天気の子のレビュー・感想・評価
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余計なことを考えずファンタジーを楽しめる子供は純粋に楽しめそう。 ...
余計なことを考えずファンタジーを楽しめる子供は純粋に楽しめそう。
敵役として警察や行政を持ってくるのは違和感を覚えた。最近多い気がする。子供を主軸に舞台を現代社会とするとそうせざるを得ないのだろうか。
それから繁華街に暮らす子供を描くにしては中途半端だった。
人柱の少女とそれを救いたい少年を描くのに裏社会をチラ見せ程度に描いたのはどういう意図からなのか是非知りたい。穂高の背景がほとんどわからなかったので彼の行動が本当にわからなかった。
結末は良かった。
当人たちからしても世界からしてもメリーバッドエンドというところ。
瀧と三つ葉が出てきたことで君の名はとの関連性から想像や考察ができそうだ。
ただ前作と地続きの話だとすると、前作のラストシーンと矛盾する。ただのファンサービスであって、天気の子はあくまでパラレルワールドなのだろうか?そうならば残念だ。
また、せっかく憧れの東京に出てきた彼らが水害に巻き込まれていると思うと哀れだ。
そしてもし次の人柱が現れたら、彼女とその回りの人々はどのようなわ選択をするだろうか。
再レビュー 新海誠の世界だった
前作の[君の名は]とは違い、大衆向けの内容でもなかったと思います。監督が仰っていた通り、賛否両論ある内容でした。
自分的には有りです。10人同じ感想にならない、とても良い映画です。
ただ一つ言わせてもらうと、前作との結びつきは無くても良かったかと...それだけ気になりました。
再レビュー
2回目を見に行きました。
1回目見たあと、CMや主題歌を聞いている内に、改めて見たくなり見に行きました。
1回目の時よりストーリーやキャラクターの感情が理解出来て、2回目の方が感動してしまった...w
レビューやSNSでこの映画を面白いと感じる人を非難したりするコメントをよく見かけます。
映画自体を非難することは分かりますが、面白いと感じることや、つまらないと思うことは自分だけの感性や感情であり、誰かに非難される筋合いはないと思います。
自分は面白いと思いますし、前作より好きです。
駄文悪しからず。
『代償』の存在する世界
映像美、音楽、声優(俳優)さん達の演技、ストーリー。それぞれ総合した点数ですが、この場にはストーリーに対する感想(というか極めて個人的な考察)を書きます。
前作『君の名は。』はとても好きな作品です。しかしひとつ引っ掛かったのは、瀧くんと三葉が行った現実改編には代償が伴わないんだな、ということ。
起こってしまった悲劇を、過去に遡るなりして無かったことにする。比較的ありふれたストーリーだと思いますが、同時にこういった物語で描かれがちなのが『現実を作り替えたことによる代償を支払わされる』という展開だと思います。
現実を生きる私たちには、過去に戻ることも、犯した過ちを無かったことにすることもけして出来ません。『やり直すことが出来ないからこそ、今を必死に生きなければならない』というメッセージの裏返しとして、こういった展開は描かれるのだろうと思います。
今作『天気の子』もまた、起こってしまった悲劇を無かったことにする物語です。それも隕石落下のような誰の過失でもない自然現象ではなく、主人公の選択の結果として起こる少々自業自得にも思える悲劇をです。そしてこの現実改編には、大きな代償が伴う。しかもこの代償を支払うのは、主人公やヒロインではなく世界全体です。
主人公とヒロインの選択により、失われた『普通』の東京。今日結婚式を開く誰かのため、花火大会のため、喘息に苦しむ子供のためにも晴れていなければいけない東京の空が、もう永遠に晴れない。では、帆高の選択は誤りだったのか。彼らは自分勝手な選択をしたのでしょうか。
そうではなく、私はそもそも『普通の東京』こそが普通ではなかったのではないかと思いました。瀧くんのお祖母さんが言っていた通りです。元々沼地だった江戸を誰かが干拓し、造成して今の東京を作り上げ、それがいつの間にか『普通の東京』になったように、私たちが胡座をかいて『普通』と思っている全てが実は普通などではないのではないか。普通を成立させるためには、影に誰かの努力があり、犠牲があるのかもしれない。けれどそれが想像されることはほとんどない。
ふと思い浮かんだのが、かなり毛色の違う話にはなりますが、24時間営業コンビニについての労働問題です。働いている人がもう無理だと声をあげなければ、私は夜中も開いているコンビニをごく当たり前のものと思って生きていただろうし、それを成立させる苦労も知らずにそれが普通だと思っていた。
