「「設定ありき」だとこうなるのか…。」劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD makoto_Aさんの映画レビュー(感想・評価)
「設定ありき」だとこうなるのか…。
レビューは初めてです。合計で3回観ました。
おっさんずラブは連ドラ版からのファンです。
テレビシリーズで座長はスタッフさんに言ったそうです。
「設定ありきで進んでいかないようにしよう」と。
映画を見てその意味がわかりました。
牧は狸穴の影響で変わった”設定”。
牧には入社以来の夢がある”設定”。
武川は部長を好きな”設定”。
五角形ラブバトルの”設定”。
部長は何度でも春田を好きになる”設定"。
春田と牧は別れそうになるけれど、最後は相手の夢を尊重し、離ればなれになるけれど、結婚したから大丈夫な"設定"。
桜が咲いていても夏祭りの”設定”だから見なかったことにして。
春田と牧の夏祭りの会場は山が近い明らかに東京じゃない場所、蝶子とマロが花火を見ている場所はレインボーブリッジが見える場所、部長と武川が一緒に花火を見た営業所の屋上は都内だけど区内じゃない場所。でも、全員、同じ花火を見ている”設定”だから受け入れて。
牧はたった1週間しか狸穴と一緒に仕事していないけれど、影響を受けたんだよ。そういう”設定”なんだよ。
”設定”だからと、見逃さなきゃいけないシーンは上げればキリがありません。
映画が単発の作品だったら、役者さんはどんなに楽だったでしょう。
映画用のテーマをもとに考えた設定から役作りをすればよかったんですから。
しかしながら、この映画はドラマシリーズの完結編なのです。
ドラマシリーズでは、どの役者さんも自分の役を見事に生きていました。
ドラマで描かれた時間だけじゃなく、セリフからそこに至るまでの人生を伺わせてくれました。
でも、映画はどうでしょう。明らかにドラマシリーズとキャラクターが変わった人もいましたよね。
脚本家、監督、プロデューサー。
ドラマシリーズの続きとして、作品のテーマを考え、それに見合う設定を考えたと思いますが、キャラクターの生い立ちをそこに考慮していただけましたでしょうか。
テレビシリーズで、座長が「設定ありきで進んでいかないように」と若いスタッフを導いてくれましたが、届いていたでしょうか。
大変申し訳ありませんが、映画を見る限り、私からはそのようには見えませんでした。
映画のテーマに沿った設定を役者さんに丸投げしたようにしか思えません。
そういう意味では役者さんたちは、上っ面の設定を見事に自分の役に反映させていたと思います。
だから、私も考えを切り替えることにしました。
映画を見てもやもやしていたものは、すべて”設定”なんだと割り切ることにしたら、楽になりました。
同じスタッフ、役者でも「設定ありき」だと、こうも駄目になるのだということ、そして、役者のチカラは偉大だということが、この映画を通しての一番の感想です。
まったく仰る通りです!
私も3回観ました。公開初日に胸躍らせて劇場に駆けつけましたが
春田の香港買い食いシーン以降、全く入り込めず。
「こんなはずじゃ…何か見落としたかも?」の確認で3回。
回を重ねる程、映画としてのデキの悪さが際だって来て、こんなモノが
完結編だとうと、かなりダメージが大きいです。
全編、全キャラ「この人、こんな事する人だっけ?」という違和感は、まさに設定ありきだからですよね。セリフにも優しさが無いし、サウナだホテルだと変な匂わせが鼻に尽くし。
劇場版の嫌な記憶が邪魔し過ぎて、愛するドラマ版が当分見れないです。
公式は罪な事をしてくれましたわ。