天気の子のレビュー・感想・評価
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「決断の行方」
キャラクターの造形、背景のあざやかさは、前作と変わらず高いクオリティで安定。
私が特に印象に残ったキャラは、夏美と凪でした。
どちらもキャラが立っており、そういった見方では、主人公である帆高と陽菜よりも魅力を感じました。
また、前作のキャラたちがさりげなく登場する場面は、とても微笑ましい演出でありました。
何故、まだ少年である帆高が、単身東京まで家出する事になったのか・・・この辺りをもう少し描いていたら、もっと帆高に感情移入できたかもしれません。
物語を締め括る帆高の決断は、またスケールと世界が異なりますが、私は原作漫画「風の谷のナウシカ」ラスト間際におけるナウシカの決断を思い出しました。
陽菜は救えましたが、その代償はあまりにも大きく・・・まさに晴れのち雨、結末は曇り。
ただ、この先もしかしたら続編があり、雨に沈んだ東京を復活させる作品が・・・これはあくまで、私の観測的天気の子予想ですが。
映像は綺麗
やはりこの監督の作る作品は映像美が素晴らしい。それだけでも見る価値はあると感じる人はいるかもしれない。
しかし、ストーリーは見るに堪えない。誰かの子供が喘息だとかなんだとか、銃のくだりだとか、回収される気が全くない伏線が時間の無駄になっている。一方で感情移入する上で必要であると思われる主人公一行に対する掘り下げがなさすぎる。
その上、映像が現実にかなり近い分、ご都合主義で自分勝手な展開が目に余る。ファンタジーと言えばそれまでだが、現実離れがストーリーの面白さにつながってなければファンタジーとは言えないだろう。ただただストーリーとしての詰め込みが甘いとしか言えない。
まとめると、新海誠監督夏休みスペシャルとでも題することのできる映画。
オチを含めて、この映画を楽しめる人はよく言えば純粋無垢、悪くいえば自分勝手(自分さえよければそれでいい)で周りへの思慮が足りない人だろう。自分は腐っても楽しめる人にはなれそうもないが、彼女にするならこの映画を楽しめる人がいいかもしれない。
子供への暴力シーンが……
個人的には「君の名は。」の方が好きです。というのも、今作は少年への暴力的なシーンがあって、ちょっと引いてしまう部分がありました。ヒロインが水商売の勧誘受けるシーンなども、アニメで観るとちょっと気持ち悪かったです。こういうシーンがあるなら実写でも良かったかなー、と思うところがありました。楽しいシーンより先に暴力的なシーンがあるので、楽しさ半減というか、綱渡りしているかのような不安があって心から楽しめなかったような感じです。映像や楽曲はとても素晴らしい。監督が賛否あるかもとしていたラストも、私的には全然アリでした。色々書きましたが、総じて面白かったです。
小説を読むのと読まないのとで大違い
まず、称賛だけのレビューではないのでお気をつけください。
二回鑑賞済みです。
一度目は特に前情報なしに、二度目は小説を読んだ後に行きました。
まず一度目に感じたのは憤りです。
映像自体は新海監督の作品らしく他の追随を許さないほど綺麗です。神宮外苑花火大会で晴れを呼ぶシーンなんかは神々しささえ感じられるほど。でも話の内容には相当な不満を抱きました。なんなんだこのストーリーはと、むかむかともやもやを抱えて帰路につき、しばらく収まりませんでした。もやもやの対象は主に主人公の帆高くんです。作中では帆高くんがどうして家出してきたのかは明確に語られていません。息苦しいとか、光の中に行きたかったとか、狭い田舎の世界が嫌で家族とも折り合いが悪いんだろうなあと想像させる程度の描写で済まされています。これで帆高くんに「世界の形を変えてしまう」ことに繋がるほどの理由があれば、こんなにもやもやしなかったのかもしれません。周囲に不満を抱えていてもそれを我慢して折り合いをつけて大人になっていく人が大多数だとは思うんですが、帆高くんは違う。