「若いからこその視野の狭さと真っ直ぐさ、無鉄砲さ」天気の子 こうふさんの映画レビュー(感想・評価)
若いからこその視野の狭さと真っ直ぐさ、無鉄砲さ
まず、映像がとてもきれいだった。でも、それはこの映画の良いところのほんの一部に過ぎない。
大人には無い視野の狭さ故の無鉄砲さと良くも悪くも周りに左右されない真っ直ぐさが表現されていた。
帆高が島を出る事にした理由も高校生なら感じたことのある子もいると思う。高校生になると大人になることを周りから求められ、それに対するプレッシャーと反抗心は自然と増長される時期だ。帆高の大人になりきれない幼さは雨が降るから船内に入れと言われているにも関わらず外に飛び出してはしゃぐ姿から感じ取れるし、計画性無く衝動的に東京に来たのもそのあとの状況から察することができる。
陽菜からも帆高とは違うが、同じように幼さを感じる事が各所にある。大人からしてみればまだ義務教育を受けなければならない陽菜は保護対象だが、それが分かっていても凪と離れたくないが為に年齢を偽ってバイトをしていたことから聞き分けのない子供らしい一面が感じられる。
この二人にとっては自分たちを縛り付ける警察という存在は悪役のように印象が悪く写っただろうから、二人から見た警察官が悪者のように描写されているのもまあ理解できた。
この映画は大人と、大人になりかけた子供の対比が良く表されていた。
大人の代表例としては須賀さんがあげられると思う。何だかんだと子供を見捨てられない彼は、二人が困ったときには手を差し伸べるが、いけないことは諭す事もできる。
しかし、状況によって優先順位を変えられない融通のきかなさがあり何かに縛られているようにも思えた。下手に理性が働き感情で動けない大人は、割りきることで諦めることができるが、理性よりも感情で動く子供は激情に身を任せてそのあとを考えられない良く言えば一途さがある。
心情描写が少ないのではと言う意見もあるが、劇中歌がそれを補っているのが良く聞けば分かると思う。特に最後に流れた「大丈夫」は分かりやすい。この曲から二人は自分たちが何をしたのか、事の重大さやこれから先それを抱えていく重さを感じていることがわかる。周りは陽菜が何者だったかを知らず、二人が何をしたのかを知らない。これから先二人が責められることは無いけど、沈んでいく東京をこれから先も見続けなくてはいけない。だから本当の意味で陽菜が大丈夫になれることは無い。帆高も同じような状況だが、だからこそ
君を大丈夫にしたいんじゃない
僕が君の大丈夫になりたい
という歌詞が心に響いた。
この物語は、大を助けるために自分にとっての大事な小を切り捨てられなかった子供が、その一途さを貫いたという大人にはできないだろう青さがあった。