マイ・ブックショップのレビュー・感想・評価
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大人の陰険ないじめ映画
イギリスの田舎町。のどかな景色の中に、まるで少女がそのまま大人になったような可憐な女性が書店を開かんとする。ジュリエット・ビノシュの「ショコラ」を書店に置き換えたような物語かしら?それは素敵な大人のためのお伽噺かしら?・・・と思いきや、いやはや大人の汚いところが描かれまくった胸糞悪いシビアな映画でした。うっかりフィールグッド・ムービーのつもりで観に来た人は愕然とするのではないか?もう本当「不快」とさえ言ってもいいかもしれない。
何しろ、大人の陰険ないじめが酷いこと。政治とかコネとかを利用した悪質ないじめ。田舎の小さな村の閉鎖的な文化と価値観の怖さが剥き出しになったような感じ。それに対し、ヒロインが立ち向かって闘っていくという物語でもなく、ヒロインはとにかく耐えて我慢しているだけ。彼女自身何も行動を起こさないので、苦境に立ち向かっているだとか、困難と闘っていると思わせてくれない。だから余計にガマート夫人のやっていることがただのいじめにしか見えてこない。結局、ヒロインはどんどん追い詰められて行き場を亡くしていじめに屈して逃げるしかできなくなる。でもそりゃそうでしょうよ、あなた何もしないんですもの。あぁすっきりしない。
年齢を重ねても可憐さを失わない少女のようなエミリー・モーティマーと、ますます存在感を増すビル・ナイに加え、絢爛なドレスをまとった姿が絵画のように美しいパトリシア・クラークソンという、俗にいう「俺得」なキャスティングだったというのに、この内容は残念。
とにかく美しい街並みと美術と衣装と建築を眺めることで後味の悪さを紛らわせました。でも本当、映像はとても綺麗。セットも可愛くてお洒落だし、モーティマーが着ている衣装も本当に素敵だった。
ミスター・ブランディッシュの乱
小さな村の小さな騒動の話だが、女主人公にとっては大問題だ。ささやかな夢をかなえたいだけなのに、因習に閉ざされた村にじわじわと絡めとられていく。
読書好きの老人がそれまで何を読んでいたのか知らないが、ブラッドベリとナボコフという選書で開眼するという設定はかなり意図的な感じがする。1950年代は今と違って圧倒的に情報が少なかっただろうから、書店がどんな本を置くかということは大きな要素を占めていたに違いない。が、ある意味最も幸福な書店の形態が存在し得た時代だったとも言える。現在では日本でも大型チェーン店以外は廃業に歯止めがかからず、書店数は減少の一途をたどっている。
終わり方はすっきりしないし、そもそも本好きの子があんなことしちゃいけないな。
心に残る、書店を開店した女性の物語
1950年代後半のイギリスの海辺の田舎町が舞台。古き良きイギリスの街並み、風景。
書店が一軒もなかった保守的な町に、周囲の反対にあいながらも、読書の楽しみを広げたいという思いで、何とか古民家を手に入れ書店を開く。でも、この変革は、保守的な町では受け入れられず、嫌がらせや困難が待ち受けている。
書店開店のために、変革を試みる女性の奮闘記、だけで終わらない。
美しい風景や素朴な風合いのファッションや雑貨にも魅了される。
ラストまでお見逃しなく観賞することをお勧めします。
何だか、無性に本が読みたくなる作品。
早速「華氏451度」を読んでみる。
「The(マイ)」とはそういうことか!
戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)は、イギリスの小さな漁港の町に格好の物件を見付け、長年の夢だった書店を開く。
ところが、その物件はオールドハウスと呼ばれる歴史的な建物だった。町の有力者ガマート夫人もまた、オールドハウスを別の用途で使いたいと目を付けていた。
ガマート夫人の嫌がらせが始まるが、何とか書店は開業した。
映画はそこから、フローレンスの、ついに念願の「マイ・ブックショップ」を手に入れたという喜びや、書店という仕事の楽しさを綴っていく。
ガマート夫人の妨害は続くが、すぐに本の配達を引き受けてくれる少年や、店を手伝ってくれる少女クリスティーンが現れて、フローレンスの書店は動き出す。また、徐々に町の人々も足を運んでくれるようになっていった。
このような中、丘の上の古い屋敷に独りで住む老人ブランディッシュ(ビル・ナイ)とフローレンスの交流が始まる。彼は読書好きで、彼女に選書を頼むのだった。
この2人の本を介したやり取りが楽しい。フローレンスはまず、ブラッドベリの「華氏451度」を送る。どうなることかと思っていたら、これがブランディッシュに受ける!続けて「火星年代記」を送るのを見て、にやにやしてしまう。
さらに登場するのはナボコフの「ロリータ」。この本を売るべきかどうか悩んだフローレンスは、本をブランディッシュに送り、相談する。
このエピソードは小さな町の本屋が「どんな本を売るか」ということが、地域に与える影響を描いていて、印象深い。
つまり、本を通じて、地域に知的なものをもたらすのが、書店の存在意義。
現代社会では本は読まれなくなり、書店という存在がこの世から消えつつあることについて、考えさせられる。
そうしている間にも、彼女の書店を潰そうとする画策は進行する。
観る側としては、主人公に勝ってほしいのだが、本作はそうはならない。
ガマート夫人の企みは着々と進み、フローレンスは追い詰められていく。
あるとき、ブランディッシュはフローレンスに言う。
「本の素晴らしさは、そこから勇気を得ることだ」と。そして彼は、妨害に抵抗し続けるフローレンスの勇気を讃える。
ブランディッシュもまた、町の人々から奇異な目で見られ、人付き合いを絶っていた。そのような中、フローレンスと本を通じて心がつながったのである。
ガマート夫人の嫌がらせは、やがて政治家も巻き込んだ大掛かりなものになっていく。ついに
ブランディッシュもまた、ガマート夫人に立ち向かうことを決意する。
そのことをフローレンスに告げる場面。ブランディッシュはフローレンスの手を取り、そっとキスをする。素晴らしいシーン。年齢差ゆえ、素直に想いを伝えることは出来ない。それでも、溢れる想いを抑えることが出来ない。フローレンスも、その気持ちを十分すぎるほど分かっている。
孤立を恐れず、正しいと信じることを貫く勇気。同じ心を持つ2人の想いが重なった美しい瞬間だった。
フローレンスの抵抗空しく、オールドハウスを明け渡さなければならなくなり、ついに彼女の書店は閉店が決まる。ガマート夫人に、フローレンスは敗れるのだ。
こうした経緯を見ていたのはクリスティーンだ。本は好きではないと言っていたが、フローレンスと意気投合し、彼女の書店という場所を愛した。
クリスティーンは、フローレンスの勇気や信念と共に、町の大人たちの汚さも同時に見ていた。失意の中、町を去るフローレンス。このとき、クリスティーンは彼女なりの復讐を企てる。なんと、オールドハウスに火をつけるのだ。
「華氏451度」という小説は本が禁止され、見つかれば所持者は逮捕され、本は即燃やされる世界が舞台。結果、人類は思考力や記憶力が退化し、無気力な愚民となってしまっている。タイトルの「華氏451度」とは、本が(つまり紙が)自然発火する温度のことだ。
オールドハウスには、書店の在庫が残っていた(在庫ごと差し押さえられたのか)。
小さな町を、知的に照らしていたフローレンスの書店は、そこにあった本もろとも炎に包まれる。まさに「華氏451度」の世界のように、だ。
ラストに仕掛けがある。
最後のシークエンスの舞台は現代、大人になったクリスティーンは書店を営んでいる。
本作のナレーションはクリスティーンだ。
原題は「The Bookshop」。「The」は特定のものに付ける冠詞だ。
