ジョーカーのレビュー・感想・評価
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人間味があるジョーカーを良しとするかどうか。
現代の貧富の大きな差がある社会を写していると思います。いつジョーカーが生まれてもおかしくない現代ですね。
また、ダークナイトの超絶悪のジョーカーが大好き(?)なので、今回のかわいそうなジョーカーは非常に複雑ですね。
別物と考える事にして、最高の映画でした!
理性を保つ事の難しさ
この映画を通して、人間という動物が
高度に文明化された世界観の中で
自分の理性を保ち続ける事への気付かない難しさを
感じました。
性善説、性悪説、色々ない考え方があると思うけど
本当のところはどうなんだろう。
信じていたものに裏切られた時、人間の心には
何が芽生えるのだろう。私はそのような裏切りを
やってしまっていないか?
バットマンシリーズに知見なくこの映画を観ましたが
前知識なく鑑賞できる作品です。想像ほど残酷な
シーンはありませんでしたが、考えさせられる映画
でした。
アーサーが思いついたジョーク
解釈は様々ですが、私は本作を以下の様に解釈しました。
─物語最後の精神病院でのシーン
アーサー「ジョークを思いついたよ」
医者「教えてちょうだい」
アーサー「あなたには理解できない」
ここでアーサーと医者との会話は終わり、ジョークの内容を知ることが出来ないまま物語は終わります。
しかしそのジョークの内容とは、物語冒頭から最後の精神病院のシーンに移り変わる直前までの全てなのではないでしょうか。
つまり、アーサーという精神を病んだ男が「自分がもしジョーカーだったら」というジョークを思いついた話、それが本作。
だから本作のジョーカーがこれまでのジョーカーと比較して、誕生の経緯も含めて違和感を抱かせる様な存在であったとしても、それは問題ないと考えました。
没頭できるシュールレアリズム
まず、バットマンのジョーカーもの。
という位置付けの作品ではあるが、ファンタジーもヒーロー感もない。
ダークヒーローのヒーロー抜き。
超現実主義。
じゃあそんなドキュメンタリーみたいな映画をみて楽しいのか?というと、楽しくはないかも。でもダンサーインザダークをみたときのようなインパクトがある。
ホアキンフェニックスを知っているけど、ホアキンが主演だと知らずにみたら気づくかな?
いや、わかって観ていたとて、途中からわからなくなる、気にならなくなる。
あれはホアキンフェニックスじゃない。アーサーだから。
みすぼらしい妄想男のアーサー。喜劇にして悲劇。
こうしてジョーカーが誕生した、という、シュールなまでに現実的に解釈した作品と言えよう。
アーサーが精神疾患をもっているため、ファンタジーじゃないけど夢想シーンはあり、それがサスペンス風味も醸し出す。
調合が難しい作品であったが、観終わってみると、制作に関わっている人々がすきな方ばかり。
ホアキンの1人舞台としても成り立っちゃうんじゃかいかと思いつつも脇がこんなに固められていたのか。
個人的には、バットマンのジョーカーはおふざけひょうひょうとした、ルパンみたいな敵役のイメージだけど、あのキャラに到達する前日譚とみたら深い。深すぎるよ。正直、ハリウッドにもこんな渋みのある作品を大作としてつくれるんだなって感心した。
もう一回観たいかときかれるとうーんなので、星はマイナス0.5
惹き込まれる正当化
凄いバランスで構築された世界観でした。
魅せられていくうちに、
主人公へ同情し復讐心が芽生えていく。
見終わってふと我に返ってから
危機感を覚えたほどでした笑
これは感化させられたらアウト。
自分で答えを探し、考える事の
大切さを思い出させてくれた
素晴らしい作品でした。
俳優を怪演させるジョーカーという怪物
底無しの孤独と貧困に打ちのめされた精神病者が、殺人によって自らのアイデンティティを見出す。ただ、彼の生の目的はあくまで自らの高貴な死であり、その昇華のために殺人を繰り返していく。
ホアキンフェニックスの怪演と音楽・光の演出がすごい。とにかくもう恐ろしく美しかった。
前述しましたが本当にジョーカーが精神病者だったのかは分からない、曖昧にしており、母親の妄想病も実は事実もあった、、?そのあたり錯乱させられ、世界観に引き込まれていったのが良かったです。
ダークナイト3部作を観てから臨み、その上でうーん?と、気になったのは2点。
1.ジョーカーの賢さ
ダークナイトのジョーカーはとにかく賢くてあらゆる手段を使ってもスルリと逃げ出していく。この部分どうやってあのジョーカーになったのだろう?ただ、ラストシーンも何気に逃げ出してるから罪を重ねる中で勝ち得たものなのかしら。
2.王としてのジョーカー
時代が異なるから辻褄は合うんですが、、民衆から崇められるジョーカーはダークナイトのジョーカーとどうしてもイメージが合わない。。
アーサーがジョーカーになったのは何故なのか。ストーリーはそこに尽きます。番組でジョーカーに想いを語らせるのもそこまで明確にしなくても良かったかなぁと思います。曖昧さが良いなと思っていた自分としては。。
最後に、題名にもしましたが、ジョーカーって本当にすごい存在ですね。その日の夜はなかなか眠れませんでした。またダークナイトも観ようかな。
最も素晴らしい悪役の条件とは、謎に包まれていることだ
hahaha!!という大声が聞こえて、この映画は始まった。
笑い声なのか、泣き声なのか、理解しようとすればするほど分からなくなる。
その声の主こそJOKERである。
彼のアップから視点が変わり、冷めた目で彼を見る女性が出てくる。
彼の感情が読めない。観客の視点は、カウンセラーの女性とリンクする。
映画の冒頭から彼は狂っていた。
だがしかし、その後の展開は不気味なほどに、起承転結が順序よく描かれている。
コメディアンを目指す男のどん底人生。
溜まっていく社会への恨み。
悪へ落ちる転機。
次々と人を殺し始め、ついに悪として覚醒する。
彼がダークヒーローであることを象徴するかのように、市民が彼を崇拝するクライマックスには圧倒される。
だが、何か間違っていないだろうか?
