天気の子のレビュー・感想・評価
全737件中、301~320件目を表示
タイトルなし(ネタバレ)
色々な社会問題と絡めた割には恋愛意外のところが全然大丈夫になっている気がしない。
東京が水浸しになってしまったという以前にひなとなぎは2人で助けあって暮らしていくということを社会が許してくれない所から色々な問題が生まれてきてるけど最後ひなちゃんは助かったけど、でもそれって振り出しに戻るというか…
大切な人が隣にいるからそれだけでなんでも大丈夫!っていう大丈夫ななのかな。
期待以上でした!
期待以上でした!!
◾️「誰かのために」という感情
「俺はただあの人に会いたいんだ」
大切な人に会いたい気持ちは何にも勝る。
全てを放り投げてでも会いたい人がいる。
そんな穂高のまっすぐな気持ちが、とても爽快でした。
「誰かのために」という大事な感情を、思い出させてくれました。
◼︎長い歴史のある世界と、その中の自分
・世界なんて、どうせ元々狂っている。
・観測史上初、なんて、たかが200年くらいの歴史の中の話。
何億年と続く歴史の中で、平均して80とかしか生きない人生。
世界って何だろう。その中の一部でしかない自分ってなんだろう。
日々小さなことで悩んでいる自分を、なんだか外から眺めている気分になりました。
「神様、これ以上足さなくていいし引かなくていい。」
穂高のこのセリフも、印象的でした。
お金や地位や名誉ではない。それよりも、もっと大事にしたい幸せがある。
この世界の長い歴史に比べたら、自分の人生なんて一瞬
何を大事にして生きていくのか。
ただ単に目の前のことに追われているのではないか。
もっと大事なことはないのか。
そんなことを考えさせられました。
総じて、音楽、映像が素晴らしかったです。
一見ありえないような話なのに気づいたら映画の世界に惹きこまれていました。
期待以上の感動と気づきを、ありがとうございました!!
観てよかった
極力説明を省いてシンプルに見えてきちんと最低限描写されていて人物背景についても社会についても環境についても考えさせる、問いかけがあるとても面白い映画でした。
何も縛る物がなく感情に正直で真っ直ぐピュアな若さ、と世間体と形だけの常識と責任に従う大人の対比が都度されていてどちらの目線で見ても考えさせられます。
須賀が穂高の無垢な真っ直ぐさにあてられて、無自覚に押し込めていた物が溢れ出す瞬間、警官にお前らが穂高に触んな!とタックルするのが良かったです。
映画では何故あそこに須賀がいたのか分かりませんでしたが、小説を読んでヒナに関わった人全員が鳥居の夢を見ていたからだと思いました。娘からの電話で一瞬ハッとした顔をする所はありましたが。家族を持ったり大人になるとどうしても須賀さんの方に感情移入してしまいます。夏美さんを見てるとまだ自由と縛りの間にいる感覚で1番穂高達に近くて躊躇がなくて格好いいです。凪くんは1番男前です笑。
あのラストを見てもどっちが良かったのか個人的に答えは出ませんが。ヒナさんを犠牲にしたら良かったはやっぱり冷静に考えるとそれはそれで狂った世界なのかなとも。人柱制度自体がおかしいですからね(笑) どこかで知らない誰かの犠牲の上で成り立つ他者の幸せはループし続けてしまうんですね。誰のせいでもないと言いたいです。が、本人達は一生背負って生きていく覚悟でしょう。こんなに愛され守られるヒロインはいません。
お婆さんや須賀さん、周りの大人、天気予報のお姉さん、それでもゆっくりと環境に慣れたり変化していってる社会や人々の強さや優しさに少し救われました。氷河期がいつ来るかも分からないしいつ何が常識になるか分からないですしね。個人的には移動船とか浮遊施設など近未来的な建造物とか出来上がって逞しく生きてる世界も見たかったです。雨が降り続いてるのに空は晴れてる様に見えたのは二人の心を現したかっただけなのかそういう世界になってしまったのか気になります。
また3年後に続いた世界が見れるのかなと今後もワクワクします。
最高でした!
