「単純な様で難しい、かと思いきややっぱり単純な話」天気の子 komattahitoさんの映画レビュー(感想・評価)
単純な様で難しい、かと思いきややっぱり単純な話
多少シナリオかじった程度の知識で、気になった点をつらつらと
主人公は家出をし、しかもお金があるのに故郷に戻らないという重大な問題を抱えている
これはシナリオにおいて解消されるべき「欠落」、ないしは「主題」である
しかし多くの人が指摘する通り、この問題は解決されず、どころかそもそも問題として描かれない
後半で一応「光を追いかけて東京に来た」などと文字通り羽虫の様な能天気な理由が語られるが、その理由と命に関わるホームレス生活とは明らかに釣り合いが取れていない
ほとんどの観客は、何故主人公がそうまでも故郷に戻らないのか?という疑問に訝しみながら2時間を耐えたはずである
物語の開始において、主人公は必ず課題を抱えているものだ
一般的な映画を知る観客なら、家出に至る何らかの確執こそがその課題だと、誰もが見るはずである
しかし監督いわく「トラウマをあえて描かなかった」という事で、物語はそこに一切触れる事がなく終わる
それは良い、しかし物語を描く以上、そうであるなら彼の「課題」は別に存在していなければならない、それは何か?
結末から逆算するのなら、「恋人を手中に収める事」が彼のゴールであった
という事は主人公が最初に抱える問題は、「恋人を手に入れる事で解決する問題」でなければならない
故郷と家族を捨て置き、1人上京してホームレス生活をする、主人公は何の問題を抱え、何によってそれは解消されたのか?
ずばり言うと「性欲」である
性欲こそがこの作品の主題なのだ
監督は「主人公が抱えるバックボーンを明らかにせず、衝動のままに走る若さを描いた」という
まさに性欲とは理由をもたず、しかし人を激しく突き動かす強い力である
当初私は、この物語は主人公のバックボーンを描かず、心の課題が解決されない、シナリオにおける「物語の要件」を満たさない失敗作だと考えていたが、それは違った
この作品は夏休み大型ファミリー映画として公開するために、あまりにもその本質をオブラートに包みすぎていたのだ
「天気の子」は、あまりにも生々しいポルノ映画であり、思えばそれを示唆する描写は作中の至るところに現れていた
何故主人公は冒頭、歓楽街にいたのか?明らかに偶然ではなく意図された描写だ
主人公は満たされない性欲を解消する事に成功した
シナリオとしては成立しているのである
とはいえ、やはり物語としての起伏は乏しいと言わざるを得ない
主人公は性欲によってヒロインと出会い、性欲に従ってヒロインを救う
彼には故郷も、家族も、雨に沈んだ東京も、ヒロイン以外の何も見えていない
しかし最後まで家族ないし故郷の問題と向き合わなかった男が一人の女の子を本当に愛せるんだろうか
多分いくらかの観客の心に小さく引っかかってるのはここだ
主人公については、性欲しかこの映画の中で描写されなかった
晴れが人々を笑顔にすると学んでおきながら、雨に沈んだ東京の人々についてどう思ったのか語られない
つまり主人公の、女しか見えていない狭量さが最後まで解消されなかった
場面の外で反省や後悔をしているのかもしれないが、それは映画内で描かれなかった以上、語り手にとって不必要な場面という事になる
故に「主人公は反省も後悔もしていない」と一般的な観客は解釈する
では、この男は本当にヒナを愛し共に生きていけるのか?生きるってそんな単純?愛するってそんなに直情的なものだけですか?
バカな主人公が成長せず大人にもならず、バカなまま周囲の登場人物や、あるいは語り手から許されて、物語は終わる
「主人公は性欲に従って走り続け、性欲を満たしました」、これがこの物語のあらすじだ
新海監督にも様々な葛藤があろう。大量のスポンサー、興行収入の増減、あるいは表現者としてのあり方などなどに苦悩している事と(私は勝手に)想像する
ので、あえて手厳しくレビューしたくはないのだが、正直な感想を述べると「バカな人向けの映画」だった
一方で、映画とは全くそれで正しいとも思うので、多分この映画は内容面では成功といえるんじゃないだろうか
皮肉でも何でもなく本当にそう思いました