復讐のために次々と人を殺すことに納得してしまっていないだろうか。
ある男が社会で爪弾きにされ、虐げられ、惨めな思いをしている様をじっくりと観たからこそ、「この悪は生まれるべくして生まれたんだ」と感動してはいないだろうか。
「如何にしてJOKERという悪役が誕生したのか?」
そんなことをこの映画を見て、欠片でも理解した気でいないだろうか。
hahaha!!
と、大きな笑い声がする。
精神病棟の真っ白な部屋の中、カウンセラーの女性を前にして、その男はこう言い放つ。
「一つジョークを思いついたんだ」
そう、これまで語られてきた全ての出来事は単なる彼の妄想話であったのだ。
これで、結局JOKERという男のことは謎のままである。
もし、ここまでの映画の展開が本当であると信じ、JOKERという男を理解した気でいるなら、最後のジョークの意味は彼の言葉の通り。
「あんたには、わからないさ」
なのである。
悪役はなぜ魅力的なのだろうか?
その答えの一つが、人の想像に及ばない存在であるから、ではないだろうか。
何をしでかすか分からない、だからこそ、その一挙手一投足に注目してしまうのだ。
心優しいアーサーから凶悪殺人鬼ジョーカーへの変貌
バッドマンの悪役ジョーカー誕生の理由を描いた作品。人はどこまで心が折れると、ジョーカーになるのか?
どんな時も笑顔で、人々を楽しませることが使命なのだと、コメディアンを夢見る心優しいアーサーが、狂気溢れる悪のカリスマ、ジョーカーへと変貌する。
なぜ?彼はここまで凶悪で残忍になってしまったのか?
弱者(精神障害)に無慈悲な社会に見捨てられ、自暴自棄になる・・・その過程に、切ない衝撃の真実があった。
その凶悪ぶりは、ショーン・ゲイシー(殺人ピエロと呼ばれた連続殺人犯)を彷彿させる。
終盤の暴動は、格差、貧困、失業、虐待、差別という、社会への不満が爆発し彼を悪のカリスマ・ジョーカーへと駆り立ててしまった。
これは、現社会への皮肉が込められているのだろうか。
ラスト、ブルース・ウェインの母のネックレスが飛び散るシーンをお見逃しなく。
残虐なシーンもあるが、これは物語で、社会への深いメッセージが込められている。
ホテルムンバイは実話で、その残虐さ、恐怖、テロへの怒り、比では無い。
ホアキンが背負う世界の歪み
圧巻。
ホアキンフェニックスの背中が歪み、足がばたつき、手は所在なさげにぶらつく、そういったシーンの連続が映画全体の不穏さを表現していく。
ホアキンの身体、表情を観ているだけで緊張感が張り詰め、観客の目を釘付けにする。
廊下を走る、角を曲がる、だけでひとつのアクションとなり、それらがテンポよく繋がっていく。
映画とはアクションの連続だ。
観ているあいだ良質なアクションの連続に喜びしかなかった。
ジョーカーなるものへの考察、はたまた現代性など、語ることは山ほどある。
しかし、この映画の素晴らしさは、ホアキンフェニックスという俳優の肉体の動きそのものを見続けられる喜びに尽きる。
そしてそれを支える劇音楽の素晴らしさ。
音ひとつでこのシーンの意味を伝える素晴らしい出来だった。
現実と妄想のシームレスさなど、非常に上品な演出も見事。
完璧。
鑑賞後じっくりと考えた結果
確かにホアキン・フェニックスの演技、その迫力はもの凄かった。
完全に圧倒されてしまった。
鑑賞後、とにかく考えさせられることが多かった。
何処までが現実で、何処までが妄想なのか?