前回の作品「君の名は。」より 新海誠監督の作品をより楽しみに待っていました!
3ヶ月前ぐらいの公開予定を知りまだかな、まだかな、まだかなの毎日でしたが、我慢できず公開2日目で観て冒頭から涙しました!
悲しくてではなく前回の感動や余韻や素晴らしい音楽 もあり、より好きになれました!
今後も新海誠監督の作品は観に行きたいと思います!
展開やシチュエーション全てが大好きです!
メッセージ性の強い作品、何を受け取るか
前作『君の名は』視聴後の爽やかさが好きで観に行きました。
観た当初は前作と打って変わり、映像の綺麗ながら何とも後味の悪い映画という印象でした。
短絡的な考えから犯罪行為に走る愚直さ
愛の代わりに世界(東京)を犠牲にした爽やかとは言えない終わり方
しかし、咀嚼してみるとこれらは全て『頼れる大人』が登場しなかったのが原因ではないかと考えました。
ヒロインの陽菜が年齢を偽っていたのはそうして自立しないと弟と離れ離れにされてしまうからです。
世界を一変させる原因の晴れ女業もその延長線上にありました。
ですが事情を理解して配慮できる大人がいればそうではなかったはずです。
帆高が犯罪行為に走ってしまった理由も話をまともに聞こうとしなかった大人に一因があります。
登場した警察官は職務に忠実で大変良い警察だったと思います。
過去の凶悪な少年犯罪に由来する強硬な態度でしょうが、少年少女の実情に寄り添うことはできませんでした。
劇中で少年の帆高と対話しようとした大人は須賀だけでした。
ゴシップに近い記事を仕事にし、帆高から飯をたかるなどとても褒められた大人ではありません。
帆高を助けるために取った行動も泥臭く幇助行為でしたが、少なくとも帆高に対する責任は取ろうとしたのだと思います。
帆高が陽菜の弟の凪をセンパイと呼んだのは年齢にかかわらず頼れる存在であったから。
また陽菜が実は年下だったと発覚した時の悔いるような「俺が一番年上」発言。
これは年齢的に自分が一番大人に近いのだから最も思慮深く率いる責任があったと反省してるのではないでしょうか。
わずか15,6歳の少年少女に選択を強いる状況になったのも同様です。
劇中の晴れ女人柱の仕組みについては説明がありませんでしたが、適切な知識を持った大人がもっと適切な行動をとれたんじゃないかと思わずにはいられません。
子供の頃にイメージする大人及び社会はみんな信用できる頼れる存在でした、であったと記憶しています。
では今その期待に応えられる大人であり社会になっているのか?と私はそのようにメッセージを受け取りました。
ですがその質問に良い答えを返せるか自信がありません。
瑞々しくて素晴らしい最高にイタイ映画
新海誠の作品で一番好きです。
言の葉の庭もそうでしたけど、雨に何かしらの思い入れがあるのかな?
少年と少女が出会って世界を変えていくという王道的な導入から、物語はメリーバッドエンドな結末へと着地する。
賛否両論ありますけど、私は非常に納得のいく終わり方でした。
意図的にかわからないんですが、この映画における彼らの青春が非常にイタいなって感じたんですよね。
社会の良識も常識も法律さえも無視して、感性に突き動かされて足掻く様は非常識すぎてみてられなかったんですが、同時にそれは得もいえぬ感情のエネルギーに満ち溢れて。
その青春の痛々しさという現実と物語の虚構が絶妙なバランスを取っていたように思います。
そして、
最後の結末はその若気の至りゆえの「罰」だと感じました。
自分達のアオハルな衝動で、世界を犠牲にした事実を受け入れて愛を貫くかどうか。
大人になるにつれ世界を知っていく中で、自分達の犯した罪の重さに押し潰されてしまうかもしれない。・・・それでも。
自分達が愛すれば世界も救われるわけではないそんなほろ苦い結末が、「君の名は。」に物足りなさを感じていた自分に強く突き刺さりました。
星5つです。
主人公が怖かった…
初めて新海監督の作品を観ました。
映像は特に空のシーンがきれいで良かったのですが…キャラデザインが今ひとつで。
顔の見分けがつかなくて、前作のキャラクターとごっちゃになり少し混乱しました。
新海監督の恋愛観というか、好きな女の子に対しての気持ちが重すぎて正直引いてしまいました。
みなさんも仰ってますが、何故銃を使わなければいけなかったのか…そういう表現でしか、必死に相手を思う気持ちを描けなかったのか?残念でした。
何回か時計を確認するほど長く感じて少し辛かった。多分須賀さんの人生もなかなかの割合で組み込まれてるからなのかな?
