「あまりのタイミングにビックリです。【原作についてコメント欄に追記】」天気の子 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
あまりのタイミングにビックリです。【原作についてコメント欄に追記】
今年の長梅雨、梅雨寒、記録的な日照時間の少なさなどがあまりにタイムリー過ぎて(2019年7月19日公開)、ビックリしました。もしかしたら、新海誠監督は予言者的資質があって、近いうちに本当に隕石も落ちるのではないかと心配になりますね🙀
新宿、池袋、田端……馴染みのあるところばかりで、線路際の道なんかも飛鳥山公園から日暮里にかけてジョギングしたことのあるところかも⁈という既視感!
雪が舞い降りた日に座り込んでいた場所も豊島区ゴミ焼却場そばの道路下なのに山手線や埼京線の線路を跨ぐ歩道橋のあたりだったのでかつての自分の生活圏とモロ被りの感動がありました。因みに新文芸坐にも歩いて5分ほどの場所です。
『君の名は。』に比べると、場面の移り変わりのテンポやリズムに軽快感が少し欠けるように感じましたが、二つの時空を交互に描いているわけではないので仕方がないと思います。
ただ、テンポ良く進まないぶん(ノリと感性に頼れないぶん)、状況設定の粗さが気になってしまい、少年の家出の理由とか、廃ビルの鳥居⛩の由来とか、母親亡き後の陽菜と弟の生活について、北区も豊島区も新宿区(母親死亡時の住民票はどこにあったのか分かりませんが)も何もしてくれなかったのか、とか、どうでもいいようなことが気になってしまいました。生活圏のリアルさが際立っていたので、知らず知らず物語にも現実的な説明描写を求めてしまったようです。
少年少女のひたむきさとオトナの理性はいつだって相性が悪いのですが、新海誠監督がこのような世界観で若い感性を応援しているのは素晴らしいことだと思います。
琥珀さんへ
そう言うセリフ、有りましたね、確かに。つまり須賀は、親権判断のプライオリティで嫁実家に負ける立場って事ですね。ちょっと妄想膨らんで来ましたw
「嫁と須賀は東京から家出して駆け落ち。数年後、妊娠。生活苦などの理由から、嫁は須賀の元を離れ東京実家に戻って出産。須賀は嫁を追って東京に舞い戻る。娘とは偶に接見するだけ。嫁早世。」
こんな感じ?
琥珀さんへ
コメント、ありがとうございました!小説は上映期間が終わってからにします。楽しみが減るからw
柱の傷は分かりました。問題は、娘は嫁実家に「取り上げられた」のか、「育てて行けないと自らが預けたのか」なんです!多分、後者だと思うのですが、小説には示唆されていますでしょうか?
本日2回目の鑑賞。
ほぼ原作に忠実に描かれており、一度目によく分からなかった点はほぼ解消。
しかしながらストーリーの詳細や謎解きは二の次。
夏美や須賀の大人の思いや迷いにも熱くなる。
なによりも原作のあとがきで語られる新海監督の覚悟や開き直り、解説の野田洋次郎さんの思い、その二人の信頼関係に基づくラスト3分。
それらのことが心の中で混ざり合い、目の前の映像で再現されているさまを見てるうちに、安井刑事の前の須賀のように気がつかないうちに涙が出てきました。
映画、原作、映画の順で味わうことの至福を発見できます。
新海監督が自ら書き下ろした原作を読んで分かったことを覚書きとして記録。
❶水塊
中学生2人が見た水塊…クジラやイルカのように見えた。冒頭のフェリーでの水塊もまるで龍のよう。
決してただの大量の雨の象徴ではない。
❷雲上の平原
空と繋がった陽菜にとっては、自分はその一部として溶け込んでしまう。自分のこころでありみんなの願いである。奇妙な幸せと切なさ。帆高にとっては彼岸であり、死の世界。
❸夏美
夏美の父、すなわち須賀の兄は東大出の財務官僚。帆高と同じように、窮屈な思いを抱いていたが、帆高に出会って、モラトリアムを終える決心がつく。
『私はいっちょ先に大人になっておくからね。君や陽菜ちゃんがどうしようもなく憧れてしまうような大人に。』
❹須賀
水浸しの事務所で刑事が手をついた柱には、三歳までここで育った娘の身長が刻まれている。
(娘のことを思い出しながら)
『そこまでして会いたい人。帆高にはいるのか。俺にはどうか。全部を放り投げてまで会いたい人。世の中全部からお前は間違えていると嗤われたとしても、会いたい誰か。』
❺陽菜が空に昇って行く夢
夏美も須賀も凪と同じ夢を見ている。
須賀は思う。
『東京中の人間が同じ夢を見たのではないか。
皆が心のどこかで、この青空はどこかの誰かと引き換えだったのだと知っているのではないだろうか。』
❻鳥居の由来や精霊馬については特段の説明的描写なし
琥珀さん、コメントありがとうございます。
確かに実名で出て来るものが多いなぁ、とは思いました。
リアリティーがあっていいなと感じる反面、琥珀さんと同じような心境になりました。