「「ライ麦畑でつかまえて」の意味する本当のところ…」天気の子 kenken0133さんの映画レビュー(感想・評価)
「ライ麦畑でつかまえて」の意味する本当のところ…
この映画の全体的な印象については後程書くとして、まずはThe Cather in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)についての考えを述べたいと思います。
映画の前半でネカフェで泊まりこむ、帆高の夕食(カップ麺)の蓋を抑えるのに使われていたのが、このライ麦畑でつかまえて という、アメリカ合衆国の作家J.D.サリンジャーが書いた小説。
村上春樹が翻訳したバージョン(劇中で登場したのは装丁からして村上の翻訳本)もあり、結構人気な作品。
もちろん、この本の内容を知らなくても、何の問題もなく映画は楽しめるのですが、ライ麦を読んだ方は、帆高の人となりについて、少なからず理解ができるようなシーンとなっています。
「ライ麦畑でつかまえて」の主人公は、帆高と同じ17歳の高校生で、学校で成績が振るわないことと、学内の人間関係のもつれから、親の承諾もなしに学校を辞め寄宿舎から出てきてしまい、その後いろんな社会のしがらみにあい、そういった世知辛い社会の中で、青年期へ向かう少年の気持ちを描いた作品です。
まさに帆高の心情・行動ともリンクする作品で、帆高の愛読書という設定に納得がいくわけですが…
ここからは、私の個人的な深読みとなるのですが、このライ麦の本当の伏線は、帆高だけではなくて須賀圭介にあるように思うのです。
それは、後に須賀があっけなく「おっし、少年、採用!」と簡単に決めてしまった時に気づきました。
冒頭の島からフェリーで出てくるシーンですが、天候が悪くなるのでデッキから艦内に入ってくださいという放送が流れている中、一人逆行してデッキに出ていく帆高。
そして、突然の大雨で船が傾き、あわやという時、須賀が帆高をつかまえて難を逃れるという場面ですが、あれ、須賀ってたまたまあそこにいたわけではないですよね(笑)
須賀がやっていることこそ、まさにライ麦畑のキャッチャー(捕まえ役)じゃないですか。
恐らく帆高の姿に何か危険を感じて(場合によっては自殺するのでは?と感じたのかもしれません)いつでも助けられるようにしていたんだと思います。
大きな絆創膏を貼って、何か思いつめたような雰囲気が漂ってましたからね、帆高は…
また、その後帆高が言い出したとはいえ、食事を御馳走になり、ビールまでたかってしまう須賀…
これも、実は須賀の狙いで、後に帆高が須賀を頼って来やすいような配慮だと思います。
命を救ってあげた上で、何もお礼もさせてもらえず、その上頼ったのではあまりにも…という感じですもんね。
帆高の決心へのプライドを保つことで、いざとなれば頼りやすいような須賀の配慮なんだと思います。
その証拠に、実際に頼って来たとき…
「おっし少年、採用!」
~中略~
「で、君、名前なんだっけ?」
あっけなく採用を決めてしまう。
これって、もう最初から助けてあげることを決めていたんだと思います。
須賀も若い頃に「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいて帆高の様に真っ直ぐに生きていたのではないのでしょうか。
そして大人になって、だんだんズル賢くなり、また苦悩も持ち合わせていて、このあたりが須賀が意図せず涙を流していることにも繋がるんだと思います。
須賀の描き方は実に秀逸ですよね。
新海誠監督、10代より自分に近い須賀の方が、はるかによく描けていると思います。
さて、最後に映画全体としての感想で締めくくろうと思います。
全体としては正直に言うと、なんだか気持ち悪さが残る映画でした。
その気持ち悪さは、どこから来るのかというと…
まず陽菜が人柱になることで、帆高は社会に対して感情をあらわにします。
そして、最大多数の最大幸福で出来ている社会に対しての反発の様に描かれています。
社会を救う為に、陽菜という人柱を神に捧げて助けを求めたが、それを帆高が救うという、まるでヤマタノオロチ的な展開の話の様な印象を受けてしまいがちですが。
実は、そんなヤマタノオロチ的な展開にはなっていないんです。
そう、陽菜は社会を救う為に、社会から求められて人柱になったわけではありません。
陽菜は自分の母親に晴れを見せたいという極めて個人的な欲求から晴れ女になってしまったのであって、社会が求めていたわけではない。
そして、社会(警察)が帆高をつかまえようとするのは、陽菜が人柱となるのを妨げるような行動を抑制しようとしているのではなく、帆高が法律を犯しているからです(拳銃所持・発砲)また、家出で捜索願いが出ているからでしょう。
これに対して帆高が社会に怒りをぶつけるのは、まったくの筋違いで、本来怒りの矛先は、社会ではなく、晴れ女=人柱という神のルール、その不条理さに対して向けられるべきなんです。
そこには、まったく触れないどころか、「僕たちは選んだんだ」と言ってしまうあたりが、どうしても気持ちが悪いんですよね。