とにかく主人公(監督)の狂気がすごかった…最後の方の感極まる感じも自分たちしか見えてない感がすごくて。
青いなぁという印象です。でも「青春映画」ならそれでいいのかもしれませんね。
この作品の意図は監督しか知らない
これほど胸糞悪い映画は初めてでした。B級映画以下作品。15歳と16歳の未熟で馬鹿すぎる話。一体何を見せられたんだ。主人公、帆高が金が無い為に陽菜を使って金儲け。言わば体を売らせてることだと思った。結局、陽菜の体が身を持たず一旦あの世?行き。そして、復活。「この感動の再会を見せとけばお前ら感動するんだろ?」的な。君の名は。に出てたキャラもサービス出演。「これ見せとけばお前らテンション上がるんだろ?」的な。帆高が捕まりそうになって須賀や警官に銃口を向けるシーン。帆高がスクリーン画面いっぱいに銃口を向けてるシーンがあったけれど、あれは鑑賞してる私たちに向けてるのかと思った。「お前ら、いつまで君の名は。を引っ張ってんだ?いい加減目を覚ませ」と。確か須賀の台詞で「この世界は狂ってやがる」というセリフがあったがあれは完全なる監督の思いだと思った。帆高は完全に頭がイってたがあれは監督自身を表してるのかなと思った。途中からBGMと描写の手抜き感も特に垣間見られた。これで感動して涙した人間はまだ世間を知らない人か、本当に純粋な心の持ち主かなと。十年後、二十年後、見たとき、今と正反対の感情を抱いて見ていると思う。否が応でも恐らくほとんどの人が前作の君の名は。と比べて見た人がほとんどだろう。そこを裏切ってきたのはある意味で評価できるのかもしれない。まあ、君の名は。であれだけ売れて、その余韻で今回の作品も興行収入あるのには間違いない。一生食っていける金は稼げた。作品として駄作を連発しようが、君の名は。の影響は底知れず大きい。さて、これからの監督はどうするのだろうか。いっそのこと、今まで甘酸っぱい青春物語を描いてきたのだろうから、今までとはかけ離れた作品を作ってほしい。その時が、あの作品を超える時なのかもしれない。話をまとめると、冒頭から帆高はクズだと思った。金稼ぎの映画なのかなと思った。一体何を見させられているのかと思った。これほど胸糞悪い映画は初めてだと思った。
なぜこのストーリーなのか?
天気をコントロールできるという、
特殊能力を持った少女が、
自らの命を犠牲にして、
温暖化による異常気象を治癒し、
たった一人で世界を救う物語、
かと思ったら、
ドタンバで少女は少年によって引き戻され、
世界は救わないという話でした。
よーするに、
「世界を救おうかと思ったけど、やっぱやめた。」
という不思議な話です。
「世界を救うために犠牲になるヒーロー」
とか、
「世界を救い、生還するヒーロー」
とかは、映画の定番ですが、
この映画の主人公は、
「世界を救わず、生還するヒーロー」です。
かなりレアです。謎です。
というか、もはやヒーローではありませんね。
ほぼ、ただの少女です。
これで映画になるのか?