それと同じように、もしかしたらあの世界でも、ここ百年あまりの人間にとっての『普通』を維持するために、毎年陽菜のような生贄が捧げられていたのかもしれません。
人知れず生贄に選ばれた陽菜、彼女は前科者になってでも(あるいは殺人者になってでも)自分を引き留めようとする帆高がいなければ、きっとこの世界には帰ってこられなかった。何かの犠牲にされるとき、人が一人でそれに立ち向かうのはとても難しい。
たった一人の犠牲で普通が維持されるならむしろ大歓迎。須賀がそんな意味のことを言っていました。酷いことを言うなと思いましたが、しかし冷静に考えてみれば、現実も大体同じように回っている気がします。青い空の見える世界が普通、それが維持されないとみんなが困るとなったら、少しくらいの犠牲は仕方がない、あるいは当然のこととみなされる。
身近な誰かが晴れ女になってしまったとき、永遠に『普通』が訪れなくてもあなたが幸せならそれでいいと言える自分でいたい。けれど同時に、もし自分に須賀のように喘息で苦しむ娘がいたら。誰かの犠牲を黙って見過ごすのではないだろうか。
自己責任論が声高に叫ばれ、自分のしたことの責任は取れと強いられるわりに、自分ただ一人のためだけに生きることも許されないこの社会で、見えない人柱に気付くということ、せめてそれを想像しようとすること。その必要性を、私はこの映画のテーマとして受けとりました。
陽菜も帆高も、加藤浩次も、トニー・スタークにならなくていいんだよ。
『君の名は。』みたいに泣かなかったけど、どっちかと言えば『天気の子』のほうが好き。
「圧倒的な映像美と音楽の相乗効果で感動を楽しめる!」的な話は、たぶん公開初日に3億人くらいの人が言ってるだろうから書かない。…と言いつつ書くんだけど、確かに映像表現として「街・空・雨・日差し・雲」のキレイさは目に快感だし、RADWIMPSの音楽にもエッモエモに盛り上げられるし、さらに公開時期と作中の季節感がぴたっと合ってるし、「夏休みエンタメ」として映画館でたくさんの人に観られたらいいと思う。
作中に『君の名は。』の2人がちょい役で出てくるとか、ソフトバンクの「犬のお父さん」が2回チラッと出てくる(ちゃんと見つけれた!)とか、そういうイースターエッグも楽しくていいんじゃないかな。個人的には物語への没入感を削がれるのであんまり好みじゃないけれど。
今作は、主人公帆高がヒロイン陽菜に恋する“ボーイミーツガールもの”のように見えて、実はそれほど恋愛映画じゃないから、『君の名は。』的な感動を求めて観る人には、少し物足りないかもしれない。
どちらかというと『天気の子』は、主人公帆高が自立を目指し、他者と関係を結び、自分の居場所を決めるまでの“少年の成長もの”という要素が強かったのかな。個人的にはそっちのほうが好みだから、僕には良かった。
『天気の子』を映画館に観に行く価値としては充分だし、満足。
加えて僕がいちばんグッと来たのは、宇多丸さんをはじめ多くの作品評でも触れられているように、「新海誠がセカイ(系)について自己言及して、自己相対化を経て、世界へと再定義していること」だと思う。なかなかにチャレンジングなことだと思うけど、ちゃんとエンタメ大作としての役割を踏まえた上でやってるのがエライなと思う。「セカイから世界への再定義」は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で庵野秀明もやっていたことだと個人的には認識しているんだけど、あまりに突然のド直球すぎて阿鼻叫喚の地獄絵図だった(笑)。それはそれで面白かったけど、さすがに新海・川村(元気)コンビはやり方がスマートだなと感心した。
ちなみに“セカイ(系)”についての定義と評価はこんなところか↓。
【セカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、代表作として新海誠のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作があげられた。
「世界の危機」とは全世界あるいは宇宙規模の最終戦争や、異星人による地球侵攻などを指し、「具体的な中間項を挟むことなく」とは国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれることを指す。セカイ系の図式に登場する「きみとぼく/社会領域/世界の危機」という3つの領域は、それぞれ「近景/中景/遠景」(別役実による)や「想像界/象徴界/現実界」(ジャック・ラカンによる)といった用語に対応させて言及されることもある。