そう、この映画は、現代のクリスティーンが語る、フローレンスのブックショップをきっかけに、彼女が「The」ブックショップを持つに至った、という物語だったのである。
いつの時代も、女性が仕事をしていくのは大変だ。クリスティーンの書店経営にも、さまざまな苦労があったことだろう。フローレンスとクリスティーンが「勇気」について話した場面はなかった。しかし、それは確かにクリスティーンに受け継げられたはず、そう思わせる結末だ。
そうして、自分の書店を持つという夢もまた、フローレンスからクリスティーンに受け継げられたのである。
僕は、この「仕掛け」に気付いた瞬間、涙が止まらなかった。
最後に。
この映画、宣伝の仕方に問題がある。本作は、決して「田舎の可愛い本屋さんの物語」ではない。
信念のために、孤立を恐れない「勇気」を持ち続けた人たちの闘いの物語なのである。
役者たちの演技、背景となるイギリスの海辺の町の風景、舞台となるオールドハウスの建物も素晴らしい。
味わい深い傑作である。
本は紙派
イギリスの片田舎に本屋を出店した女の人と街の権力者のババアとの戦い。
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とりあえずババアとの戦いの件は置いておいて、この本屋すごい雰囲気が良いのよね。売れてる本じゃなくてフローレンスがよりすぐった本を店頭に置いてる。
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こういう街の本屋って日本っていうか少なくとも私の地元にはない。通ってた本屋は次々と潰れて言って今は名古屋駅にあるでかい本屋まで行かないと本が買えない。
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本なんかネットで買えるっていう人もいるけど、本屋に行って読みたい本を探すのが楽しいんだよね。ネットだと売れてる本しか出てこない。
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そしてババアとの戦いの件は、主人公がなかなかどんくさい。人のこと信じすぎだよ!もっと警戒しろ。
皮肉が効いている…のかもしれない
イギリス映画のひねたオチが邦題「喜望峰の風に乗って」を否応無しに思い出す。いやあれはタイトルがひねただけで、こちらは別にハッピーエンドで終わるとは言ってないし。私が勘違いしただけだし。
本を好きな人に、勇気を持って夢にチャレンジした人に、幸せのエンディングが見たかっただけなんだ……。
メリーポピンズリターンズの時と同じ衣装デザイナーかと思ったら、違いました。
海辺の自然と素敵な衣装、最高だった。ビルナイの紳士っぷりも
本が大好きな方
なら楽しめると思います。そしてビル・ナイがとても素敵です。渋いです。嫌な奴の俳優さんが宇梶剛士さんにそっくりです。ラストのシーンはブラッドベリの「華氏451度」のオマージュでしょうか。じわじわと効いてくる感じの映画です。シネスイッチ銀座にて鑑賞。
予想を裏切る
ほのぼのとした雰囲気ものかな?と思いきや…静かな語りと抑えた演技の中 詩的なセリフが当たり前のように語られる。その中で伝わるメッセージと社会風刺
これには やはり、シェイクスピアの生まれた劇の国の映画か…と唸る
老紳士も少女も良いが、ガマート夫人は名前も怖いが、助演賞
芯
女性は現代になっても起業をしたり働いたりする事が男性よりも不利であると感じますが、舞台となった1959年のロンドンの田舎町は、今よりももっともっと大変だったろうなと思いました。私は嫌がらせされたら多分めげてしまいますが、主人公は自分の中にめげない「芯」や大切なものを持っていたので、当時に生きるひとりの女性として凄いと感じました。
実はイギリスの片田舎を舞台にした『八つ墓村』
舞台は1959年、本屋が一軒もないロンドン郊外の小さな港町。大戦で夫を亡くした元書店員のフローレンスは夫婦の夢だった本屋を開業することを決意、準備を進めるが民度が低く保守的な住民はちっとも協力的でなく開業資金の融資も受けられない。それでもなんとか古い民家を改造して開業にこぎつけるが、その民家は町の有力者ガマート夫人がアートセンターにしようとしていた物件だったことから様々な営業妨害を受けるようになる。そんな苦境にもめげないフローレンスの心の支えは町外れの豪邸に引きこもっている老紳士ブランディッシュ。本の配達と文通を通じて心を通わせるようになる二人だったが、その頃ガマート夫人はついに自らの政治力までも駆使してフローレンスから民家を奪還すべく策略を巡らせていた。