という挑戦的なストーリーですが、
なぜか、鳥肌が立つほど感動するシーンが続きます。
この感動は、主に映像と音楽の力に支えられています。
音楽は、あのRADWIMPSです。
そして、見終わった後、
この不思議なストーリーについて
ジワジワと考えることになります。
救われなかった東京は、
まるでベネチアのような美しい水の都になります。
これでは地球温暖化の深刻な影響をなめている感がありますが、
自然は人と関係なくいつでも美しいものです。
そもそも地球温暖化は主人公の子供達のせいではありません。
馬鹿な大人達の責任です。
少年は、
「俺は、ただ、もう一度あの人に会いたいんだ」
と叫び、世界よりも女の子を助けに行きます。
彼は、世界にとってのヒーローではありませんが、
少女にとっては間違いなくヒーローですね。
観客が、この少女と少年の側に立つのか、
世界の側に立つのかで、
評価が分かれる作品だろうと思います。
しかし、世界ってなんですか?
なんにしても、
監督としては、批判は覚悟のうえの挑戦だろうと思います。
監督が、あえて、
子供達が世界を救わず生還する不思議な映画を造った理由は、
なんでしょうか?
ほかの誰よりも自分一人を選んでほしい少女や、
ほかの誰よりも一人の女の子を守りたい少年のための映画だからでしょうか?
公(おおやけ)のために
個人が踏みにじられることが許せないのでしょうか?
ましてや、馬鹿な大人たちのせいで
子供達が犠牲になることが許せないのでしょうか?
監督は、馬鹿な大人達のおこした問題、
たとえば戦争や環境破壊などのために、
子供が犠牲になるべきではないと主張しているのかもしれません。
だから、空気に流されて、
犠牲になりヒーローになろうとする少女を
あえて救い出したのかもしれません。
過去の日本の戦争でも、
沢山の子供たちが犠牲になりました。
沖縄戦では、爆弾を背負って
戦車に体当たりする子供たちがいました。(鉄血勤皇隊)
この子供たちは、当時の日本の空気では間違いなくヒーローでした。
沖縄戦の司令官は、
「諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」
と命令して自決しました。
よーするに「降伏するな、全員死んでヒーローになれ」
と言い残して責任を放棄しました。
そのせいで、さらに沖縄はめちゃくちゃになりましたが、
この司令官は、子供たちにも戦い続けろと命じていました。
空気に流されて犠牲になりヒーローになろうとする少女を
監督が批判を恐れず救い出したのは、
父親でもある監督に、「子供を犠牲にするな」という、
過去の戦争の歴史を踏まえた信念があるからだろうと思います。
でなけれは、このストーリーはありえません。
世界とは、大切な一人一人の集まりです。
興味深いのは、
なぜか、音楽を担当しているのが、
前作に続いて、
「御国のために全員死ね」的な
戦前仕様の愛国心バンドのRADWIMPSである点です。
この相反するコンビに
疑問を持つ人が多いだろうと思います。
しかし、この映画を支えたRADWIMPSは、
過去の日本による侵略を正当化するつもりなど全然ないし、
「御国のために全員死ね」なんてことも全然思っていないし、
戦前仕様の愛国心バンドというのも
不用意に間違ってあの時代の言葉を使っただけで、
完全に誤解だったということだろうと思います。
ちなみに、RADWIMPSを批判した、
戦後民主主義的な個人主義の人たちの多くも、
愛国心については感覚的に反発するだけで、
実はあんまり考えていなかったことが、
あのときバレました。
この映画は、
あの愛国心騒動に対する、
子供達のための、アンサーでもあるような気がします。
だとしたら、この映画のファンは、
愛国心について考える必要がありそうです。
東京オリンピック関連で、
いま応援ソング等を依頼されているアーチストが、
また同じミスを犯さないためにも、
そして世界をこれ以上分断させないためにも、
子供たちのために、
愛国心について考える必要があります。
国家というものが存続するあいだは、
愛国心は重要です。
オリンピックを楽しむためにも、
愛国心は欠かせないスパイスです。
ただし、曲げられない原則があります。
アシモフ風に「愛国心三原則」を提示するとしたら、
「愛国心の指す国とは、その国の一人一人の市民の集まりを意味していること」と、
「他国の市民と他国の愛国心をリスペクトすること」と、
「愛国心の多様性を認めること(反愛国心も含めて)」の三つです。
(誰か、もう少し洗練された表現を!)
