「小説を読むのと読まないのとで大違い」天気の子 さなさんの映画レビュー(感想・評価)
小説を読むのと読まないのとで大違い
まず、称賛だけのレビューではないのでお気をつけください。
二回鑑賞済みです。
一度目は特に前情報なしに、二度目は小説を読んだ後に行きました。
まず一度目に感じたのは憤りです。
映像自体は新海監督の作品らしく他の追随を許さないほど綺麗です。神宮外苑花火大会で晴れを呼ぶシーンなんかは神々しささえ感じられるほど。でも話の内容には相当な不満を抱きました。なんなんだこのストーリーはと、むかむかともやもやを抱えて帰路につき、しばらく収まりませんでした。もやもやの対象は主に主人公の帆高くんです。作中では帆高くんがどうして家出してきたのかは明確に語られていません。息苦しいとか、光の中に行きたかったとか、狭い田舎の世界が嫌で家族とも折り合いが悪いんだろうなあと想像させる程度の描写で済まされています。これで帆高くんに「世界の形を変えてしまう」ことに繋がるほどの理由があれば、こんなにもやもやしなかったのかもしれません。周囲に不満を抱えていてもそれを我慢して折り合いをつけて大人になっていく人が大多数だとは思うんですが、帆高くんは違う。いくら好きな子の命のためとはいえ、世界を犠牲にする(青空を奪う)というそんな展開はなんとも救いがない……。そんな話に感動的な音楽をつけても感動できるか!とクライマックスものめり込めない。あと個人的に雨が好きで、雨が救いになっていた『言の葉の庭』と違ってこの映画の雨は疎まれている存在なので、やっぱり雨の描写は言の葉の庭が最高……と考え始める始末。そんなものだから、これは二回目はないなあと思いました。でも、ずっとこんな風にむかむかもやもやしているままでは気持ち悪いので、帆高くんの背景が書かれていることを期待して書店で本を買って読みはじめました。普段、映画のノベライズは読まないのでわたしにとっては珍しいことです。
それで二度目を観に行ったら、結果もうぼろぼろ泣きました。小説の段階ですでに泣いてたんですが、改めて映像がつくとやっぱり泣く。曲も、一度目はいまいち噛み合ってないななんて思っていたのに本当にぴったりで、今はもう曲を聴くだけで泣きそうになるくらいです。
前回あんなに帆高くんにもやもやしていたのは、結末に比べて彼の存在や動機が作中で語られている分では弱かったというより、根本的にわたしがこの映画の主旨を履き違えていたせいなのかなと思いました。この映画の結末のように少数(一人)のために多数を犠牲にするのは適当に折り合いをつけてやってきた人には受け入れがたい選択なんじゃないかと思います。まさに大人になれよと言いたくなる。でも物語としてそれでも一人を選ぶというのならそれなりの理由がほしいのに、帆高くんにはどうもそれが足りない。だから納得がいかなくてもやもやする。でも本当は、その一人を選ぶ理由なんていうのはどんな些細なものでもいいのではないのかと、読後、映画のあらすじに書いてある『自らの生き方を「選択」する物語』という文章を見てそう感じました。
帆高くんは東京でのバイト先も陽菜ちゃんへの差し入れや誕生日プレゼントもとりあえずネット(知恵袋)で聞くという他人の選択に頼るような子だったのに、そんな子が「世界の形を変えてしまう」ほどの選択を自分の意思でするなんて、改めて考えたら凄まじいことだなと思いました。それと対照的なのは線路を走る帆高くんにスマホを向ける人たちなどの、現代の一般大衆ですね。この作品は大衆向けの「恋愛」をメインにしていた『君の名は。』とは違って社会性の強いメッセージが多く、前作の後でこれは勇気ある選択だと思うのでこれからも監督には挑戦していってくれたら嬉しいなと思います。
話は戻りますが、小説のあとがきでは新海監督が小説と映画の違いについて、クライマックス近くで夏美さんが帆高に向かって「帆高っ、走れーっ!」と言うシーンを例にあげて説明してくれています。映画ではそのひと言に関わる、役者の声とか音楽とか、諸々の要素があってぐっとくるようなシーンになっている(といい)けれど、小説では、そのひと言だけで同じ効果を持たせるのは難しいので、比喩を用いたり、物語の前半から夏美の人生をある程度描いていく必要があると仰っていました。
その言葉通り、小説では夏美さんはもちろん、須賀さん視点の所もあり、映画ではそこまで焦点の当たっていなかった二人の過去や考えもより見えてくるので、二人の行動にも納得がいきました。
この二人の行動や考え、帆高くんや陽菜ちゃんの心情がよりはっきりしてくると、この映画はただの青春映画というわけでも、子どもがいいとか大人がいいとかでもなく、自分で選ぶことが大事なのだと思わせてくれます。帆高くんもクライマックスで「僕が選んだんだ」とはっきり言っていて、この一言にこの物語の全部が詰まっているんじゃないかなと思いました。
小説を読んで印象が変わったり、はっきりしたことは一部ですが以下のようなものがあります(括弧はページ数)。
★帆高くんが家出をした理由についてはっきり書かれている。
・あの日、父親から殴られた痛みを打ち消すように、自転車のペダルをめちゃくちゃに漕いでいた。(P206)
・つい先月まで、誰かに命令されることや押さえつけられることをあれほど憎んでいたのに。(P58)
元々親とは折り合いが悪く、殴られたことが決定打になったようですね。小説では島に戻った後での親や周囲のことも映画より詳しく語られています。
★帆高くんは須賀さんや夏美さんを「好き」だと思っていたし、二人がいるあの場所を大切に思っていた。