こうした「方法的に社会領域を消去した物語」はセカイ系諸作品のひとつの特徴とされ、社会領域に目をつぶって経済や歴史の問題をいっさい描かない点をもってセカイ系の諸作品はしばしば批判も浴びた。つまりこの時期にはセカイ系とは「自意識過剰な主人公が、世界や社会のイメージをもてないまま思弁的かつ直感的に『世界の果て』とつながってしまうような想像力」で成立している作品であるとされている
(中略)
これらのセカイ系作品については前述したように社会領域を描いていない点を批判された他、集英社コバルト文庫の看板作家だった久美沙織はセカイ系作品をとり上げた際に、少年が戦闘せずにそれを少女に代行させ、その少女から愛されて最後には少女を失うという筋書きは「自分本位の御都合主義で、卑怯な責任放棄」に過ぎないと述べ[18]、評論家の宇野常寛は「母性的承認に埋没することで自らの選択すらも自覚せずに思考停止」していると断定した。
[From セカイ系 - Wikipedia]】
“セカイ(系)”についての是非や議論は、2000年代に終息した感じになっていたけど、2016年の『君の名は。』によって、新海誠の作家性や童貞性(!?)、そして東日本大震災の文化的克服論と共に、再度「セカイ系」という文脈が語られていたように記憶している。乱暴にまとめると、「『君の名は。』はバカ受けしたけど、やっぱ新海誠なだけにセカイ系だよね!」という感じかな。
そのへんの評価に対しての新海誠の回答として、本作『天気の子』のラスト展開があったということが、グッと来たところ。
「セカイの中心でアイを叫ぶきみとぼく」は、確かに自分本位の自意識過剰なヒロイズムなのかもしれない。でも世間や社会がアテにならない閉塞感や煮詰まり感もある。「共同幻想と自己幻想の逆立」的な正しさのもとに、個人の犠牲に無頓着なのは「社会領域」だって一緒じゃん、政治に文句は言うけど、半分以上は選挙行かねー社会なんだもん。
“愛にできること”は、地球や世界を救うことではないし、「セカイか?きみか?」の二択問題に正解を選ぶことじゃない。この世界できみと生きていこうとする、私的で小さな勇気だ。その勇気を奮い起こすのが「セカイ系的な情熱」なら、それはそれでいいじゃん?若いんだもの、大丈夫。
だから出発点は「きみとぼく」でいいんだ。そして「きみとぼく」だけで生きていけないことはわかってる。だから「きみとぼく」で生きていこうと決めた場所を、居場所として受け入れることができれば、それは“セカイ”ではなくて“世界”になる。
『天気の子』はそういう話だったんじゃないかなと、僕は思う。
陽菜も帆高も、加藤浩次も、トニー・スタークにならなくていいんだよ。
アニメのいいところは現実にない色彩や効果を表現できる点です。しかし...
掘り下げ不足、終始ハテナが頭上に浮かぶ
映像が綺麗なお陰でそこまで退屈ではなかったのですが、主人公の帆高は終始ヒロインやお世話になった人や警察に追われてもなお頑なに「地元には帰りたくないんだ。」の一点張り
多分深い事情があるんだろうなあ、ネグレクトとか虐待とかいじめかな?って思い中盤や最後で掘り下げてくれると思いきや最後警察に捕まり、普通に地元で三年保護観察と卒業式を迎えて、何故そこまで地元に帰りたくなかったの???と尚更主人公にむかつきました。
主人公が大人しく最初地元に帰ってれば小栗旬のキャラや本田翼のキャラ、ヒロインの人生を棒に振ることは無かったでしょう…。
天気の巫女に関しても掘り下げ不足を感じました。適当にサブキャラクターにそれっぽい厨二ワードを並べて解説感が半端無かったです。
主人公に感情移入出来れば多分泣けると思うし面白いと思います。ただ、君の名は。の瀧くんのやさぐれた現代っ子の子供感とは違い本当にただ私利私欲自分のワガママだけでお世話になった人の恩を仇で返す、一人の女に狂ったサイコパス童貞というイメージしか沸きません。
どちらかと言えば大人側に感情移入できる映画でした。
そりゃ急に「この夏の晴れが帰ってきたのはヒロインが犠牲になったからだ!!」って叫びだしたら頭おかしくなったのか?って普通思いますよね。
感受性豊かな方や子供なら感動できるのかなーって思ったけど、あまりにも重い犯罪と聖地巡礼には向かないラブホ街連発で子供にはすすめたくない映画です。
映像音楽最高!ストーリーと設定が、、。
IMAX劇場で観ました。雨と晴れのコントラスト、花火などの映像美が素晴らしく、引き込まれます。また前作同様に音楽とのマッチングも素晴らしく、最後まで映画を引っ張って行ってくれます。
