ジョーカーのレビュー・感想・評価
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自分はどこにいるだろうか。
彼が一体どこからこうなってしまったのか、お母さんの病歴からなのか、子供の頃の経験からか、環境から、社会の状況からなのか、耐えられない人生からなのか、自分のせい、他人のせい。。。だとしたら、自分の環境の中にも、彼の被害者になる可能性、彼の友人味方になるのか、更生させる立場か、別の社会の一人として排除するのか、隣人として怯えて暮らすか、崇め奉るか、もしくは彼自身のようになる可能性もあるのか。
以前NYに住んでいた経験を持ってしても、いま東京に住んで、どの立場で考えても、どれかに当てはまる確率は、想像する以上に高くなる一方だな、って思った。 そして、その時に自分は映画のどの存在を選んで、いるんだろう。 たとえ近未来、として残されたバットマンになれたとしても、本映画の中では、彼に対等できる存在は警察、親、権力者、近づける友人、身を寄せると思われる存在すらも、虚像以外に微塵もなく、もし周りにすでに彼が存在しているんじゃないかと考えると、最後まで身震いが止まらなかった。
感情移入出来る男では物足りない
私には哀れな男にしか見えなかった。
最後の方はスカッとジャパンみたい。
完璧な悪が彼の中で善でも悪でもなく常識でそして趣向であると思っていたが、ちょっと道を踏み外した男ってだけで狂気的思考が感じられなかった。私の思い過ごしだったようだ。
しかし、クライマックスに向かうあのジョーカーの階段でのダンスは凄い。
あの気迫にはワクワクしたし、何故か嬉しくて笑みがこぼれた。あの表情は完璧だった。ホアキン・フェニックスは全てから解放されたように「思っている」男を完璧に演じきった。
とはいえ猟奇さ、理不尽さの足りないことや、全てのことに動機を付した演出は過剰と感じたので「ジョーカーと名乗るある男の話」位に思っておくほうが良い。
ちょっと今(自分に)酔ってる
共感性羞恥の方に見てほしい
タイトル通りです。
私は共感性羞恥があるので、映画内で主人公が恥をかいたりするとなぜか恥ずかしくなり目を瞑ってしまいます。
結構な数の映画を映画館で観てますが、この映画は特に酷いです。鬱映画です。救いがないです。
ただ主人公が吹っ切れてからは爽快感があり、目を開けて見ていられました。
予習をまったくせずに鑑賞したので、ネタバレサイトを見て行ったら違っていたのかもしれません。
前半では追いかけて、後半では追いかけられる。
どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか。
黒人の女性のシーンは途中見ていて違和感があっても、予想もしない展開でした。
逆にコメディー番組は本当に呼ばれたのか疑って見ていました。
最後の赤い足跡。
あれは何を意味するんでしょうか。
最後に出てきた方って、最初に出てきた臨床心理士の方ですよね。
すべてアーサーの妄想で、実際には起きてない出来事だったんでしょうか。
赤い足跡は臨床心理士の女性を殺害した血痕?