てっきり小さな本屋が良書を通じて頑なに心を閉ざす町の人たちを笑顔にする話だと思っていましたがこれが全くそんな話じゃないのでビックリ・・・というか、これはほぼ『八つ墓村』。とにかくそこらをウロウロしているだけの町の人々の容赦なさがもう猛烈に怖い。なかでもパトリシア・クラークソン演じるダマート夫人の卑劣さがハンパなくて観客一同ドン引き。穏やかな笑顔から一転猛烈な怒りを露わにするカットはそこらのホラーより全然怖い。そして何と言ってもビル・ナイ。どんな映画に出ても映画の風格を一段上げてみせる名優中の名優ですが、静かな佇まいからダマート夫人に怒りをぶつける勇猛さまでダイナミックかつ自然に表現してみせる名演は圧巻。一見慎ましやかな未亡人でありながら、いきなり『ロリータ』を250冊入荷する等大手書店でもやらないような大胆な戦略で果敢にマーケットを切り開こうとするフローレンスももちろんカッコいいですが、本作の本当の主役は別にいることを匂わせるナレーションとラストシーンに胸を打たれます。
老後は田舎で静かに暮らしたいなとボンヤリ夢想するシルバー予備軍の顔面に思い切り唾を吐きかける猛毒作品、これくらい盛大に予想を裏切ってもらえると清々しいです。
ゆったりとした時間
読書をしている時の様な、ゆったりとしつつも頭の中では何かが常にクルクルと回っているような感覚。物語の終盤は想像とは違いましたが、結末は好み。
醜悪なるものと静かに戦い続ける主人公と、少ない共感者達がいとおしい作品でした。少し弱ってる時にまた視たくなるのかもしれない、優しく力強い時間でした。
なんだか歯痒い…
女性が開業する事の難しさ
今の時代でも無いとは言えないです
それより権力者に群がる人達
ステレオタイプで感じ悪いよなぁ〜
少なくともフローレンスは自分で相手の本質を見て接する
それをわかってくれる人がいたから、人(エドモンド)の心をも動かしたよね!
最後はドンデン返しがあると思ってましたが、なんだか歯痒い…
やはり人は孤独より、人と寄り添う方がいい
そして人の優しさに感謝したいと思いました(^^)
ここ数年のマイベスト「愛の告白」。
息が苦しくなった。
ラストに向かって息苦しさは増していく。
とてもとても示唆に富む映画だと思う。
小さな書店の美しい女性店主があの手この手で追い詰められていく。最後は公権力を使って法律を利用されて追い詰められていく。
「ささやか」な営みが失われる。
「芸術のため」という大義名分が使われる。店主の親友となる初老の男の言葉が重い。
「芸術は芸術センターでは作られない」、人と人の間に生まれるものだと受け取った。
僕も日々、大義名分のもとに「ささやか」な営みを踏みつけている気がする。
ずしんと重かった。
そして、美しい映画だった。
ふたりの崇高な心が交わっていく過程。
ほとばしる想いを不器用に伝えあう。想いを寄せる人に素直でありたい、という気持ち。
ほんとに美しいラブシーンだった。
ここ数年の映画体験ではベストワンの「愛の告白」だと思った。
みなさんにおすすめする。
ぜひ見ていただきたい。
宣伝文句に騙されちゃダメ。最後は、ちょっと悲しくなりました。
1959年のイギリスの小さな港町。戦争で夫を失った女性が、夫との夢であった書店を開く。軌道に乗りかけた書店であったが、地元の有力者夫人の妨害に遭い、彼女の運命は変っていく。
途中までは、夢があって、中々心温まる話です。ところが、書店が開店して、店の経営が軌道に乗ったあたりから、雲行きが怪しくなります。日本でも、所謂“地元の有力者”と言う層が居ますが、それは、洋の東西を問わないんですね。書店が“自分の計画を妨害している”と思っている所謂“有力者”は、権謀術数の限りを尽くして、書店の妨害をします。そして、最終的には・・・。
いやぁ、若干、救われないなと思わないことも無いですね。まぁ、本好きを育てて、後の世に送り出したという事も言えるかもしれませんけどね。
公式HPや、パンフレットの宣伝文句に騙されちゃダメです。最後は、ちょっと悲しくなりました。
省略しすぎたのかな?