たとえば、
日本の戦前仕様の愛国心の過ちは、
「国=その国の市民」ではなく、
「国=国体(天皇)」という愛国心のせいで、
日本の市民の命を紙屑のように扱い、
他国の市民と他国の愛国心をリスペクトしなかったせいで、
他国を侵略し近隣諸国の憎しみを買い、
愛国心の多様性を認めなかったせいで、
戦争に反対した愛国者と市民を弾圧し虐殺した点にあります。
(たぶん)
だから、
もう戦前の愛国心は捨てて、アップデートしましょう。
子供達とこの映画のためにも。
(コメントまたは「共感した!」をぜひ!!!)
観たら損
新海監督の作品は全て観ておりますが、もっとも意味がわからなく、救いのない映画です。
君の名は。の成功が無ければ批判が大きくなっていたでしょう。
正直言って、がっかりします。
夏休み娯楽映画
いくつものプロットを練った上での完成品ということだけど、「君の名は。」のような伏線もなくストーリーは単純。ちょっと怪しげな須賀の設定も、ウラの無い平凡なものにしてしまったようで、大人向けにはもう少し捻りが欲しかったかなぁ。本来ならもっとショッキングに描いてもよさそうな結末も、夏休み娯楽映画の爽やかさになっていて、現実の気候温暖化を糾弾するといった社会性は無い。
お約束で東京の街のディテールはゴミゴミと美しく描かれており、また新宿聖地巡りが流行ることは間違いナシですね。
最近深海作品を5本続けて観てしまったけれど、やはりこの監督は青春映画が作りたいんですね。
面白かった!けど、納得がいかない
*ネタバレ含みます
映画として、2時間楽しめました。面白かったです。見て良かったです。
ただ、君の名はと大きく違った映画ではなく、似たような要素が多くありました。(主人公が叫ぶ台詞の感じが似てる、クライマックスにかけてひたすら走るのも似てる、あの鳥居が別世界に続いているという設定も口噛酒を祀ったあの場所から別世界に通じる設定に似てる、龍神系や人柱という概念が、彗星が過去の神話や言い伝えからの設定というものに似てる・・・音楽も同じ製作者だからどうしても似てる。)
まーったく違った映画で、全然違うのに今回もおもしろい!と魅せられたかったので、そこが少し残念。
また、映画を見た方の中で、パラレルワールドなのではないかという考察が上がっています。天気の子には、みつはと瀧が明確に出てきます。
天気の子の二人が出会うのが2021年の夏で、その夏から雨が降り続きます。
君の名はで、瀧が就活をしている時に、2021年12月の手帳を見ているシーンがあり、瀧とみつはが出会うのはその次の春、2022年の春なので、東京は雨が降り続いており、君の名はのラスト(晴天です)は存在しなかったのではないかという話です。
なので、パラレルワールドなのではないかという考察です。
もし、本当にパラレルワールド設定なのだとしたら、とても残念です。
「世界のかたちを決定的に変えてしまった」から、あのラストはなくなっちゃいました、って、納得いかないです・・・。
自分で一生懸命作った映画の話を、自分でないものとするなんて、そんなことしてしまったら、映画って結局は作り話だから、要は「何でもアリ」じゃないですか・・・。
製作者は、物語に描かれている世界にリアリティを持たせようと頑張り、映画をみる視聴者は、物語に描かれている世界を一生懸命信じようと、のめり込んで映画を見ているのに、それを作者自身が意図をもって「世界のかたちを決定的に変えてしまった」から、「あのラストは、なくなったんです」と、壊したのだとしたら、ガッカリです。
こんな複雑なことは考えず、映画にのめり込んで、そこに描かれているメッセージを受け取ることに専念したいです。
大勢の幸せより、ひなちゃんを選んだ。
あの選択で、他の人の人生も変わってしまった。
世界がどんなに変わっても、狂っても、大丈夫。
それは分かるんですよ、それを描いてもいいと思います。
ただ、それを描いているリアリティの基礎が失われてしまうパラレルワールド設定は残念すぎます。
納得がいかない。
ので、もう1回映画を見たいと思います。。。。
走れ16歳
主人公の帆高がひたすら走る場面がある。
「これって24時間テレビの手法じゃん」て思った。
