「役者の素晴らしさが製作陣を過信させた?」劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD ゆずさんの映画レビュー(感想・評価)
役者の素晴らしさが製作陣を過信させた?
元々このドラマの最大の勝因はキャスティングにあると思っていました。ドラマシナリオブック読みましたが、大したことない、昔のよくある王道ラブストーリー。だからこそ、あれほど素晴らしいドラマに仕上がっていたことに改めて驚いた。セリフもかなり違うし、田中圭、林遣都、吉田鋼太郎が役を生きた姿が多くの人の琴線に触れた、そんなドラマだったんだと思う(ハッキリ言って、シナリオ読んでも春田も牧も全然愛しくならない。愛しいキャラに育て上げたのは間違いなく田中圭と林遣都)。
その役者に依存した評価を、製作陣(特に脚本家)が自分達の力と過信したとしか思えない映画。自分達の企画は、脚本は凄いと思ったの?そもそも、映画だから派手なことやりたいから始まる企画って何?描きたいテーマ、ゴールを決めて、それを伝えるために必要な要素を洗い出して、そのなかに派手な演出でもコメディでも入れていくんじゃないの?
明らかにそのステップを踏んでいない、俺らイケるでしょの自己満ストーリー。あの役者たちの力を持ってしても、ここまで切り貼りじゃ限界がある。林遣都がインタビューで、牧には変化があって、でも根底には春田さんへの想いがあると言っていたけど、なんとかそう思うことで役を成り立たせていたのでは?牧は特に、この破綻した本の一番の犠牲者。
忙しいのか知らんけど勝手に笑顔で出ていき、出ていった後に恋人に対し「今が一番生きてるって感じする」と最低発言、かと思えば飲んだあとご機嫌でイチャイチャ甘え、何も説明しないくせに「分かってくれないから一緒に暮らすビジョンが見えない」、その癖ほかの男が春田に触っているのを見るとブチギレる、恋人が倒れたことを知らされず傷ついた春田に「あんたみたいにいちいちギャーギャー言いたくない」???
大体、街のひとたちと向き合う春田の姿に惹かれ、そして2年間営業所で大切に仕事してきたはずの牧の、あれがずっとやりたかった仕事?あんな短期間での地上げに疑問ないの?春田の言うとおり「本社行った途端上から目線」の典型的なエリート。なぜこんな酷い役にした?
もっともっと、牧も苦しんでいると、春田が大好きでカッコ悪いところ見せたくなくて家を出ただけだと、花火をずっと楽しみにしていたとか、ほんの数分、実家での牧の姿を例えば入れることで描けた。林遣都なら、セリフがなくても目だけで春田への想いを表現できた。ただ一言、狸穴さんに「少し急ぎすぎじゃありませんか」と進言させるだけで、牧の葛藤を描けた。尺の問題?いやいや、牧の想いの描写より、香港の追っかけごっこ大事ですか?サウナもうどん屋もコメディとしては面白いけど、軸を犠牲するのは本末転倒。
牧の不器用で一途な想いはこの世界の軸だった、林遣都が丁寧に真摯に、演技を超えて作り上げきてくれた牧という人物を、映画で壊された気分です。ドラマの世界から変化していてもいい、でもそれならなぜ変化したのか、描写がほしかった。更に言えばコメディだらけでも爆発でもいい、でも春田と牧のラブストーリーだという軸だけは蔑ろにしてほしくなかった。脚本に大した期待はしていません。でも、申し訳ないけどドラマのあの本であれだけ素晴らしい出来になったのだから、余計なことしなければ、役者陣が素晴らしい作品に仕上げてくれたはず。
この役者陣でも補えないレベルの企画を押し進めたこと、製作側は本気で反省したほうがいい。もう牧と春田が幸せに暮らすイメージは持てず(明らかに牧の気持ちの温度が低く、確実に別れる)、悲しくなりました。
楽しみに前売券も沢山買ったので5回見たけど、正直キツイ。でも残り2枚一応消化するか・・もう割りきって役者の演技とコメディの場所だけ見に行こう。そんな気分です。
星2つは、こんな企画でも全身全霊で役を生きてくれた皆さん、特に田中圭、林遣都、吉田鋼太郎のお三方へ。俳優陣に一切非はなく、むしろあの本でよくぞここまでプロの仕事を見せてくれました。
願わくば、脚本家変えて監督も変えて、貴島Pはじめ女性陣の意見をベースに、映画はなかったこと(番外編てことでいいわ、もう)にして、ドラマの続きを、同じく深夜ドラマで描いてほしい。映画で壊された世界は忘れて、ドラマの世界線のふたりが幸せになる姿を見たい。
