「率直な感想です」天気の子 カカさんの映画レビュー(感想・評価)
率直な感想です
観た感想をネタバレ含め書かせて頂きます。
これは全て個人的な見解です。それを理解した上でご覧ください。
■悪い点
1、キャラクター設定or説明が薄すぎる。
主人公や他のキャラクターの全てが薄い
例えば映画最初は、帆高が既に家出をしている状態から始まっています。何故家出をしてるのかを描いていなかったが為に行動に共感が出来なかった。
引き合いに出してしまいますが映画「バケモノの子」の主人公も家出という設定ですが、それはちゃんと経緯が描かれています。だからこそ後々の心情も理解でき共感できた。
陽菜も何故弟と二人暮らしに至ったのか、母親とのシーンを適当に描いた為に共感が出来ない。
夏美も圭介も全てが薄い。圭介が帆高は自分に似てると言いますが、自分に似てる要素がなんなのかを適当な表現すぎるが故分かりづらい。
結局最後まで謎の主人公とヒロイン達だったなと思いました…
分かりやすく言うと「帆高はこういう理由から家出をしている」という最低限必要な表現が欠けてる気がします。この映画は「帆高は家出してます」って感じです。こんな表現するくらいなら家出という設定自体要らないと思います。
映画の上映時間の都合上表現しきれないトコもあるかもしれないですがだったら君の名はの人物を登場させてる暇があるならそこに天気の子のキャラクター説明に力を入れて欲しかった。
2、謎の演出と謎行動
ヒロインが意味深なことを呟き風が発生し突然浮き上がるシーンがあるんですが、とうとう消えちゃうのか!?って思ったらただ浮き上がっただけでした。そして元の場所に着地し自らが天気の子であると説明します。「浮き上がるとこ、いる?」って思ってしまいました。他にも何度も主人公を取り逃がす警察、鳥居の謎、何故鳥居の力を帆高が使えたのか、圭介が謎の高速先回りをし警察をぶん殴ったり、そもそも陽菜が眠ってた場所はどこか。挙げ出したらきりがありません。想像するにはあまりにも想像しなきゃいけない場面が多すぎる…
3、連れ戻してロウエンドから最後の前作と同じ再会
君の名はの場合、問題を最終的に解決し元の生活に戻ってから数年後日常で奇跡に似た再会をするという感動的な話でした。
しかし今回は、最終的に陽菜を人柱から連れ戻したせいで東京を水没させキャッチコピーの通り世界の形を変える。ここまではまだ良いです。しかしこの後「世界はもともとこういう形だったんだ」と悪く言えば言い訳の様な話をした?作った?後、この三年の時を得て帆高と陽菜が再会という煮え切らない終わり方をしてしまいました…しかも数年後再会という前作と同じ流れ
4、前作のキャラクター達の登場
題名通り、君の名はの人物が登場します。
個人的には嬉しかったですが、でもそれは元が良くなければ意味がありません。今回は天気の子という映画なのだからそっちの心象や説明描写をちゃんと描いて欲しかった。説明出来た上でサービスとして出すならまだしも出来てない状態で出されてもって感じです…
まだまだ言いたいことはありますが、ボロクソ言いたいわけではないのでこれぐらいにしておきます。
■良い点
1、映像美
今回は天気というだけあって、雨の描写が主になりますが、とても綺麗です。やはり新海誠。空も綿密に描かれています。
2、帆高と陽菜のホテルでのシーン
異常な雨や雪が続き、「帆高は、雨止んで欲しい?」と尋ねる陽菜に、帆高はつい「え?うん」と答えてしまう。
自分が人柱になればこの雨は止むことを知っている陽菜には何気ないその返答を重く感じてしまう。そこからの帆高と陽菜の感情の高ぶりがとても惹きこまれた…俳優の演技は自然が売りですが、人間の心の動きが感じられた良い意味での俳優らしくない演技と感動的なシーンでした。
3、本田翼
公開前にあれほどディスられた本田翼の演技、正直そこまで気になりませんでした。ただし問題のシーンは最早周知の事実なのか会場で笑いが起きてましたが…
★総評
頭を空っぽにして純粋に見るんであれば楽しめると思います。しかし、「何故こういう気持ちになるんだ?」とか「今のシーンどういうこと?」とか思ってしまったら最後、度重なるクエッションで映画の進行に追い付けなくなります。