色々考えましたが、私はすべて実際に起きた出来事だと思います。
喜怒哀楽の楽のカリスマになりたかったアーサー。だけどジョーカーのカリスマ性は怒の部分で発揮されます。
とにかく映画館で観て、このネタバレ感想の意味を理解して頂きたいです。
そして自分自身の人生に潤いを与えようと共感して下さると嬉しいです。
真正なる悪の誕生
完成度の高い大人の映画
(マーティン・スコセッシ+ポール・バーホーベン)x社会性=本作
期待しすぎたせいか、そこまでガツンとは来なかった。でも傑作であることは間違いない。
本作はマーティン・スコセッシ魂が根底にあります。
従ってコメディ色が極めて強い。シリアスなシーンでもどこかバカっぽく撮られていて、そのバランス感覚はさすが。本作は、これに社会性という調味料をまぶして上手くまとめたなぁ、という印象。
「よくできている」のは間違いないのですが、逆に言えば、そんなに極端に尖ってもいない。
めちゃくちゃ評価が高い理由は、アメコミのお気楽映画目当てで来た客が、予想に反して凄いモノをみせられて沸騰しているだけだと思います。
タクシー・ドライバー。本作は、正にこれを目指した映画だと言わざるを得ない。その点は素晴らしい出来だと思いました。超絶シリアスな雰囲気でもなく、どこかバカっぽい・・・というか現実離れしている(精神異常者アーサーから見た世界が描かれているからか?)。このバカっぽい演出により、観客はハッと我に帰る。「本作はコメディですよ。だから真に受けないで下さいね!」という製作者側のサインがある。この辺り、ポール・バーホーベンっぽい。本作は目くじら立てて観る映画ではないですよー、と。オープニングタイトルとエンドタイトルの出し方とか、完全に観客をおちょくっているとしか思えない。
凄まじい暴力シーンでも、どこかホッとさせるシーンがあるので、安心して観ることができます(笑)。
スコセッシ映画と異なる点は、本作の社会的なメッセージ性の強さだと思う。本作は、民主主義という嘘に対する「怒り」を真正面からぶつけている。
勘違いして欲しくないのだが、本作は格差それ自体に対してではなくて、共感性をあまりにも失ってしまった人々に対する強い怒りが込められている。劇中、アーサーが仕切りに訴えていることは「少しでいいから俺たちに共感してくれ!」ということだけでしょ?彼は「金をくれ!」とは決して言わない。つまり彼は富も名誉も望んでいない。彼が望むのは「共感」だ。
この映画の中で本当に嫌だあなぁ・・・というかムカつく瞬間(製作者が意図的にそう撮っている)って、バスの中の母親とか、電車の中の人たちとか、市の職員、とか、いわゆる「一般常識のある、社会のコードになんの疑問も持たない人たち」の優しさのかけらもない共感のない行動なんですよね。つまり本作で批判されているのは我々なのです。
アーサーは「精神異常者にとって耐え難いのは社会の目だ」と言います。この言葉の真の意味は「精神異常者は社会の目から無視され続け、決して共感されないことが耐え難い」ということなのです。私には彼の気持ちは痛いほど分かります。本当に罪深いのは、何も知らない無頓着な一般人であることを、本作は訴えているのですね。
この人間の共感能力の低下は、社会問題となっている。なぜなら、人間同士の共感性のないところに民主主義など成立しないからだ。これは資本主義も同様だ。
つまり現代社会において、本当はもう民主主義など存在しておらず、体制を守るために多くの人が嘘をついている。これが民主主義の危機の要諦なのであり、本作はこの問題に一石を投じる。
どエグい悲劇を喜劇でお届け
内容最高。それは置いといて。
救いのない悲しい男の悲しい物語を喜劇仕立てに包んで「アッハッハ、どうぞ笑って晴れやかな気持ちで帰ってください」みたいにした始まりと終わり方の狂気。
バットマンと対峙してる頃のジョーカーが嫌味と悪趣味で作ったかのような不気味な演出が最高だった。
ジョーカーが生まれた夜にバットマンも…というサーガ的なつながりはさすがアメコミ映画。期待を上回った部分。
口を裂くのは別の話なんだっけ?