いくら好きな子の命のためとはいえ、世界を犠牲にする(青空を奪う)というそんな展開はなんとも救いがない……。そんな話に感動的な音楽をつけても感動できるか!とクライマックスものめり込めない。あと個人的に雨が好きで、雨が救いになっていた『言の葉の庭』と違ってこの映画の雨は疎まれている存在なので、やっぱり雨の描写は言の葉の庭が最高……と考え始める始末。そんなものだから、これは二回目はないなあと思いました。でも、ずっとこんな風にむかむかもやもやしているままでは気持ち悪いので、帆高くんの背景が書かれていることを期待して書店で本を買って読みはじめました。普段、映画のノベライズは読まないのでわたしにとっては珍しいことです。
それで二度目を観に行ったら、結果もうぼろぼろ泣きました。小説の段階ですでに泣いてたんですが、改めて映像がつくとやっぱり泣く。曲も、一度目はいまいち噛み合ってないななんて思っていたのに本当にぴったりで、今はもう曲を聴くだけで泣きそうになるくらいです。
前回あんなに帆高くんにもやもやしていたのは、結末に比べて彼の存在や動機が作中で語られている分では弱かったというより、根本的にわたしがこの映画の主旨を履き違えていたせいなのかなと思いました。この映画の結末のように少数(一人)のために多数を犠牲にするのは適当に折り合いをつけてやってきた人には受け入れがたい選択なんじゃないかと思います。まさに大人になれよと言いたくなる。でも物語としてそれでも一人を選ぶというのならそれなりの理由がほしいのに、帆高くんにはどうもそれが足りない。だから納得がいかなくてもやもやする。でも本当は、その一人を選ぶ理由なんていうのはどんな些細なものでもいいのではないのかと、読後、映画のあらすじに書いてある『自らの生き方を「選択」する物語』という文章を見てそう感じました。
帆高くんは東京でのバイト先も陽菜ちゃんへの差し入れや誕生日プレゼントもとりあえずネット(知恵袋)で聞くという他人の選択に頼るような子だったのに、そんな子が「世界の形を変えてしまう」ほどの選択を自分の意思でするなんて、改めて考えたら凄まじいことだなと思いました。それと対照的なのは線路を走る帆高くんにスマホを向ける人たちなどの、現代の一般大衆ですね。この作品は大衆向けの「恋愛」をメインにしていた『君の名は。』とは違って社会性の強いメッセージが多く、前作の後でこれは勇気ある選択だと思うのでこれからも監督には挑戦していってくれたら嬉しいなと思います。
話は戻りますが、小説のあとがきでは新海監督が小説と映画の違いについて、クライマックス近くで夏美さんが帆高に向かって「帆高っ、走れーっ!」と言うシーンを例にあげて説明してくれています。映画ではそのひと言に関わる、役者の声とか音楽とか、諸々の要素があってぐっとくるようなシーンになっている(といい)けれど、小説では、そのひと言だけで同じ効果を持たせるのは難しいので、比喩を用いたり、物語の前半から夏美の人生をある程度描いていく必要があると仰っていました。
その言葉通り、小説では夏美さんはもちろん、須賀さん視点の所もあり、映画ではそこまで焦点の当たっていなかった二人の過去や考えもより見えてくるので、二人の行動にも納得がいきました。
この二人の行動や考え、帆高くんや陽菜ちゃんの心情がよりはっきりしてくると、この映画はただの青春映画というわけでも、子どもがいいとか大人がいいとかでもなく、自分で選ぶことが大事なのだと思わせてくれます。帆高くんもクライマックスで「僕が選んだんだ」とはっきり言っていて、この一言にこの物語の全部が詰まっているんじゃないかなと思いました。
小説を読んで印象が変わったり、はっきりしたことは一部ですが以下のようなものがあります(括弧はページ数)。
★帆高くんが家出をした理由についてはっきり書かれている。
・あの日、父親から殴られた痛みを打ち消すように、自転車のペダルをめちゃくちゃに漕いでいた。(P206)