きっと原作の本を読めば感動したのだと思う。けど、映画はあっけなくて、人間関係の背景とか、終わりが想像にお任せします、という余韻を大切にするあまり、肝心の本への愛情よりも、悲しさのほうが胸に響いて、人生のはかなさばかりが心に残る。
雰囲気がテーマに合っていて見やすかった
静寂に包まれた映画で、作品のテーマに即した雰囲気で非常に見やすかった。確固とした原作があった為なのだろうか、安心して観賞することができた。
刺激やドラマチックなものを求めるとやや物足りないかもしれない。
本というのは読書とということばかりではなく、その容姿や手触りも魅力的だったなぁということを今一度思い起こさせてくれるような作品だった。
心に残る名作
映画やテレビが画面に向き合って映像や音声を受け取る受動的な行為であるのに対し、本を読む行為は作者と横に並んで同じものを想像する能動的な行為である。それは作者と読者の、時空を超えた共同作業でもある。
作者は読者が想像しやすいように輪郭を浮かび上がらせるような表現をし、読者はその輪郭を上手に描いてみることで作者とイメージを共有する。作者の表現が正確であれば複数の読者も同じ輪郭を頭に描けるだろう。あるいは、作者が意図的に細部を省略すれば、個々の読者の経験や想像力の違いによって、それぞれに違ったイメージを持つことになる。
多くの場合、作者はひとつの作品で詳述と省略を使い分ける。だから読者による理解の違いが生じることが多い。同じ読者でも十年後に読んだら、同じ作品に対して異なった理解をすることもある。読んだ本を原作とした映画を観たときに違和感を感じるのは、人によって理解が異なる上に、イメージを映像にするときに更にデフォルメが生じるからである。百人の人が読めば百通りのイメージがある。本と向き合うことは自分自身の経験や想像力と向き合うことである。問題はどの本を読むかということだ。
本作品は、主人公フローレンス・グリーンを演じたエミリー・モーティマーをはじめ、役者陣は名人級の人ばかりで物語は大いに盛り上がる。イギリスが舞台だから英語は上品だ。アメリカ人ならFuck off(出て失せろ)というところをLieve(立ち去れ)というところなど、アバズレではない御婦人の言葉に相応しい。
フローレンスが本屋の仕事は孤独ではないと言うとき、彼女は並べられた背表紙の向こうに広がる、たくさんの作者たちの熱気に包まれている。本屋は出逢いの場なのだ。沢山の本が読者の想像力との出逢いを待っている。人は未知の他人と出逢うように本と出逢う。人に出逢うことで運命が変わることがあるように、本に出逢うことで運命が変わることがある。出逢いはたいてい偶然だ。探していた本の隣にあったとか、文庫なのに平積みされていたとかいったときだ。
そしてそのとき、本屋の店員の役割が重要であることに気づく。探していた本の隣に運命の本を並べたのは店員である。運命の文庫本を平積みしたのも店員だ。以前ある本屋で「極真拳」「少林拳」といった格闘技系の本の中に「土門拳」の写真集が混じっているのを見たことがある。ちなみに土門拳は人の名前で、知る人ぞ知る著名な報道写真家である。戦後12年目の広島を題材にした「ヒロシマ」という写真集が世界的な評価を受けた。
多分土門拳のことを何も知らない店員が並べたのだろうが、一概に悪い例とは言えない。格闘技に興味を持つ人の中に、土門拳の広島の写真を見て衝撃を受ける人もいるかも知れない。そもそも土門拳の写真集を置いてあるところにその本屋の価値がある。
インターネットで探してスマートフォンで読める電子書籍は便利だが、実際の本に比べて温かみがない。本は印刷屋、製本屋、そして本屋と、沢山の人の手を介した上で読者に届く。本屋の本棚に並んだ本には、印刷の色やカバーの装飾、イラストや挿絵など、作者だけでなくその本が売れればいいと願う人々の気持ちが詰まっている。そして何より、出逢いがある。店主が商業主義に陥らないで、多くの本を博学的に読み、店に訪れる人々に本との出逢いをお膳立てしてくれる本屋は、街にとって貴重なファシリティである。主人公フローレンスが目指したのは、そういう本屋に違いない。
街の人々の無理解と有力者の横槍にめげず、長いものに巻かれることもなく、ひたすら本屋としての王道を営むフローレンスには、あなたには勇気があると言って励ましてくれるブランディッシュ氏だけでなく、知識と想像力の宝庫であるたくさんの本が味方についている。頑張れ、フローレンス。
本作品の唯一の伏線となったストーブのシーンが回収されたラストには、受け継がれた夢の続きのような余韻があった。心に残る名作である。
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