もっとドロドロはダメなのかな、、、
うーん、正直期待しすぎて少し肩透かしを食らった感はある。グラディエーターの時からホアキンはイヤらしい演技に定評があったけど、今回はもっとぶっ壊れを演じて欲しかったかな。その点、やっぱヒースのジョーカーはカリスマ性が凄かった。題材と役者はいいけどそれを活かしきれてない気がして残念だった。
もっとヒューマンな作品だと思ったのに期待外れ。
カメレオン俳優ホアキン・フェニックの役作りが凄まじいが… だだそれだけ。
基本「バットマン」なので展開が見えてしまい、映画としてのストーリー展開の面白さがありません。
元がコミックなだけに、リアルにすればするほど矛盾が出て来てしまい、この場合精神障害がある人は、ああなるしかないの?と真のヒューマン作品に置き換えるのにはかなりの無理がある、そんな後味の悪さ。
今やコミック系の作品があたり前になったハリウッド、この手の作品を映画作品としてワンランク上げたい映画会社の思惑に往生際の悪さを感じました。
これなら、ちゃんとバットマンシリーズの「ダーク・ナイト」のヒース・レジャーのジョーカーの方が良かったし、ホアキンもいっちゃってる系の作品なら断然「ザ・マスター」の方が狂気に満ちていて心が震えた。
共感できない。
僕は彼みたいな人間が大嫌いだ。
貧しい家庭環境、持病である精神疾患、自分の弱さや世間や社会、周りの環境のせいにしてアーサーは闇の中へ堕ちていく。
彼は言っていた、失うものは何も無い。それはそうだ彼はなんの努力も何もやってこなかったから。
僕は彼に共感できない。どんなに不遇な環境でも努力して生きるのが人生だ。アーサーが犯した罪は決して共感できる事でも許されることでもない。
この映画を見て共感したと思った人。それは危険な考えだ。
ただ、映像の見せ方、役者の演技力はさすがだなと思いました。
うん、知ってた
これが、ビギニングみたいに誰の映画かわからないで見たら楽しかったのかもしれないけれども、
公式にジョーカーのお話だよと前置きある状態で見たら『うん、知ってた』ってなる
ややヤバめの人が、なんやかんやあって
結局キレちゃったお話
これを2時間強、結末わかってるのに淡々と続けるにはちょっと無理があるかも知らん
2時間かけて、ただただバットエンドに起伏もなくゆるゆると連れてかれる話
後、怪演と言われるが
ヒースの演技とう言う見本があるからそれも薄れるんだよなぁ
逆に、ヒースが居なかったら凄い評価されたんでは??
産み堕とされたもの
“温室”でぬくぬくと育ってきたような自分には語る資格はないかもしれないけれど、少しだけ感想を。
今作への批判の中で一番多いのが、
「ヒース・レジャー演じるあのジョーカーのような、知性やカリスマ性が足りない」
というものだと思う。
混迷の時代に、我々はカリスマの登場を期待する。
今では独裁者として悪名を馳せているような支配者のほとんども、
最初は、その時代の、その社会の、その群衆の要請に応じて、カリスマとして熱狂的に歓迎されながら登場したのだ。
この時代にも我々はカリスマの登場を期待する。
それがフィクションの中であったとしても。
それが「悪」の側のカリスマであったとしても。
しかし、今回のジョーカーは、悪のカリスマとして、“上”から颯爽と登場することはなかった。
むしろ、世界の最底辺から産み出された。
他の方がレビューで指摘しているように、彼は下へ下へと階段を“昇って”いった結果、
ジョーカーとして産声をあげる結果になったのだ。
ジョーカーを生み出したのは、我々だ。この世界だ。この世界の醜さと哀しみだ。
彼は世界の、我々の身体の一部だ。
我々は、神格化されたカリスマとして彼を仰ぎ見ることは許されない。
自分たちとは別の世界の、別の存在として、切り離して見ることはできない。
彼は自分たちの世界と地続きの、すぐそこで、ここで、誕生したのだ。
確かに、彼はみんなが期待した“あの”ジョーカーではないだろう。
しかし彼は、今の時代に、それでもどうしようもないくらいの切実さと狂気に満ちて、必然的に産み堕とされたジョーカーだ。
“ジョーカー”成らざる者が“ジョーカー”に成りえる、今の時代の我々のジョーカーだ。
今ここに、“ジョーカー”が生まれようとしている、いや既に生まれている、そんな時代に、我々は何を思うのか。
重く、しかし軽やかに踊りながら問いかける、残酷で優雅な物語だ。
病んではいるけど、狂ってはいない
誰でもジョーカーになる
ジョーカーは惨い事件を起こしていくのだが、
私は責めることが出来ず 彼に共感していた
ジョーカーとなって主人公が心を解放された
シーンを観た時は何故か涙が溢れてしまった
貧しさは心も貧しくし相手にもやさしくすることは
不可能なのだろうか?
貧困が母親が人々の心の貧しさが彼を誕生させ
恐ろしく悲しい事件が起きてしまった
観ていて心が痛んだ
フィリップスの狂気の演技
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