・つい先月まで、誰かに命令されることや押さえつけられることをあれほど憎んでいたのに。(P58)
元々親とは折り合いが悪く、殴られたことが決定打になったようですね。小説では島に戻った後での親や周囲のことも映画より詳しく語られています。
★帆高くんは須賀さんや夏美さんを「好き」だと思っていたし、二人がいるあの場所を大切に思っていた。
・僕の今までの身の上話も強引にさせられて、それはくすぐったくはない場所をずっとくすぐり続けられているような――たとえば頭の後ろを誰かの優しい手で掻き続けられているような、不思議な感覚を僕に残した。……(中略)……ずっと未来、自分が老いて孫を持つような歳になった時にも、僕はこの雨の夜のことを不意に思い出すのではないか。(P52,53)
・二人ともなんかかっこいいな、と僕は思う。……(中略)……須賀さんも夏美さんも、…(中略)…当たり前の従業員として、当たり前に頼ってくれるのだ。僕を叱りながら、お前はもうちょっとマシになれる、彼らはそう言ってくれているのだ。(P63)
・どうして僕は、好きだった人に銃を向けているのか。(P253)
劇中だと帆高くんと須賀さん夏美さんとの関わりはどうしても陽菜ちゃんと比べるとあっさりしていたので、二人のこともこれほど大切に思っていたんだなあと思うと、須賀さんに「もう大人になれよ、少年」とお金を握らされ突き放されたらどうしようもなくなりますよね。
★陽菜ちゃんについて。
帆高くんに抱く感情についての独白があった。
・もし君に会えていなかったとしたら、私は今ほど、私自身も世界も愛せていなかった。(P207)
・――いやだ、と、満ちてくる多幸感と同時に私は思う。まだいやだ。私はまだ、君になにも伝えていないのに。ありがとうも、好きも、言えていないのに。(P208)
★夏美さんについて。
夏休みまで就活すらしていなかったらしく、その理由が語られている。夏美さんの父親、つまり須賀さんの兄が財務官僚ということも判明。父親とは相性が悪く、須賀さんの所でアルバイトをしていたらしい。
・……なにかに抗議するような心持ちで毎日を意識的にだらだらと過ごしていた。そのなにかとは言葉にするならばたぶん「親」とか「社会」とか「空気」とか「義務」とかで、それが幼い反抗心だとはわかっていても……(中略)……私はまだ、なににも屈服なんてしたくない。
――要するに私は大人になりたくなくて拗ねているのだ。(P54,55)
家族というコミュニティに息苦しさや不満を感じていた点は帆高くんと一緒だっただろう夏美さんは、帆高たちとの一連の出来事を通して、自分でそうなりたいと願って大人になることを選ぶ所まで書かれていました。
・――私はここまでだよ、少年。
私の少女時代は、私のアドレセンスは、私のモラトリアムはここまでだ。
少年、私はいっちょ先に大人になっておくからね。君や陽菜ちゃんがどうしようもなく憧れてしまうような大人に。早くああなりたいって思えるような大人に。(P242)
★須賀さんについて。
須賀家は代々地方で議員をやっているような名家だったことが夏美さんの口から語られている。
須賀さんが涙を流したシーンで須賀さんの心情も書かれていました。
・……そこまでして会いたい人。帆高にはいるのか。俺にはどうか。全部を放り投げてまで会いたい人。世の中全部からお前は間違えていると嗤われたとしても、会いたい誰か。……(中略)……俺にも、かつてはいたのだ。明日花。もしも、もう一度君に会えるのだとしたら、俺はどうする? 俺もきっと――。(P238)
そしてその後帆高くんを諭そうとしますが、「俺はただもう一度あの人に会いたいんだ」という叫びを聞いて、ああなるわけですね。
その後、帆高くんと陽菜ちゃんが戻ってきて再び雨が降ってきたときの須賀さんの独白が印象的でした。
・その時――誰もがおそらくは、その雨が普通ではないと感じていた。……(中略)……俺たちは別になにもしていない。なにも決めていない。なにも選んでいない。それでも、このまま逃げ切れるわけはない。世界はいつか決定的に変わってしまうだろうと誰もが予感していて、誰もがずっと、知らないふりをしていたのだ。(P269)
