「貧困ノンフィクション」天気の子 そうたんさんの映画レビュー(感想・評価)
貧困ノンフィクション
ファンタジーだと思っていたら、気候変動と日本の貧困を題材にした社会問題を扱ったノンフィクションだったんだな。
家出少年と不法就労、親なし貧困生活の妹弟と児童売春(シングルマザーの死で貧困化)、売れないライターと喘息持ちの子ども(母親が死にシングルファーザーが働きながらでは育てられない)、就職先が決まらない姪(二人は半地下で同居)、銃犯罪、都内の廃墟化、そして気候変動がもたらす社会の不安定(水没し住居を失い質素なマンションで暮らす老婆が象徴的)。
世界がどうなっても君といたい。きっと大丈夫だ。
壊れた世界で生きていくにはそう言い聞かせるしかない世界の貧困の闇が悲しい雨に溶けていく薄暗い作品だった。
全然イメージが違ったなぁ。明るいボーイミーツガールだと思っていたのに…。こんなに暗い作品だったとは…。
ところで、気候変動視点で観ると、大切な何かを犠牲にしないと世界環境は救えない。彼らは世界環境を犠牲にして幸せを得ようとした。環境問題の本質は、人が自分が得た幸せを放棄できないことにある。そういう意味ではこれは、プラネタリーバウンダリーを迎えた世界の話。致命的な環境破壊を食い止められなかった若者達の未来の世界。
さらに言うと、セーフティネットがあるはずの彼らが、そこに感じる“息苦しさ”に耐えきれず、彼は家出をし、妹弟は親戚や児童福祉を頼らずに、年齢まで偽りバイトで生活している。
この、本来機能すべきセーフティネットの機能不全は何を意味しているのか。彼らを追い立てる“息苦しさ”の理由は本作では語られない。いじめ?親の過保護?児童虐待?
この語られない“息苦しさ”に共感が得られ、“それでも君と一緒なら大丈夫”、という甘い言葉に共感出来る若者が多いなら、それはこの日本が、本当にセーフティネットが機能しない貧困な国になってしまったから、なのではないかと思ってしまう。
穿った見方、というよりそれしか描写されていない、直接的な作品。
さて最後に、一人の犠牲で救える世界は本当に実在したのか?そんなんで世界は救えるはずはない、という前提に立つと、これは彼と彼女の主観的な世界観を“天気”で表現しただけ。
つまり、“晴れ(幸福)”た世界は自分を犠牲にしないと得られない。それこそ死なないと得られない(迎え火のシーンで空は死の世界に繋がっている)。なので、“雨(不幸、貧困)”の世界を受け入れて幸せになるしかない。という自己欺瞞が生み出した世界観なのかもしれない。雨でも幸せになる方法があるんだ、という…。
(つまり、あの時、彼は、廃ビルの屋上で、彼女を死から思い留まらせただけ…)
それだと救いがないので、そこはファンタジーの世界観を残しておくか。
それにしても、これは、エヴァだな。
シンジとレイとカジとリツコが転生した世界の物語だな。