「キャスティングの妙」THE UPSIDE 最強のふたり うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)
キャスティングの妙
当時、アメリカ映画としてリメイクされると聞いたときは、期待と不安が同時に沸き起こった。くだらない駄作として闇に葬られる不安と、もしかしたらあの時以上の感動を味わえる傑作になるかもしれないという期待。
今回、大きかったのはキャスティングだと思う。特にブライアン・クランストンとニコール・キッドマンのふたり。どちらもオリジナル版の役作りに沿ってはいるが、それぞれに役を膨らませてもいる。これは想像に過ぎないが、このふたりほどの成功を収めていれば、ある程度は役に注文を付けることも可能なのではないか。
一時期、ひどかったのはハリウッドリメイクにあたり、「ホワイトウォッシュ」と言われるキャスティングに批判が巻き起こったこと。例えば原作では黒人の男の役をハリウッド版で白人が演じる。それは映画としての完成度や芸術性、リアリティよりも興行成績が重視されたということ。制作側からすれば映画がヒットしなければ、興行的に成功しなければ意味がない。もちろん今でもそれは基本的に変わってないのだろうが、「多様性」が叫ばれたり、女性の監督がオスカーを獲得したりと、映画産業もずいぶん様変わりしたのだろう。
さてオリジナルとリメイク版の最大の違いは、キャスティングだと思うのだが。
あえてフランス版とアメリカ版という解釈で進めさせてもらう。
金持ちと貧困層という考え方はフランスでもアメリカでも同じ。大金持ちのわがままな障がい者にスラム育ちのギャングくずれが関りを持ち、お互いに大きく成長する。こんな現代の寓話と言ってもいい美しい実話を、本能的に誰もが好きになる。
大きく違うのは、最初に挙げたクランストンとキッドマンの関係性。
どこか夫婦にも似た愛情と、それでいていつでも破綻しうるビジネスパートナー。
だがそこには常にキッドマンの忍従と、自己犠牲で成り立つ脆さがあった。それが限界を超えた時、クランストンはすべてを失う。
それを映画のクライマックスに持ってきたことで、よりキッドマンが光る演出になっている。
これは制作側のアップデートなのかそれとも役者側の注文なのか。
「やあジョージ。脚本を読ませてもらったよ。すごく興奮した。僕ならきっとこの役を上手に演じることができると思う。ところで、最後に死んでしまうのは無しにならないかな?」
なんて会話が、まことしやかに交わされているんじゃないかと想像してしまうのだ。