「第二の「君の名は」を求めて期待はずれだった人に向けたレビュー」天気の子 ハマーですさんの映画レビュー(感想・評価)
第二の「君の名は」を求めて期待はずれだった人に向けたレビュー
「君の名は」は、細田守監督がそうであったように、新海誠監督の作品が国民的アニメーションとして受け入れられるブレイクスルー的な作品であった。
日本の歴代興行収入4位まで上り詰めた「君の名は」の続編に対する期待値が尋常ではない高まりを見せる中、遂に公開された「天気の子」は、果たしてそのハードルを越える、ないしは大衆が求める内容であったのか。
結論から言えば、「天気の子」は万人が諸手を挙げて高評価を付ける作品ではなかった。
それもそのはずで、「君の名は」がクライマックスの最大のカタルシスである再開に向けて伏線を巡らせ、徹頭徹尾ストーリーに重きを置いた作品であるのに対し、今作の「天気の子」はティーンエイジャーの2人の成長を主眼とした、より一層ボーイミーツガール色の強い作品であるからだ。
高い完成度を誇る「君の名は」の起承転結に魅せられたファンは、今作のストーリーに些かの物足りなさを感じると思われる。
陽菜はなぜ天気を操れるのか、帆高はなぜ島から抜け出したのか、なぜ東京が水没したままエンディングを迎えるのか。
新海誠監督が世に求められる「君の名は2」というべき作品を作ろうと思えば、すべてに説明がつくストーリーを組み立てられたであろう。
今作の肝は、「実はファンタジーではない」ことと「子供でも大人でもない2人の成長」だと感じている。
今作は予告の段階で非常にファンタジックな面が強調されていたが、あれはミスリードを誘うものだと考えられる。劇中、たしかに陽菜は人々に晴れ間を見せたが、ファンタジーの中核である「雲の上の世界」や「透明になる体」「空を飛ぶシーン」の全ては主人公の2人しか認識していない。これは、本当に現実のことなのかどうか、観客に問うているのではないか。
劇中で老人が「歴史の浅い人間にとっての異常気象は所詮天気の気まぐれのレベルである」というような話をしていたが、まさに今作の答えを示している。「天気を操れる」「人柱として鎮める」が全て空想であれば、雨を晴らしたのは偶然であり、陽菜は空に消えたのではなくホテルから鳥居に向かっただけで、2人がどんな決断をしようと3年にわたる長雨は降り結局東京は水没していたこととなる。
だとすれば、「天気の子」は何を伝えたかったのか。
「大人になりきれないティーンエイジャーが、間違った手段を経たとしても葛藤を乗り越えて未来に向かって成長することの美しさ」ではないだろうか。
舞台装置である劇中のファンタジー要素を全て取り払って観れば、親を失って弟のために滅私の覚悟で働く少女と、居場所を無くして逃げてきた少年の、ボーイミーツガールのシンプルな話となる。
各々の形で「大人への憧憬」が描かれ、居場所となる大切な人の存在を知り、間違った手段に対する罰を受ける。
こうした成長の物語の果てで、人柱なんてものは無く結局はただの天災で沈む東京の中、3年前の誓いの通りに2人で未来に進むことを改めて決意する。
大きな災害に見舞われた平成を振り返り、人の理を超えた天災を我々はどう乗り越えて希望を見出していくのか、そうしたエールも物語の根底にあるのではないか。
鑑賞直後の雑多な感想で申し訳ないが、言葉は多く無くとも、とても純粋なメッセージが込められた映画だと感じた。
ファンタジーという美麗なフィルターを取り払えば、成長途中の男女の、切なく息苦しい日常が描かれている。その通りだと思います。現実世界には、今日も何処かで悲しい雨が降っている。それでも大切な人と未来に向かおうとする、その想いの強さ。評価はどうあれそれをテーマとして受け取る感性は、観る人の多くに共通したものですよね。放置した物議点の数々は、逆説的にフィルターの美しさを際立たせる。現実に虚構を被せるその着付け方が、新海さんは異様に上手いと思います。