あと刑事の苗字が安井と高井なんて笑わせるし。それに、猫は確かに太るよね(笑)。
もう一度見たくなる作品
1回目7月29日、2回目11月19日に映画館で鑑賞しました。
他のレビュアーの方々もおっしゃっていますが、とにかく映像の美しさと音楽の素晴らしさが本当に魅力的な作品です。低評価を付けているレビュアーさんでも映像と音楽に関しては褒めている方も多いというところからも、レベルの高さが伺えます。ストーリーも(賛否両論ありますが)とても良かったと私は思います。
ストーリーに関する考察や評価は私以上に素晴らしいレビューを書かれている方が多くいらっしゃいますので割愛し、私は低評価のレビューをされている方の意見を見て、「私はこう思ったよ」という反論というか弁明を書いてみたいと思います。
①主人公穂高の家出の理由が不明な点
本編で穂高が何故離島から東京まで家出してきたのか、詳細は語られません。これに関して否定的な意見をしている方が多く見受けられました。しかしながら、私は穂高の家出の理由は「特に語る必要性は無い」と思います。若さゆえの家族との対立、ここではないどこかへ行きたいという思春期の少年の願望。ネットカフェのシーンでよく出てくる「ライ麦畑でつかまえて」からも大人への反発がなんとなく感じられます。具体的な家出理由が語られずとも、「思春期特有のやつだな」みたいなニュアンスで感じられれば十分のように私は感じました。
②スポンサーの商品やロゴが頻繁に出てくる点
ローソンのからあげくん、ソフトバンク、マクドナルド、Yahoo!知恵袋など、映画本編には多くの実在する企業の商品が実名で登場します。これに対して「スポンサーに媚びている」とか「せっかく映画を見てるので興ざめした」という意見をよく見かけました。
しかし私個人的にはこれら実在企業の登場は「リアリティのある東京描写」を演出するために上手く活用されていたように感じ、むしろ好感が持てました。「スポンサーに媚びてる」という意見もありましたが、糞みたいな回答しか返ってこない知恵袋とかどこにいるかも分からないソフトバンクのお父さん(犬)とか、媚びてるようにはまったく思えませんでした。
③穂高と陽菜の関係性が深く描かれておらず、穂高が「東京を犠牲にしてでも陽菜を選ぶ」というのが納得いかない
新海監督が「賛否両論ある」とおっしゃっていたのはここでしょう。前作「君の名は。」が最終的に三葉も助かり村の住民も助かり瀧と再会するという誰目線で見てもハッピーエンドなのに対し、今回は東京という街を犠牲にして得た結末なワケです。そのため「この子のためなら他を犠牲にしてもいい」と穂高が陽菜に対して思えるような描写が無ければ視聴者は絶対に納得できません。
しかし私は「他を犠牲にしてもいい」と穂高が思えるような描写がしっかり盛り込まれていたように感じました。それは「穂高と陽菜が出会うマクドナルド」のシーンです。
映画冒頭で、「お金」「他人への無関心」が多く描写されていました。具体的に言えば須賀が穂高に食べ物を奢らせるシーンやネットカフェの店員とのシーンです。須賀もネカフェ店員も、サービスの対価としてお金を請求しますし、穂高に対しては無関心です。ネカフェ店員はびしょ濡れの穂高に対して心配の一つもしてくれません。そして穂高は「東京って怖ぇ」と言うわけです。東京の「お金」「無関心」にすっかり参ってしまった穂高は、お金も尽きかけチンピラにも絡まれマクドナルドで安いスープを夕食に、机に突っ伏します。そこに手を差し伸べてくれたのが陽菜なのです。陽菜は東京の人間で初めて、穂高に対して「無償で」「心配を」してくれました。今まで穂高が東京で出会った人たちとは真逆です。この体験は穂高にとってあまりに衝撃的で、そして感動的であったことは想像に難くないですし、私はこの体験だけで「他を犠牲にしても陽菜を選ぶ」のに十分な描写だと考えました。
もちろん、これは私個人の考えですし、「ビックマック奢ってもらったくらいで東京犠牲にするな」という意見も至極当然ですので、一つの意見として述べさせていただきました。
長々と書き連ねましたが、ご覧いただきありがとうございました。
何を伝えたいのかが見えてこなかった
陽菜と帆高の純愛を描きたかったのか、地球温暖化への警鐘を鳴らしたかったのか・・・?