・僕の今までの身の上話も強引にさせられて、それはくすぐったくはない場所をずっとくすぐり続けられているような――たとえば頭の後ろを誰かの優しい手で掻き続けられているような、不思議な感覚を僕に残した。……(中略)……ずっと未来、自分が老いて孫を持つような歳になった時にも、僕はこの雨の夜のことを不意に思い出すのではないか。(P52,53)
・二人ともなんかかっこいいな、と僕は思う。……(中略)……須賀さんも夏美さんも、…(中略)…当たり前の従業員として、当たり前に頼ってくれるのだ。僕を叱りながら、お前はもうちょっとマシになれる、彼らはそう言ってくれているのだ。(P63)
・どうして僕は、好きだった人に銃を向けているのか。(P253)
劇中だと帆高くんと須賀さん夏美さんとの関わりはどうしても陽菜ちゃんと比べるとあっさりしていたので、二人のこともこれほど大切に思っていたんだなあと思うと、須賀さんに「もう大人になれよ、少年」とお金を握らされ突き放されたらどうしようもなくなりますよね。
★陽菜ちゃんについて。
帆高くんに抱く感情についての独白があった。
・もし君に会えていなかったとしたら、私は今ほど、私自身も世界も愛せていなかった。(P207)
・――いやだ、と、満ちてくる多幸感と同時に私は思う。まだいやだ。私はまだ、君になにも伝えていないのに。ありがとうも、好きも、言えていないのに。(P208)
★夏美さんについて。
夏休みまで就活すらしていなかったらしく、その理由が語られている。夏美さんの父親、つまり須賀さんの兄が財務官僚ということも判明。父親とは相性が悪く、須賀さんの所でアルバイトをしていたらしい。
・……なにかに抗議するような心持ちで毎日を意識的にだらだらと過ごしていた。そのなにかとは言葉にするならばたぶん「親」とか「社会」とか「空気」とか「義務」とかで、それが幼い反抗心だとはわかっていても……(中略)……私はまだ、なににも屈服なんてしたくない。
――要するに私は大人になりたくなくて拗ねているのだ。(P54,55)
家族というコミュニティに息苦しさや不満を感じていた点は帆高くんと一緒だっただろう夏美さんは、帆高たちとの一連の出来事を通して、自分でそうなりたいと願って大人になることを選ぶ所まで書かれていました。
・――私はここまでだよ、少年。
私の少女時代は、私のアドレセンスは、私のモラトリアムはここまでだ。
少年、私はいっちょ先に大人になっておくからね。君や陽菜ちゃんがどうしようもなく憧れてしまうような大人に。早くああなりたいって思えるような大人に。(P242)
★須賀さんについて。
須賀家は代々地方で議員をやっているような名家だったことが夏美さんの口から語られている。
須賀さんが涙を流したシーンで須賀さんの心情も書かれていました。
・……そこまでして会いたい人。帆高にはいるのか。俺にはどうか。全部を放り投げてまで会いたい人。世の中全部からお前は間違えていると嗤われたとしても、会いたい誰か。……(中略)……俺にも、かつてはいたのだ。明日花。もしも、もう一度君に会えるのだとしたら、俺はどうする? 俺もきっと――。(P238)
そしてその後帆高くんを諭そうとしますが、「俺はただもう一度あの人に会いたいんだ」という叫びを聞いて、ああなるわけですね。
その後、帆高くんと陽菜ちゃんが戻ってきて再び雨が降ってきたときの須賀さんの独白が印象的でした。
・その時――誰もがおそらくは、その雨が普通ではないと感じていた。……(中略)……俺たちは別になにもしていない。なにも決めていない。なにも選んでいない。それでも、このまま逃げ切れるわけはない。世界はいつか決定的に変わってしまうだろうと誰もが予感していて、誰もがずっと、知らないふりをしていたのだ。(P269)
他にも「なるほどそういうことだったのか」と思えるようなことが沢山書いてあって、これは小説を読まなければわたしのようにこの映画の良さがわからない人が沢山出てしまうのでは……?と思いました。監督ご本人は映画は描ききれなかったわけではなく、小説にあって映画にないというのは、映像と小説というメディアの違いに起因するとのことです。うーん、難しいところですね。
一度観てこの映画の良さがわかった方はすごいなあと思います。わたしはここまではっきり言葉にされないと意図を汲み取れないので……。それすらも合っているのか分かりませんが。
そして二度目の鑑賞を終えて、改めてこれは確かに賛否割れる映画かなあと感じました。子供時代にどこか息苦しさを感じていた人、流されるままここまでやってきてしまったとどこかで後悔している人。過去やこれからする「選択」に対して思うところがある人には訴えるものがある映画なんじゃないかと思います。
内容としては★5なんですが、小説を読まないとこれほど感情移入出来る作品にはならなかったのでアニメ映画としては★4.5で。
嫌い・無理という方は別ですが、わたしのように一度観て何だか納得いかない・もやもやしたという方は小説を読めば見方が変わるかもしれません。
まず、帆高の家出理由が
よくわからないし、これで
するのって、精神的に不安定で、
たいしたことでないのに悩む、
くだらない価値観の人だけ、
聞いて非常につまらなさそうなので、
原作読まなくて良かったです。
ほんの話参考にします。読破してまた見て号泣したいです。
この話は、
15歳の成長、
なんでも出来る大人なんだ!
と思ってたら、何にもできない!
大人と対等な力を今欲しい!(拳銃)
40代の諦めて生きていく知恵
その歳でやることをやったほうがいい
自分が優れていることを自慢しても持っもいい人がいるなどなど
おとなとこどもは互いの気待ちを理解しながら