しかし、後半で回収されて行くと思っていたストーリーの疑問点は全く放置されたまま、なぜ晴れ女になったのか?晴れ女になった因果とは?そしてそもそも晴れ女とは??、相手役の帆高も家出の原因やバックボーンの描写が浅く、シャイでまじめなのか、少しキレやすいのか突然銃をぶっ放したりするので、その辺もキャラクター設定が甘く、最後まで感情移入できない。
2人がそこまで強く惹かれ合うのも分からないし、なんだか世界や周りが全く見えてない、恋に恋してる中高生を見せられてるようでした。
そして何より、前作「君の名は」の登場人物を、安易に登場させて、君は見つけられたか?ゲームをファンにさせて盛り上げるというような事に作品の時間を使って欲しくなかった。作品への純粋な没頭が無駄に失われました。そういう遊びは、トイストーリーとかで見るくらいがちょうどです。
総じて、本編でのキャラ設定、描写の甘さ、伏線の未回収や因果の未説明を、すべて「裏設定」という事にしてしまうのは、単なる脚本や演出の粗さ、未熟さからの、逃げです。それをファンがこぞってネットで詮索して、絶対2回目、3回目を観に行く!と盛り上がってても、それはアイドルのファンがCDを5枚6枚と買う事と同じくらいしょうもなく、こちらは本当に醒めてしまいます。
高い技術に支えられた革新的な映像美と、素晴らしい音楽に引き込まれただけに、肝心の作品の中身、ストーリーは少し残念でした。また次回作に期待します。
RADの曲と映像の美しさが良し◎
映画館を出た後、暗い気持ちになってしまった...
天気の題材は珍しいと思い、初日に鑑賞。
映像は素晴らしいの一言。物語も細かい部分で気になった点はあるものの、いいと思うし、音楽もよかったのです。
しかし、演出が音楽に助けられているように感じました。
肝心の映像や物語は残らずに音楽の印象が強く残っています。
また、ラストはハッピーエンド?バッドエンド?なのか未だに僕の中で整理中。一つ言えることは、見終わって劇場を出た時に暗い気持ちになってしまった。
「天気って不思議だ。ただの空模様にこんなにも気持ちを動かされてしまう」と劇中であるが、見終わって晴れ間なのに暗い気持ち(※因みに劇場に入る前は曇りのどんより空、見終わった後に晴れ間)だった。
そこが残念だった部分でした。
現実がああなってしまったら「どうしよう...」と本気で考えた映画だった。
見終わってから1週間経過。
エンディングでヒロインは救われるが、代わりに東京の大部分が水没してしまった。
この終わり方に何か引っかかっていたが、ようやくわかった。
復興しようとする人々が描かれていない。日本は東日本大震災や阪神淡路大震災、水害と災害にあってきたが、そのたびに時間はかかるが復興に向けて努力をしてきた。
エンディングは3年経過しているので、なにかしら(降り続く雨に対処法がなかったかもしれないが...)そういう画を見せてくれれば、印象が変わったのではないか?(そういう場面があったらすみません、見落としです)
※ただし、やはりあの映像は素晴らしいし、何よりもアニメーション制作・完成させるのがどれだけ大変かはよく知っています。
スクリーンで見るべき作品の1つであるとは思います。
新海誠セカイ系最高傑作 メッセージはシンプル 教育的作品ではない
新海誠がデビュー作から描き続けている、2人の愛と世界の破滅が関係するセカイ。「天気の子」は、ぶっちぎりな純粋愛をダイレクトに表現した新海誠からのメッセージである。全くブレのない作品。観客は、ただ純粋な愛の力に打たれ、憧れるだけで良い。社会の複雑さや難しさやセカイそのものだって純粋な愛の力の前にはどうなったって構わない。まさに新海誠のセカイ系である。リミッターは完全にふりきれている。
「天気の子」は新海誠ファンの私にとっての最高作品。
4回観たが20回は観るだろう。映像・音楽ともに素晴らしい出来である。IMAXシアターで大画面の空を少し見上げるような席での鑑賞をオススメする。
【7/29追記】
新海誠監督からのメッセージはシンプル。映像とセリフと曲と歌詞を観て聴けば良いだけ。それで足りなければ、映画館を出たあと、アルバムを聴いて、映画館に行く前にアルバムを聴けば良い。
帆高は陽菜の愛を選んだ。東京が雨に沈んでも…。
【9/13追記】
9/10グランドシネマサンシャインのIMAXにて鑑賞。そろそろ10回以上は観たと思う。IMAXシアターの中でもグランドシネマサンシャインの最新のIMAXは素晴らしい。
平日日中にも関わらず、それなりの観客が入っていた。