たんぽぽさん、コメントありがとうございました。同じような気持ちの方がいてくれると思うとホッとします。わたしもドラマをこれから見ても、もう同じ気持ちで見れないかも。
大切な軸だった牧の人物像が壊れた今、どうせ春田を手に入れても一年後には冷めてるじゃんとか、街の人たちを無視したPJを夢とのたまうアナタが春田の何に惹かれたの?とか、思ってしまいます・・ドラマの感動を返してほしいです。
むさしさん
コメントありがとうございます。同じような気持ちの方がいると思うとホッとします・・・。
おっしゃるとおり、わたしも牧は熱しやすく冷めやすいだけの恋愛に向かない人なのかな、と感じました。炎のなかで春田の必死な告白を受け止めたのは、もう死ぬかもという特殊な状況でアドレナリン出ていただけでは?とも。そもそも日常生活の中で生じた気持ちのすれ違い(というか牧の自己中すぎる言動)を、極限の非日常空間だけで解決させようというのがお粗末すぎる。
春田は一貫して牧が大好きで、置いていかれて気持ちが離れているようで寂しい、という描写があったので(これも田中圭の力でしょうが)、まだ「素直に気持ち言えたね」になりますが、牧に至っては「壊れるのが怖くて向き合わなかった?いやいや、明らかに仕事の邪魔だし面倒と思ってただろ、楽しくイチャイチャするぶんには好きだけど一緒に生きてくのはないな、と思ってたよね?」とツッコミたくなりました。死にそうだからって綺麗ごと言って誤魔化すなよ、とまで思ってしまった。
そう思うと、シンガポールは牧的には願ったりかなったり?離れていればイライラさせられず、牧の最低な言葉によって恐らく春田は「いちいちギャーギャー」言えなくなったし、そりゃ最後の別れであれだけひとり清々しい笑顔になりますよね。裏側であんな苦しい表情になっている春田の気持ちなんか何も気づかずに。
大好きだった、心から幸せになってほしかった牧という人物を自分がこんな風に思ってしまうことが、本当に悲しいです。確かに冒頭の「必要なものだけ」は林遣都のアドリブみたいですね。他にも必死に牧の気持ちを想像して表現したことがあって、きっとカットされているだろうと感じます。そもそも牧が一番犠牲者なだけで、映画全体において継ぎはぎが酷いですし、役者陣の努力はきっともっと沢山無駄にされているだろうなと。継ぎはぎだらけのストーリーと、上手すぎる役者陣の演技が、なんともミスマッチでした。その演技はきっと役を生きてきた真摯な役者陣の解釈によるもので、その想いがきちんと活きるストーリーにしてほしかった。
長々とすみません。。。コメントいただきありがとうございました。
何度もコメントしてすみません。最初の営業所ガサ入れのシーンで、牧が本社の人に「必要なものだけで、、」という場面がありました。本社の使命感をもちつつ、現場の営業所を気遣う所はドラマ版の牧と繋がってるなと少し安心して見えたシーンですが、シナリオ見ると林遣都さんのアドリブなんですね。、林遣都さんなりに、色々自分の中で整理して役を演じられていたのだろうと思います。それでもアドリブをバッサリ切られてたら意味無いわけで、役者さんって実はとても無力なんだなと思いました。不要なシーンを省いて、牧の内面をもう少し丁寧に描いてくれれば。どうしてそこを端折ったのか。心から残念でなりません。
映画のことは忘れようドラマを見返すのですが、同一人物とは思えなかった映画の牧が邪魔してきて、ドラマの牧を純粋に見れないほど、この映画はドラマを汚してしまったと感じています。
代弁頂きありがとうございます。私も牧が1番好きで、好きすぎるくらいでしたので、映画でまた会える事を本当に本当に楽しみにしていました。。なのに、、。映画の牧は支離滅裂でしたね。夢の件は、本気なら相当頭悪い子か、若しくはこれは洗脳されてるのかな…?とすら思いました。ラストのシーンでもまた夢、夢と出てきて、牧の夢って、、?シンガポールだっけ?会社で偉くなること??と少しシラけました。もう春田のこと好きじゃないのかな。元彼ともすれ違いで別れたみたいだし、熱しやすく冷めやすいのかな、と。ドラマ版の軸だった牧の春田への想いも薄っぺらく思えてきて、今はドラマの事も思い出すのが悲しくなります。林遣都さんには全く非はありません。寧ろ可哀想でなりません。本当に、いっそ映画だけ都合よく記憶喪失にしてほしいです。