他にも「なるほどそういうことだったのか」と思えるようなことが沢山書いてあって、これは小説を読まなければわたしのようにこの映画の良さがわからない人が沢山出てしまうのでは……?と思いました。監督ご本人は映画は描ききれなかったわけではなく、小説にあって映画にないというのは、映像と小説というメディアの違いに起因するとのことです。うーん、難しいところですね。
一度観てこの映画の良さがわかった方はすごいなあと思います。わたしはここまではっきり言葉にされないと意図を汲み取れないので……。それすらも合っているのか分かりませんが。
そして二度目の鑑賞を終えて、改めてこれは確かに賛否割れる映画かなあと感じました。子供時代にどこか息苦しさを感じていた人、流されるままここまでやってきてしまったとどこかで後悔している人。過去やこれからする「選択」に対して思うところがある人には訴えるものがある映画なんじゃないかと思います。
内容としては★5なんですが、小説を読まないとこれほど感情移入出来る作品にはならなかったのでアニメ映画としては★4.5で。
嫌い・無理という方は別ですが、わたしのように一度観て何だか納得いかない・もやもやしたという方は小説を読めば見方が変わるかもしれません。
見なくても良い映画です。
あまりにもファンタジー過ぎて酷いです。
設定的にも教育的にどうかなと思うことが多々あり、まず、これはダメだと思ってしまいます。君の名は。が良すぎたので、そう思ってしまうというのもあると思いますが、それを差し引いてもこれはないなと思います。
一回観れば十分ですし、観なくても良いとおもいます。
映画的記憶をもっと共有出来れば・・
「君の名は」に比べ賛否両論あるようだが、前作に比べて、新海監督の天才ぶりが更にハッキリとした作品に仕上がっていると感じた。それにしても、海外の親切な映画を見馴れてしまうと、本作の深淵を覗き見ることに、些かの苦労が伴う。そして、そうした観客に向き合うことを義務付けられた監督を始めとした制作陣の苦労が偲ばれる。
何故、帆高の年齢が最後に、陽菜の年齢より高いことが分かる設定になっているのか。
何故、富美のバイクは水の中で止まる設定になっているのか。
何故、線路の上を、帆高は走り続けているのか。
何故、帆高は銃を撃ってしまったのか。
何故、漫画喫茶やラブホテルが登場しなければならなかったのか。
須加が最後の最後に帆高に見せた家族の写真には、どんなメッセージがあったのか。
かつて、蓮實重彦氏が言っていたように、あらゆる映画的な記憶と、様々な純文学の記憶とを総動員することで、この映画の深淵は、もう少し分かってくるように思う。
マイナス0.5点は最後に、2人を再会させてしまったこと。
映画的記憶に忠実であるならば、違った展開を当然期待していたが、これは新海監督から我々観客に対する真夏の夜のサービスであると捉えた。
このような贅沢な映画を、ラノベの衣装を纏わせながら、少年少女を始めとしたあらゆる世代に送り届けてくれた、新海監督に乾杯!
大丈夫オチ
散りばめられた小ネタ(企業タイアップや君の名はの人物など)を探すのは楽しいし、風景も身近なもので親近感は湧く。
が、、、肝心の主ストーリー設定が浅く、リアルに描かれてる風景とのギャップが大きくてイマイチ入り込めなかった。
・花火のシーンが綺麗
・雨〜晴のシーンが綺麗
この二点が描きたかっただけなのでは?
さて本題だが、設定に無理がありすぎるんじゃないか。
拳銃は不要だったね。犯罪者にしたいわけじゃないでしょう?
年齢も16歳の主人公が中3に愛だの言われても全くもって冷める。ラブホいく必要ある? ロリコンかよ。
そして、なぜ主人公が東京でてきた?
その辺の既基本設定が良くない。
まぁ、君の名はのヒットで配給会社や代理店やらの雑音が多かったんですかね。雑音多すぎるし、本題に力入れたほうがいいのでは?