作り手がこの作品に込めたメッセージを受け取ることができませんでした。
物語のキーとしてピストルを使う意味も判らない。
そこまで深く二人の関係性が描かれているとも思えなかったし。
共感できる部分がなかったかも。
でもとてもヒットしているということなので、私の感性が鈍いということ。
それもまた悲しい。
「君の名は」は超えられなかったかな??
新海誠監督への事前インタビューで惹かれる人と惹かれない人に分かれるというお話をされていましたが、今回の作品はあまり惹かれませんでした。
私が惹かれなかった点が3つあります。
1.「君の名は」効果で一気に人気になってしまった事でたくさんのスポンサーがついてしまい、常時何かしらの会社の広告が流れている状態になってしまっており、長いCMを見ているようだった点。
次回作品からは、映画のスポンサーを制限し、映画に流れる広告数を減らすべきであると思った。
2.「君の名は」では、自然の風景と東京の都会の風景の調和が取れていたが、今回の「天気の子」は、東京の新宿が主な舞台なので、新宿の歌舞伎町などのネオンの光や新宿の人の多さで、目が疲れ、酔ってしまった事。
次回作品からは、都会を使うにしても、人が多い所やネオンが強い所は長い間使うのはやめてほしいと思った。
3.ファンの方には申し訳ないが、小栗旬さんの声が合っていないと思った。
多分、監督などからの要望があったとは思うが、声が低すぎて、絵のキャラクターとの声のギャップを最初の場面から感じた。
普通に、映画の時より少し高い本来の小栗旬さんの声の方が絶対に良いと思った!!
また、この作品は、RADWIMPSの曲のお陰で成り立っている作品だと思いました。
RADWIMPSの曲が無かったら、もっと評価が低かったと思います。
また、「天気の子」は、次の作品に繋げる事が出来そうな印象を受けた。よって、次回作品に期待したい!!
初見何も考えず見るのが吉
他のレビューを見ると恥ずかしいが
ストーリーは驚きの連続だった。
世界に没入できたし映像と展開に圧倒された。
ヒロインが魅力的。
憧れを抱くのにセリフや優しさに十分な
説得力がある。
2回見たが初回の方が
2つ年上としての陽奈さんのセリフが素敵で
リアリティを持って強い憧れを感じて
視聴することができた。
視聴後これだけ自由な表現・映画が生まれる
日本に生まれて良かったと思ってしまった。
新開監督やスタッフには ただ感謝しかない。
ラーメンじゃなくて二郎という感じで新海誠
「これが新海誠か」と思ったね。《君の名は。》は初めて観た新海誠作品だったから、こっちが慣れてなくて解らなかったのかも。
作り方が、これまでのドラマやアニメと違うんだろうなと思った。「脚本があって、演出があって」って感じじゃなくて、初めから完成版がバチってできる感じ。
シーンのつなぎ方が弱いんだよね。「これがあって、次はこのシーン」って感じより、色んなシーンをぶつ切れに入れてきて、少しアート作品に近い。
観始めたときの印象は良くなかったんだよ。アバンタイトルは最悪だしね。それからだらだら説明続くのもどうかと思ったし。
家出してきた子供に『少年』なんて呼びかけるの、ヲタクの妄想の中にしか存在しないし。「キャラの配置が前作と同じだぞ」って感じするし。
それでも少しずつ面白いと思うところも出てきて、途中は物語を観るってより「これ、構成どうなってんの?」って分析しながら観る感じだったな。
ラストに向けては入り込んでいくようになってるから、入り込んで、畳み込むようにクライマックスシーンで、「応援上映ほしいわ。ここ一緒に手拍子だろ」と思ったり、「このファンタジー展開はジブリか」と思ったりしながらね。
『ここで音楽バーンって入れて、こう盛り上げて』っていうのが作り手に最初にあるんだろって気がすんの。そこに向けて色んなピースをはめ込んで作品にする感じなのかな。