さて、新開誠セカイ系に現代社会の社会性を組み込んだ上で若者にメッセージを伝える本作だが、やはり、観客の反応は人それぞれだ。私のように憧れを感じる中年もいれば、鑑賞後、東京沈めちゃっていいの?と呟く観客もいる。メッセージはシンプルで若者に向けられているが、そのメッセージをどう思うかは人それぞれであろう。それで良い作品である。教育的作品ではない。
【10/23追記】
4DXを観た。濡れる風が吹く揺れる体感が良かった。編集が少し違う気がしたが勘違いかもしれない。そろそろやっている映画館も減ってきた。残念である。
最近は、小説版を読んでいるが面白い。新海誠監督があとがきで、「天気の子」の成り立ちについて書いている。そこに「映画は学校の教科書ではない」…いささか遅すぎる決心だったかもしれないけれど、と書いている。
まさにその通りだと思ったとき、カバーが外れた。カバーの裏には新海誠のサインとありがとうございますの文字が…まさかサイン本だとは思わず風呂でも読んでいた。濡れ跡がくっきり付いたサイン本を読みながら、新海誠監督って観る人のことをとても気にしているんだと思った。セカイ系の大監督って大変!とも思った。これからもセカイ系の大監督を続けて欲しい。
大丈夫
前作と比べることに意味を感じませんのでここでは述べません。
楽しく、そして感慨深く観られる映画でした。
エンターテインメントとして捉えることも何とか可能でしょうが、私としてはその点はどうかな?と思われました。
しかし監督があえてこの映画を夏休み公開の一般向け作品として作った意味は感じとる事はできたと思っています。
感想ですが
エピローグでの「大丈夫」の歌い出しで鳥肌! これに尽きる!
この映画はこのシーンのために作られたんじゃないかと思わせられた。
この曲に全てが表されており、それゆえCM等への露出が(タイトルは漏れてましたが)全くなかった事に納得もいきました。
それくらいラストの坂の上で陽菜が祈っているシーンでのインパクトが強烈でした。
あの坂の上で陽菜が何を祈っていたのか、3年間何を思って過ごしていたのか、帆高はそれとどう向き合っていくのか。
そしてあの決断をどう受け止めるのか、 沢山の事を観客に投げかけてエンディングを迎える。
「僕にできることはまだあるかい?」 → 「君の大丈夫になりたい」 帆高、頼んだぞ!
「風呂交代っ!」のハイタッチは天野家の儀式的なものなのでは?(気のせいでなければ帆高はタイミングがあっていない)
おそらく母と暮らしていた頃にもやっていたんじゃないかな... とか思って楽しいシーンの中にグッとくるものがありました。
刺さる人には突き刺さる
及第点だが
それは違うと思う
RADWIMPSがいい仕事してる
会社の飲み会の後に時間があったのでフラッと映画館に。
気になっていた天気の子のレイトショーに入るとほぼ満席の大盛況。
事前の予告編など何も見ていない状態で観てみました。
新海誠さんの作品は昔から好きでした。
君の名はは新海誠さんの作品には珍しいハッピーエンドで、とても面白かったけども世間のニーズに合わせたのかなとも思ってしまいました。
今作はどうなのかなと期待しながら観ました。
実際観てみると表題にあるように、RADWIMPSの音楽がすごくいい仕事してるなって思いました。
ネタバレしない程度に書くと、確かに設定としてはぶっ飛んでいるとも感じましたけどもアニメだからむしろそれくらいでいいとも思います。
アニメだからできる話を最高のクオリティで作ってくれたなって思いました。
登場人物もみんないいなって思いました。
小栗旬さんや本田翼さんが声をあてていますが、すごくしっくりきました。
後半にテンポが良くなってラストスパートをかけてくる感じが君の名はを好きな人にはハマるんじゃないかなと思います。
僕はお薦めできる映画としてレビューします。
生き抜く強さが本当のテーマ?
2回目の鑑賞です。
公開から1週間。
大ヒット作の君の名はとの比較や酷評が多く見受けられることは残念だなと思いますが、、
ラストシーンでの主人公帆高の言葉、
「僕たちはきっと、大丈夫だ」
狂った世界、いや、壊れてしまった世界でも、
未曾有の災害が起きてしまっても、私たちは少しずつだけど、確実に前に向かって進み生きている。
私は天気の子には生き抜く強さを教えられました。
ラストシーン、ここ数年の災害のことや色々なことを考えてしまい涙が溢れました。
設定うんぬんがつまらない、理解できない等、映画を観て感じることは人それぞれ。
それでも私は今作の天気の子はとても勇気をもらえる作品でした。
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