なノリならいいのだが、明らかに影響されてますし、「マネしています」というのを表に出し過ぎていることに関しては、いかがなものかと思うし、作品自体のもつオリジナリティが薄れてしまっている気がする。
そこに頼らなくても重圧のある作品に仕上げられたと思うだけに、評価する人もいるが個人的には残念な点である。
時代が生み出したジョーカー
フィリップ監督は、『ジョーカー』が『タクシードライバー』の影響を受けている、と語っているとのこと。
狂気とカタルシス。両作品には、似た匂いが感じられる。
若いころに見た『タクシードライバー』の主人公トラビスの殺人には、乾いたカッコよさがあった。
『ジョーカー』の主人公アーサーの殺人には、ウエットな共感の思いがわきあがる。残虐さへの嫌悪も重なるのだけれど、共感も強く感じる微妙な感触。
ともに、殺人を肯定させてしまう力が映像にある。
ただ、両者の殺人の裏にあるものの違いは重要で、そこには約40年という年月の経過が横たわっている。
『タクシードライバー』のトラビスは、ベトナム帰還兵。
社会悪への義憤(記憶では多分、短絡的で過剰ではあるけれど)から、大統領候補を暗殺しようと決意し、結果的に売春アパートを襲撃して、少女を助け出す。
かたや『ジョーカー』では、経済的弱者のアーサーが、自分への仕打ちに対する恨みから殺人を繰り返す。
つまり、『タクシードライバー』のトラビスの目は社会に開かれているのだけれど、『ジョーカー』のアーサーの目は自己の苦しみに捕らわれ、社会から閉ざされている。
そして、トラビスは少女を救うことで、結果として社会的な正義をなし、アーサーは自分だけにとっての正義をなす。もちろん、それは社会からは受け入れられない。
主人公と社会とのつながり方が、両作品であきらかに違う。それは時代の反映だ。
『タクシードライバー』が作られたのは1976年。
ベトナム反戦運動の記憶がまだ生々しく、人々の間で悪の認識が共有されていた時代だった。
それに対して、2019年の『ジョーカー』。
背景にある貧困や精神病への差別は個々人の生きづらさとなり、私恨を生み出すことはあっても、共有される社会悪にはなっていない。
そうした社会背景の違いが、トラビスとアーサーという2人の人物像の違いを生み出した。
相似形の2人に見えるのだけれど、根本には違いをはらんでいる。
それにしても今日の極端な貧富の差とその固定化は、社会悪ではないと言えるのだろうか。
アーサーがダークヒーローにしかなりえない2019年、若者たちはこの映画を見ながら、何を思ったのだろうと、おじさんは思う。
言葉にならない傑作
R15指定といってもそれほど過激な描写があるとは思わなかった。
見ると人を殺したくなる、なんていうことは絶対にないから安心して鑑賞してほしい。
子供に見せていい映画とは言えないが、若いうちに見るべき映画だと思う。
アーサーが追い詰められて人を殺す度に、涙がポロポロと流れる。
悪のカリスマ・ジョーカーとなった瞬間には、涙が止まらなくなった。
しかし一体どんな感情で涙が流れているのか自分でも説明がつかない。
別に悲しい映画ではないし、泣かそうともしていない。殺される側ではなく、殺す側を描いているのだから。
主演のホアキン・フェニックス。役者とはこんなに凄いものなのかとただただ圧倒された。
映像でしか表現できない人間、映像でしか表現できない物語が、描かれていた。
エンドロール表示後に現れる「ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞受賞」には、そりゃそうだろうとしか思わなかった。
骨の髄まで愛するか、もしくは唾棄するか
愛するか打ち捨てるか、どちらかしかない映画。しかしこれぞ映画、という感じがする。
最近は、映画なのか道徳の教科書なのかわからないような作品が多かった。
もしくは「大多数の好みはコレ」「無難なのはコレ」といったふうに安全パイをつなぎ合わせたストーリーと派手なCGで構成されたやつ。
それらを否定する気はないです。
そういうのがデートで観に行くには最適でしょうし、まして親子で観るなら主人公にマジのピストルは持ってほしくない。
けれど……、そんなインスタントラーメンみたいな映画「ばかり」でいいでしょうか?
たまには重厚かつ、何度も押し寄せてくる旨味と料理人の奥深い思慮が生み出した至高の逸品を食べたいと思わないでしょうか?
もしそれが毒だったとしても……
恍惚をもたらす毒に体中が侵されてしまうとしても……!
JOKERはまさにそういう映画です。
子どもに観せるなんてとんでもない!
もしデートで観に行って片方が「面白かったね」などと口走ろうものなら、もう一方に「信じられない!もう別れよう」と言われてしまうような映画です。
こんな映画に共感していいのか。面白い、素晴らしいと感じてしまって本当にいいのか。
そう感じてしまう自分は異常なのではないか……!
おそろしい……しかし!もう一度、観てみたい……確かめたい……自分がJOKERの側であるかどうかを!
……と、いったような作品です。
あるレビュアーは「暗いだけのつまらない作品。なにが面白いのかさっぱりわからない」と評していました。
幸せ者……その人はJOKERに共感せずにすむ「人生」を送っているのです。
これをお読みになっているあなたはどうでしょうか?
言葉に出来ない
ジョーカーの成り立ちが分かる!
Clown (=道化者)の悲哀
冒頭のシーンに全てが詰まっているような気がした。
笑わせることと笑われることは一重であり、笑わせることとは、テレビショーのマレーのように、誰かをダシにして、所謂今で言うイジリ芸だったり、笑われることとは、見下され、蔑まれ、この映画の冒頭のシーンのように何をされても仕方ない側面があるのかもしれない。
狂気に満ちた殺人犯に至る過程が、とても丁寧に描かれていた。ナイーブで優しい人が、ちょっとしたことがきっかけで、今まで内に秘めていた不満が爆発して猟奇的な犯罪者になってしまうのは、決してこの映画の中だけのお話ではない。
生放送の中で、カミングアウトして、悪の主観を述べるあたりは陳腐な展開に思えたが、アーサーの切羽詰まった心情が表れていて、鬼気迫るものがあった。ホアキンフェニックスの怪演のお陰だろう。
全体的に暗いトーンで進んでいく映画で、結末はなんとなく読めるものの、常にハラハラ感が付きまとい、アーサーの心理描写が見事に描かれている映画だった。
この結末をどう捉えたらいいか思い倦ねているが、なんだかスカッとした気持ちになってしまった。
テーマが弱い映画。これだと単なるアメコミスピンオフ
話題のJOKERを観てきた。まず、お断りしておくが私はアメコミは知らない。バットマンの悪役だなというぐらいか。テーマはアメリカの貧富の差、格差社会をJOKERの眼で描いている。この点はいいが、そのテーマをもっと全面に出しても良かったのでは。結局、アニメファンなら良く聞くバットマンスピンオフものになってしまった。せっかくホアキンフェニックスやロバート・デニーロの演技は良かったのに残念。
しかし、JOKERのようなヒール役が主人公の映画も斬新で3点はつけたい。合格点は上げられない。
それでも生きる…
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