映画の本質や深く観る人は大抵理由を知りたがるんです。意味深なシーンや行動を目にしたら「あれは何だ?何をしてる?どうしてそうなった?」と知りたがると思います。
それを全て伝えることは難しいし容易ではない、視聴者に委ねる事もある。しかしこの映画はあまりにもそれを伝えてないように感じます。
映像美、それだけで観に行く価値はあるんじゃないかと思います。ですが私の場合、ストーリー重きで観るので損した気分ではあります。
今回は天気の子という設定自体は素晴らしいものでありながらそれを活かしきれていなかったために残念です。
まとめますと、
ストーリーの濃さよりもただただ映像が綺麗な映画が好きな人や、好きに自分で想像し、自分の物語を構築したい人には 良い映画として観れると思います。
今回低評価の人の大部分は、新海誠の物語を期待していたのだと思います。
Rhoさん
RHOさんもちゃんと読んでいないみたいなので補足をしますが
帆高が言い訳をしたと言いたいんではなく脚本が言い訳をしてるという意味です。
ひなを連れ戻して、雨降っちゃった。どうしようどうまとめよう、しゃーない元々こういう形っていう設定にしてまとめちゃおうっていう意図がすけてみえるからです。
帆高が言ったとは書いていません。作ったと書いたのです。
すみません。不満点の3についてだけはどうしても反論したいです。
カカさんは、帆高が、狂ってしまった世界について「世界はもともとこういう形だったんだ」という言い訳をした後に、結局問題なく再開をして終わり、といったなんとも煮え切らない終わり方について不満を述べておられるのだと思います。
しかし、ラストの再会シーンで帆高は(観れば分かりますが)、その前のスガからの「世界なんて元々狂ってる」という意見を受けて、それをそのまま鵜呑みにせず、「そう陽菜に伝えればいいんだろうか」という葛藤をまずしているんです。
そしてその後、陽菜に再会して、上のスガの意見について「それは違う。こんな狂った世界になったのは、僕が世界ではなく陽菜を選択したからだ」という考えに至ります(ここは暗にそう示されていたとかではなく、帆高がキチンとモノローグで語っていたと思います)。
つまり、カカさんが仰るような言い訳めいたことを考えていたわけでは決してないんですね。
恐らく上記のモノローグを聞き逃してしまったために、3の不満点のようになってしまったものと思われます。
ただ、ここでは一点だけ、カカさんが明確な事実関係について勘違いをされているようでしたので、その点ご指摘をさせて頂いただけであって、上記のことを踏まえた上で、やっぱり帆高の決断には賛同できないという意見もあると思いますし、むしろ今回の内容的にはあって然るべきだと思います。
長くなってしまってすみません。もしこちらの認識についても間違いがあればご指摘よろしくお願い致します。
頭空っぽにして音楽と映像美とほんの少しのストーリー性を眺めるような、手の混んだMVなら自分もすごく好きだったろうなと思います。映画館上映でも良いんですけども、「映画」と銘打つには画面端や画面外の「察しろ」が多すぎて、MVにするにはストーリーがありすぎるんでしょうね。
銃なし警察なし台詞なしだったなら、もっと雰囲気だけ楽しめたんですが、頭空っぽにして見るには、我々はちょっと大人になりすぎているのかとも思いました。やっぱり大人は理性と理屈で他人とやり取りする生物なのでね…
良い評論をありがとうございます。その通り…頭を空っぽにして純粋に見るんであれば楽しめると思います。…その通りだと思います。新海誠監督はデビューから2人の愛と世界の破滅が関係するセカイをテーマにしていますが、「君の名は」は、本当に死ぬほどストーリーを考えに考え抜いて、多くの人に予定調和の共感と感動を呼んだ作品です。「天気の子」は、新海誠がメッセージをダイレクトに伝える作品です。それを受け取れば良い。社会が複雑でも、大人が判ってくれなくても、セカイがどう変わってしまっても、帆高は陽菜を選んだんです。
頭を空っぽにして純粋に見るんであれば楽しめると思います。…その通りです。新海誠監督はデビューから2人の愛と世界の破滅の関係するセカイをテーマにしていますが、「君の名は」は、本当に死ぬほどストーリーを考えに考え抜いて、多くの人に予定調和の共感と感動を呼んだ名作です。「天気の子」は、もっと純粋に、新海誠のメッセージがダイレクトに伝わってきて最高でした。
