「なぜこのストーリーなのか?」天気の子 田中さんの映画レビュー(感想・評価)
なぜこのストーリーなのか?
天気をコントロールできるという、
特殊能力を持った少女が、
自らの命を犠牲にして、
温暖化による異常気象を治癒し、
たった一人で世界を救う物語、
かと思ったら、
ドタンバで少女は少年によって引き戻され、
世界は救わないという話でした。
よーするに、
「世界を救おうかと思ったけど、やっぱやめた。」
という不思議な話です。
「世界を救うために犠牲になるヒーロー」
とか、
「世界を救い、生還するヒーロー」
とかは、映画の定番ですが、
この映画の主人公は、
「世界を救わず、生還するヒーロー」です。
かなりレアです。謎です。
というか、もはやヒーローではありませんね。
ほぼ、ただの少女です。
これで映画になるのか?
という挑戦的なストーリーですが、
なぜか、鳥肌が立つほど感動するシーンが続きます。
この感動は、主に映像と音楽の力に支えられています。
音楽は、あのRADWIMPSです。
そして、見終わった後、
この不思議なストーリーについて
ジワジワと考えることになります。
救われなかった東京は、
まるでベネチアのような美しい水の都になります。
これでは地球温暖化の深刻な影響をなめている感がありますが、
自然は人と関係なくいつでも美しいものです。
そもそも地球温暖化は主人公の子供達のせいではありません。
馬鹿な大人達の責任です。
少年は、
「俺は、ただ、もう一度あの人に会いたいんだ」
と叫び、世界よりも女の子を助けに行きます。
彼は、世界にとってのヒーローではありませんが、
少女にとっては間違いなくヒーローですね。
観客が、この少女と少年の側に立つのか、
世界の側に立つのかで、
評価が分かれる作品だろうと思います。
しかし、世界ってなんですか?
なんにしても、
監督としては、批判は覚悟のうえの挑戦だろうと思います。
監督が、あえて、
子供達が世界を救わず生還する不思議な映画を造った理由は、
なんでしょうか?
ほかの誰よりも自分一人を選んでほしい少女や、
ほかの誰よりも一人の女の子を守りたい少年のための映画だからでしょうか?
公(おおやけ)のために
個人が踏みにじられることが許せないのでしょうか?
ましてや、馬鹿な大人たちのせいで
子供達が犠牲になることが許せないのでしょうか?
監督は、馬鹿な大人達のおこした問題、
たとえば戦争や環境破壊などのために、
子供が犠牲になるべきではないと主張しているのかもしれません。
だから、空気に流されて、
犠牲になりヒーローになろうとする少女を
あえて救い出したのかもしれません。
過去の日本の戦争でも、
沢山の子供たちが犠牲になりました。
沖縄戦では、爆弾を背負って
戦車に体当たりする子供たちがいました。(鉄血勤皇隊)
この子供たちは、当時の日本の空気では間違いなくヒーローでした。
沖縄戦の司令官は、
「諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」
と命令して自決しました。
よーするに「降伏するな、全員死んでヒーローになれ」
と言い残して責任を放棄しました。
そのせいで、さらに沖縄はめちゃくちゃになりましたが、
この司令官は、子供たちにも戦い続けろと命じていました。
空気に流されて犠牲になりヒーローになろうとする少女を
監督が批判を恐れず救い出したのは、
父親でもある監督に、「子供を犠牲にするな」という、
過去の戦争の歴史を踏まえた信念があるからだろうと思います。
でなけれは、このストーリーはありえません。
世界とは、大切な一人一人の集まりです。
興味深いのは、
なぜか、音楽を担当しているのが、
前作に続いて、
「御国のために全員死ね」的な
戦前仕様の愛国心バンドのRADWIMPSである点です。
この相反するコンビに
疑問を持つ人が多いだろうと思います。
しかし、この映画を支えたRADWIMPSは、
過去の日本による侵略を正当化するつもりなど全然ないし、
「御国のために全員死ね」なんてことも全然思っていないし、
戦前仕様の愛国心バンドというのも
不用意に間違ってあの時代の言葉を使っただけで、
完全に誤解だったということだろうと思います。
ちなみに、RADWIMPSを批判した、
戦後民主主義的な個人主義の人たちの多くも、
愛国心については感覚的に反発するだけで、
実はあんまり考えていなかったことが、
あのときバレました。
この映画は、
あの愛国心騒動に対する、
子供達のための、アンサーでもあるような気がします。
だとしたら、この映画のファンは、
愛国心について考える必要がありそうです。
東京オリンピック関連で、
いま応援ソング等を依頼されているアーチストが、
また同じミスを犯さないためにも、
そして世界をこれ以上分断させないためにも、
子供たちのために、
愛国心について考える必要があります。
国家というものが存続するあいだは、
愛国心は重要です。
オリンピックを楽しむためにも、
愛国心は欠かせないスパイスです。
ただし、曲げられない原則があります。
アシモフ風に「愛国心三原則」を提示するとしたら、
「愛国心の指す国とは、その国の一人一人の市民の集まりを意味していること」と、
「他国の市民と他国の愛国心をリスペクトすること」と、
「愛国心の多様性を認めること(反愛国心も含めて)」の三つです。
(誰か、もう少し洗練された表現を!)
たとえば、
日本の戦前仕様の愛国心の過ちは、
「国=その国の市民」ではなく、
「国=国体(天皇)」という愛国心のせいで、
日本の市民の命を紙屑のように扱い、
他国の市民と他国の愛国心をリスペクトしなかったせいで、
他国を侵略し近隣諸国の憎しみを買い、
愛国心の多様性を認めなかったせいで、
戦争に反対した愛国者と市民を弾圧し虐殺した点にあります。
(たぶん)
だから、
もう戦前の愛国心は捨てて、アップデートしましょう。
子供達とこの映画のためにも。
(コメントまたは「共感した!」をぜひ!!!)