テーマになってる「世界がどうなろうと、この人を選ぶ」は共感した。恋愛ってそういうもんだと思うね。同時に、そんなこと言うのは、恋愛経験が乏しいヲタク脳だって気もするね。
《エヴァンゲリオン》について人から聞いたとき「今まであった色んなものをまとめただけ」って話があったんだけど、新海誠もそれっぽいところある気がした。ここ十数年のアニメの流れだとか、「セカイ系」とか、僕が良く知らないジャンルの何かがまとめられてんのかな。
《ラーメン二郎》ってラーメン屋があって『二郎』って呼ばれてんだけど「『二郎』は『二郎』であって、ラーメンではない」ってマニアには言われてんのね。そんなかんじで新海誠は新海誠だって気がした。
新海誠作品いちから観て、色々勉強せなあかんなと思ったよ。
スケールダウンした『君の名は。』
「『君の名は。』が好きだった人達の評価はイマイチ……」
そんな事前情報のみで観に行きましたが、確かに話は薄っぺらく地味でした。
しかし、私は「いつもの新海誠じゃん、特に『君の名は。』と内容ほぼ一緒じゃん」と思いました。
私は『君の名は。』もそんなに好きではないのですが、今回の天気の子は「思っきりスケールダウンした『君の名は。』」という感想です。
スケールダウンしたと感じたのは舞台がほぼ「新宿」のみであったこと。どうしてこんな規模の小さい話にしたのだろう?お金あるのになぜド派手な世界観の話にしなかったのだろうか……と感じました。
新宿(御苑)といえば『言の葉の庭』ですが、こちらは少し大人の話ですし、作品自体がコンパクトであったので新宿という舞台が活かされたお話でした。
しかし今回の主人公達はかわいいタッチの少年少女。舞台の新宿とはミスマッチであり、新宿の町の描き方も汚すぎることもなく、華やかすぎることもなく中途半端に感じました。
つまり、多くのスポンサー様の商品を出現させるため『君の名は。』の舞台を新宿に移したとしか私には思えませんでした。
私は作中で現実にある商品が出てくると、いまいち作品の世界にトリップできません。現実逃避がしたくて映画を観にきています。
また話の展開がとても地味だったので、どうせ新宿を舞台にするのであれば、
「晴れ女」がマスコミに取り上げられて荒稼ぎする3人、東京で大成功するもネットで「カルト」と大炎上、袋叩きにあいメンタル病む陽菜、晴れ女ビジネスを辞めたいが彼氏の帆高が金をせびりにくるので仕方なくバーニラバニラで求人を探し、それを見かねた凪が手切れ金を稼ぐためホストクラブへ入店……
というような新宿らしい展開があっても良かったのではないでしょうか。
あとは、そもそも帆高の家族についてほとんど描かれないので、終始「薄っぺらいキャラだなぁ、早く家に帰れよ。」と大人目線でしか見ることができませんでした。また、終始拳銃を持ち歩き、人に向けまくり、最終的に周りの人間を犯罪に巻き込みまくるので非常にイラつきます。
一見悪役かのように描かれる警察も、非行少年帆高に巻き込まれた被害者ですよね。
また、警察署からいとも簡単にすり抜け脱出する帆高。原付を全く止めようともせず帆高を乗せる夏美のシーンは笑いました。
そしてラストまで見た私の感想は「それで……??」という一言につきます。
最後に、声優関しては、もはやメインどころを声優でない芸能人が演じることを避けられない現実が悲しいばかりです。アニメ映画は「字幕で見る」という選択肢がありません。
本田翼さんは下手でしたが、あの適当なしゃべり方が意外にも活きていました。しかし下手だなぁ…、と気にはなります。
須賀の方は、格好つけて喋る小栗旬さんの顔が浮かんできてあまり集中できませんでした。
全737件中、301~320件目を表示