鑑賞後じっくり考えた結果・・・全て妄想だ。
バッドマンのジョーカーとは全く関係のない話だったのだ。
長時間のジョークを楽しませてもらった。
ただただ重たく深い映画。 描写、演出、ディテールが素晴らしい。 ホ...
ただただ重たく深い映画。
描写、演出、ディテールが素晴らしい。
ホアキンフェニックスの演技も神がかっていて称賛に値する。
想像も絶する、とんでもない理不尽ば状況におかれたら自分はどうなる?
観る側の今置かれている状況で賛否両論。
ジョーカーの気持ちがちょっとわかる自分がいる事に複雑な感じを抱く。
世の中の善と悪、表と裏、考えさせられる。
やっぱり深い映画。
甘美なる映画
画が地味だとか、犯罪を助長するだとか賛否両論ありますが自分は美しさすら感じた。
この映画には現実に起きている問題が詰め込まれている。
格差社会、親子愛とは何か、介護問題、いじめ問題、仕事が上手くいかないことへの苦悩、貧困、福祉カット、シングルマザー、児童虐待、精神病...
まさに今、世界中でヘイトが溜まっており、香港ではこの映画のように暴動が起きており、覆面禁止法も話題に新しい。
序盤ではアーサーが病気を懸命に治そうとしたり、真面目に仕事に取り組んだり、コメディアンを夢焦がれ、絶望に打ちひしがれながらも上に上にあがろうする心情を階段を上るシーンで表現している。
懸命に生きるものの、全く報われず狂っていき、「ジョーカー」として解き放たれた後は、解放感満載に、楽しそうな顔で晴れやかに階段を下りながらダンスする。
しかしこれは、階段を下ってることから人として堕ちていく様を表現しており、その皮肉さは観てるこちらは何とも言えない感情を揺さぶられてしまう。
自分自身、少年期ずっといじめを受けてたり、病気に苦しんだり、詐欺にもあい、人間関係も仕事もうまくいかず現実問題クビのような状況になり、転々としたり、ニートになったり、貧困に苦しみ、社会や人を恨んだりとジョーカーに非常に感情移入してしまう。
これはどんな人でもちょっと道を間違えると起こりうることで、全く人ごとではない。誰しもが、ジョーカーになり得るのかもしれない。
しかし、決して犯罪を助長するわけではなく、改めて自分の人生を考え直し、日々や環境に感謝しなければいけない、と思い直させてくれるような、逆にポジティブな映画だと思う。
犯罪者になり得る人はこの映画が着火点になるとは限らず、どんな時にどんなタイミングでスイッチが入ってしまうか分からないため、ジョーカーはそういった批判の対象ではないように感じる。
確かに映画としては派手さも無く単調だったり、ある程度観てる中で予想できるありきたりな展開の部分もあった。
でも、ここまで色々なことを考えさせられる映画という時点で、傑作だと思う。
見て後悔する
ホアキンフェニックスの怪演が素晴らしいが、上映中一刻も早く劇場から出たいと思うような狂気と陰鬱にまみれた映画。
最後のウェイン家族のところはピエロの仮面を取ったほうが良かったと思う。
(確か設定の犯人はただのゴロツキだった気がするので、今回の騒動と結びつけるのは少し強引だと思った。)
面白いつまらないという評価基準を超え、凄く嫌な映画という感想だけが残った。
芸術
感連作未観
終始息苦しいストーリーからの荒れ狂うラスト。正直なんだかスッキリせず、変につかみどころのない感情がゆらゆらしているが、これが正解なのかなと。この劇場から出た後、世界がどう見えるのか、どんな衝動が沸くのか、それがどこに向かうのかというところまで含めて、成立している作品と感じた。
どこを切り取っても美しい映像と深い所から染み込んでくるような音楽、悪の誕生の様と相まって心を大きく揺さぶる。芸術だ
ホアキンありきのこの映画だと
文句なしの傑作。
ホアキン・フェニックスの演技無しには成り立たない映画でしょ。
アメコミと違うとか、ダークナイトのジョーカーに繋がらないとか、それらを目指すならホアキンが演じる意味が無い。今までのジョーカーとは全く別次元の映画として観ればこれ以上の映画は無いのではないだろうか。
期待値以上、全てに打ちのめされる。
どん底の人生から更に職場でも友人からも肉親からも憧れの人からも裏切られ、一人の犯罪者が出来上がってしまう悲喜劇をこれでもかと見せつけられる。まともに生きようと、もがいてみても無理だった。
生粋のサイコパスでは無く、生まれ育つ環境から犯罪者になってしまう。