あと、ラストのセリフが「大丈夫」ってなんだよそれ。
RADWINPSもびっくりしただろうなぁ
自分の好みではない映画
「君の名は」が、大好きで何回か観ました。「天気の子」も宣伝をみた時、ちょっと子供向けかな?と思ったけれど、大期待して鑑賞。
「君の名は」の、続きのような?世界。そうですよね?よく理解出来ず3回目の鑑賞。きっと感性豊かな方達にはこの映画の良さがわかるのだろうという結論です。私は気楽に何も考えずに映画を観ているので、内容の理解、キャラクターに共感出来ないところが多かったです。画像が鮮明で、実際の社会のような描写なので、単純にアニメの架空の世界に入っていくことができず、気持ちが追いつかなかった。しかも3回目はIMAXでの鑑賞で、クライマックスでの音楽の音が、ただただうるさく感じた。ちょっとこの曲にも飽きてきたと感じた。
マイナスな感想ばかり書いたけれど、新海誠監督作品は、「天気の子」以外は大好きなので、次回はもう少しわかりやすく感動する作品を期待しています。
映像と音響が素晴らしい、新海監督ファンがより楽しめる作品。
新海誠監督のファンがより楽しめる映画という印象。
私は監督のことをあまり知らず観に行ったのですが、チープな言葉を使えばポエミーで、相当少年少女がお好きなんだな、思いました。
観た人が考えるというより、監督の考えや好きなものを詰め込んだ講談会に来ているようでした。
他の人も書かれていましたが、作品としてはファンタジーと現実のどちらの視点で観ていいかわからず、入り込みたい時に現実的なツッコミを入れたくなる所が多く感じ、私にはうまく入り込むことができませんでした。なので、細かな設定が気になる性格の人には向かないと思います。
あれだけ綺麗な映像と音響なのにもかかわらず、心に残ったシーンが少なく。
その他大勢より自分の意見を大切にして生きることを伝えたかったのだとしたら、私にとっては「何を当たり前のことを」という感じで自分の意見と照らし合わせて楽しむ、という事が出来ず少し薄味で味気なく感じました。
それでも少年少女の世界を美しく描き、社会よりも自分たちを選んだというラストは明確で観やすい作品であると思います。
思春期に求められる処方箋の一つ
間違いなく傑作と呼べる映画の一つ。
この作品の問いかけは単純に見えて奥深い。
つまりヒロインの天野陽菜をとるか、東京(セカイ)をとるかというという選択なのだが、この作品には但し書きとして『救済はありません』と書かれているのが特徴だ。
多くの映画、多くの作品、多くのセカイ系が、ヒロインを選んだ場合に第三の道、つまり救済ルートが用意しているのに対し、新海作品では容赦なく東京が沈んでしまう。
果たして東京を沈めてまでヒロインを救うのは正しいのか?
それを正しいとする理屈はなんだ?
主人公の帆高を取り囲む状況や大人、そして社会は、生贄を肯定し、その正しさを理屈として説得してくる。だが帆高は衝動のみで一切を駆けて行こうとする。
説得に応じず、反社会行為を繰り返す主人公はある種異常に見える。
だが普通に考えてみれば、16の少年が大人と議論として論破できる筈も無い。少年の武器は只の向こう見ずな衝動だけである。
それこそが、大人である我々が不快に思い、脅威に感じる唯一であるから、この映画は衝動だけを武器に立ち回る。この映画が賛否分かれてしまう理由は此処だろう。
止めてくれ新海!!子供たちの抱えるその衝動を肯定しないでくれ!!と叫びたくなるような内容であったが、同時に思春期の衝動を抱える若者にとってどれだけ救いになるのだろうと、考える自分もいた。
象徴的なのは帆高が線路を駆けていくシーンだろう。
整備員は注意し、高架下から帆高を指差し笑う通行人は、正しく我々大人の象徴だ。
それでも帆高は脇目も振らず、耳も貸さず駆けていく。
この作品の稀有にして素晴らしい点は、衝動のみに突き動かされた若者の末路をちゃんと描いているところである。
主人公は保護観察処分になり、あれだけ嫌がった親元に戻されている。
ヒロインもやはりあえなく保護されてしまっている。
二人は別々に別たれ、天野陽菜は経済的事情からだろう、スマホも持っていないと作中で明言され、連絡もとれない二人は、ニュースから流れる東京沈没の報を見る度に、果たして自分は正しかったのかと一人自問を繰り返したのだろう。
本来慰めあう関係にある二人は、互いに頼れず、自分で答えを探すしかない。
三年も経てば衝動は静まり、後悔も募るだろう。
だが沈没した東京をバックに再会した二人は、同じ答えを出し抱擁を交わす。
『間違っていない』
この結論を臆面もなく描ききったからこそ、この作品は新しく、素晴らしいのだ。
「君の名は」路線の継続
気持ち悪すぎ…
一か月近く経って やっと 感想 を 書いている。 観てると 途中か...
声の演技が、、、
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