「ユーモアと人間味に包んだ適温の問題提起」12か月の未来図 しずるさんの映画レビュー(感想・評価)
ユーモアと人間味に包んだ適温の問題提起
声高に正義を押し付けたり、殊更感動を煽って泣かせに走る事なく、社会や人間の複雑な一面を、風刺とユーモアと人間味たっぷりに、適度な距離感で表現してみせるフランス映画の雰囲気が好きだ。
教育とはどうあるべきか、という、ともすればお堅く説教的理想主義的になりそうなテーマを、反発心煽ることなくスッと染み渡らせてくれるのは、生徒達の子供らしい喜怒哀楽や葛藤だけでなく、教師側をも人間味溢れる優しい目線で描いてくれているからだろう。
フランス屈指のエリート高校で教壇に立つフーコー先生。自分にその気もないのに嘯いた教育問題改善案を政府関係者に聞き留められ、下町の落ちこぼれ中学に1年間の限定派遣。
教師の権威を振りかざす、社交の場で見栄を張る、美人に食事に誘われてウキウキ出向く、長い物に巻かれる。絵にかいた善人ではないが、とても人間らしい。
融通が利かず、頑固だが、馬鹿真面目で仕事に誠実。多人種入り交じる生徒達の聞いた事もないような名前を、呼び間違えないよう必死で覚え、鏡に向かって舌打ちの練習をし、生徒の退学を撤回させるため法規を調べ尽くす。
不器用で欠点もある、だが愛すべき人物像に好感を抱く。
意欲のない不真面目な生徒達、燦々たる成績、教師への反発。頭を抱えるフーコー先生は、やがて問題児セドゥの言葉に、彼等も不安と敗北感に打ちのめされていると気付き、生徒に寄りそう姿勢へと変化していく。
権威的な押さえつけに効果がないと学び、失敗の連続による生徒の無気力を指摘され、成功体験による自主的な意欲向上を図ろうとする。冒頭の高校での、侮蔑的とも思えるコメントと共に答案を返すシーンと、激励や褒め言葉を交えて一人一人と向かい合う今のフーコー先生の対比。
カンニングに気づきながら指摘しなかったのも、頭ごなしな叱責でなく、自分の思いで行動を変えて欲しい、生徒を信じて長い目で見守ろうという気持ちからだったのではないか。
この無気力感は、生徒だけでなく、教師達の問題でもあったのだろう。
「今年は良くしようと思っても、また同じ繰返し」。涙目で溢される同僚教師の弱音。一人の努力や理想では変えられない教育現場の現実が、教師の意欲も奪っていた。
教師もまた一人の人間として、失敗し、迷い、へこたれもする。
諦めず試行錯誤するフーコー先生の姿は、一部教師の心持ちや方針をも変えていく。
ラスト、並んで座ったセドゥとフーコー先生は、従い従わせる者でなく、同じく愛に破れた友人か同士のような心情であったろう。
「来年は頑張れ。君ならできる」親が子を思うような先生の励まし、「高校に戻っちゃうの。…寂しくなる」散々反抗してきたセドゥの一言。
教師としては何よりの、有り難く報われる言葉であるだろう。
その先は敢えて語らず、ほんのりと余韻を残して終わるのもいい。
身内に教育関係者がいたので、少々身につまされてじんわりきた。
家に帰ってからも明日の準備や採点をし、親御さんからの相談電話に長々と応対していた。
困難を極める現代の教育現場で、日々必死に向き合う教師の皆様に敬意を。
何より子供達の未来が輝かしいものでありますように。