迷わず帆高は2人の愛を選んだんです。
確かに疑問に思うシーンはいくつかありましたが、完璧な伏線回収や細かな設定がなっていなくてもその映画の1番伝えたいことが伝われば多少のあらがあっても仕方がないと個人的には思います。
逆に伏線や設定にこだわりすぎて視聴者側になにも訴えかけるものがない映画も多いですしね。
レビューならびにコメント
拝読しております
カカさんは、評価に対して非常に中庸な方ですね
沢山の人が目にする事で大部分に迎合しがちなここで、大変得がたい文調です
映画に対して評価する確固たる信念があり、かつ「感想」の周囲にある映像美など諸々を冷静に各々判じておられる
映画に対する評価は、時として宗教に通じます
監督の「想い」に対して、映画は封切られた時から監督の手を離れ我々民衆という荒波に漕ぎ出す小舟となる訳ですが、今回の評価は過分に御神体たる御方の
「過去の聖遺物」
に基づく評価が多い様に思います
釈迦が雑言を吐かないと仏教徒は信じるように、
「新海誠監督は、過去この様に奥深い描写があったので、こうなはずだ」
「小説ではこうだったので、奥行きは更に深まる」
それはそれで尊い解釈ですが、それは今回の「天気の子」に対する評でしょうか?
己の解釈を拠り所に反対意見を否定するのは、
「あなた達の御神体も、望むところでは無いでしょう」
と思うのです
信者が他者を批判と蔑みでねじ伏せるのは、誰あろう御神体は望んでいない
私は、そう思います
ロキさん
そのお方のレビューを見に行きました!
なるほど…と関心しています…!
確かにそう想像すればキャラクターとしての在り方が現れていて、非常に豊かな考え方だと思いました!
私としての感想は、そのお方のレビューのユージーンさんのコメントにて全て出ているのですが、もし自分の妻が晴れ女だとするならば何故神社で説明を受け半信半疑だったのか。ただ単に晴れ女と促したのは娘の為ではないかというのがジョーカーとして存在しています。
しかし、とても良い解釈をされているみたいで関心しました。
勘違いしないで頂きたいのは、私もそういう想像をしていますし、それを評価していないわけではありません。
ただ私は多きを視聴者に委ねてしまう脚本やストーリーが好きではないだけでこういう評価になっています。だってそれはもしかしたら真実ではなく妄想に過ぎないかもしれないし、ジョーカーが存在する事だってある。もちろん、視聴者に想像させるのは全然アリですが、この映画は想像をしなくちゃいけない場面が多すぎるせいで劇中のストーリーがグッチャグチャなのが「うーん…」と感じました。
キャラクター設定が薄いという考えを持つ人は浅い、想像力が低い…というレビューを見かけましたが
私から言わせればキャラクターの真実を知ろうとしないあなたが浅いと言いたい。
AOさん
なるほど…映画は視覚情報や音楽で読み取ることを重視したという訳ですね。確かに監督が言う賛否両論も頷けますね
有意義なコメントありがとうございます。
人物が薄い理由、映像で表現する事なのであれば、家出の映像表現がない時点で…なんとも言えませんが…
銃の所持について映像表現はありますが果たしてあの映像表現で視聴者が納得したのかと言えばこのサイトのレビューを見れば分かると思います。
映像で表現するなら、前半の宣伝じみたシーンや得体の知れない水溜りや鳥居は表現のうちに入るのかと言われたら…といったらまだまだありますが…
しかし、新海監督は攻めてきましたね。
納得できるコメントありがとうございました。
登場人物の情報が少ないと言う点について小「天気の子」のあとがきで新海誠が語ってましたよ。
以下、軽いまとめです。
物語には中身と器がある。中身は映画、小説共通してストーリー。
だが器には映画と小説に違いがある。
映画の器は視覚情報(表情や背景描写、動きの躍動感)や聴覚情報(効果音、歌)と色々な要素から構成される。
一方、小説の器は文字だけ。
とあるセリフ「〇〇」について考えた時、
小説では臨場感を表現する為にその発言をする人物について説明を濃くしなければならない。(必然的に人物説明が濃くなる)
映画では臨場感を音楽、映像で表現できると。
新海誠の映像美や音楽にかける熱はこれゆえではないでしょうか。