過去の凶悪犯罪者がどんな人生だったのか、そして現在、未来の犯罪者予備軍とその家族や友人達に取って反面教師としてのバイブルになって欲しい、そんな特異な映画だ。
今の世界、有名人だけでなく一般人もちょっとした事で匿名性の高いSNSで徹底的に叩かれ罵られる可能性がある。また逆に弱者に過剰なまでに気を使う必要もある。全ての人が聖人でなければ・・・とまでは言えないけど、それに近い息苦しさがある。今のまま突き進めば、アーサーのような人が出てきても不思議でないと思う。
昔母親が近所の不良と普通に会話し、普通に仲良くなっていた。「皆ちゃんと話せるいい子達ばかりよ」と言っていた。皆がそうやって偏見なく話せれば、いい世界になるんじゃないか。
そんな母親の言葉を何十年振りに思い出してしまった。
二度と観たくない大傑作映画
本当にもう二度と観たくない映画です。
非常に面白い映画です。
話はすごいよく作り込まれている映画です。
演技は最強クラスです。アーサーの笑い声が頭から離れません。
BGMもノスタルジックで美しく恐ろしい名曲揃いです。
だからこそもう二度と観たくない映画です。
複数回観た後で正気を保てているかどうか自信がありません。
そんな大迫力で哀しく恐ろしい”何か”がある映画でした。
素晴らしい!!
特に文句なし
ストーリーもアクターもとても良く
良作でした。
最後のシーンの読み取り方について
私の読み方と多くの方の読み方が違うので
そこだけはモヤモヤしますね笑
私としては最後のシーンより前は全部妄想だと受け取ったのですが…
人に優しくなろう、新しい「ジョーカー」を生み出さない為にも
僕にとってこの映画はかなり意味のある作品でした。
バットマンの永遠のライバルにして、全ヒーロー物でも魅力的なヴィランズでもあるジョーカー。
彼は超人的なパワーを持っているだとか、世界を征服なんてものは考えていません。
ただ単に狂喜なんです。
では、その狂喜になったのはなぜなのかが一旦分かるのが今作です。
ちなみにバットマンとジョーカーは監督毎に世界線が異なるので、いろんなストーリーのジョーカーがいます。有名なダークナイトのジョーカーとは別世界線であると考えた方が良いです。
あくまでとある「ジョーカー」の一人の物語として見て下さい。
彼はアーサーは誰からも愛されず、唯一の愛していたと思っていた母も実は・・・というものです。
人によってはなんだ対したことされてないじゃんだとか思うかもしれません。
でも、それが実に絶妙な自ら死を選ぶか選ばないかのギリギリラインを攻めているんです。
嫌なことはあった、でもほんのちょっとだけ良いこともあると、ほんとギリギリなんです。
この絶妙さはじけ飛んだとき、あの狂喜に陥る。そして周りは死んでもいいようなクズだらけ。
一人やってしまえば、何人も殺したところで同じという原理です。
彼アーサーのような境遇の人は現実世界でもいるかもしれません。もしかしたら、あなたがすれ違った人はそういう人なのかもしれません。
そんなとき、少しでも彼に優しくしてくれる人がいれば、ジョーカーは生み出されなかったのかもしれません。
最後にレビューとは感想文みたいなものです。その人が良いと思えば良いし、悪いと思えば悪いのです。それを大半の人が良いと言っているといって、この作品を好きな人はおかしいというのは滑稽です。そんなことを言っている悪い子は、あの笑い声があなたの後ろで聞こえるかもしれませんよ。
絶望と幸福の階段
10.16 鑑賞
自分がもし映画監督なら…
構想、キャスティング、脚本、撮影…何年も時間をかけて作り上げる2時間の作品の1秒も無駄にしたくないと考えるだろう。
そんな前提があるとしたら、この作品で多く現れた階段は大きな意味を為してくる。
物語の前半部分に描かれる階段の描写は上がる方がメインだ。それもアーサーの足取りはかなり重く、辛く、絶望を感じ取れる後ろ姿…
そして後半部分は降る方がメインとなる。
その足取りは軽く、陽気で、幸福を感じ取る事が出来る。
一般的には、かけ上がる方が高揚感や達成感を味わう印象を受ける。しかしこの映画は、アーサーは、降る方に高揚感を得ている。それは降る事に恐怖を感じなくなったから、寧ろ幸せを感じたからに他ならない。
彼がジョーカーと成った瞬間が階段の描写により、鮮明に描かれてる。
ジョーカーは俗世に降り立った天使(悪魔)と成った。
映画の描写に無駄はない。
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