運び屋のレビュー・感想・評価
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イーストウッド監督の映画に通底するもの
この映画を観て確信しました。
クリント・イーストウッド監督は『仕事に真摯に取り組む人』そして『仕事として引き受けたことは当たり前のようにきちんとすること』への関心と敬意と感謝の気持ちが本当に強いのだと思います。
『ハドソン川の奇跡』では、機長を始め事故に関わった人たちが、それぞれの持ち場で出来ることを最大限に発揮する姿、或いは発揮しようとした姿を丁寧に描いていました。
『グラン・トリノ』や『ミリオンダラーベイビー』でも主人公は、一度引き受けた仕事(役割)について、自分が出来る範囲においてすべての力を出し切っていたはずです。
本作の主人公も動機や行いの正当性を抜きにすれば、持てる力を誠実に手抜きすることなく仕事に注いでいました。
あの最後の仕事だって、家族との触れ合いの後であれば、何かが吹っ切れ、当初予定の場所ではなく、積み荷ごと警察に駆け込む選択肢もあったと思うのですが、家族との関係性の再生はそれはそれとして、仕事についてはきちんと所定の場所に届けようとしていました。
しかしながら、イーストウッド監督はそれを殊更凄いことだと強調するのではなく、『自分の仕事』として引き受けた以上、持てる力(技量も経験も)は最大限誠実に発揮するのが
人として自然なこと、当たり前のこととして描いているのです。
経済的な側面だけでなく、『仕事』とか『役割』といったものが、たとえ社会の中でどれほど小さなものであっても、人が人として存立し得るプライドの基盤であり、敬意をもって認め合うものなのだと教えてくれます。非合法ではあっても、仕事を通じてメキシコ人たちと生まれた関係性(極めて限定的ではあるが一定の信頼関係も存在した)の中でやり甲斐を感じていたのは確かなことなのです。だからこそ、自分の仕事、と認識した行動については誠実に振る舞わなければいけないのです。
イーストウッド監督の演出は比較的静かで、あまり抑揚なく描かれますが、どの作品もいつも深く染み渡ってくる感動を与えてくれるのは、監督自身が〝映画を作るという仕事〟に誰よりも誠実に取り組んでいるからだと思います。
いつまでも現役
ニューヨークタイムスのサム ドルニックによる「90歳のドラッグ運び屋」という記事で広く知られることになった、実際にあった事件をイーストウッドが映画化した。90歳のアールの役を、88歳のイーストウッドが演じている。イーストウッドは、第二次世界大戦の退役軍人で、ユリを栽培する園芸家、しかも犯罪歴のない60年間模範運転手だった老人が、コカインの運び屋として10年余り働いていたという、その人生に興味をもって、映画にしたのだと言っている。イーストウッドの言うように、アールと言う人は、誠に興味深い人で、コカインで作ったお金を、子供病院に寄付したり、退役軍人の施設の改築に使用している。76歳で運び屋を始め、月に250キロのコカインをメキシコからアリゾナに運び、逮捕され刑務所に入って間もなく亡くなった。
この映画がイーストウッドの最後の主演、監督映画になると、新聞で報じられたが、インタビューで、彼は肯定も否定もしていない。人に「これが最後の作品になりますね。」と言われて、「そうかもしれない」と答えただけで、自分では引退なんて言ってないよ、と笑っていた。嬉しいことだ。
ストーリーは
インデイアナ州 ミシガン市
アール ストーンはミシガン湖のほとりにユリの花を栽培するファームを持っていた。何人もの農夫を雇い180種ものユリを栽培し、新種のユリの育成にも成功していた。園芸科の間でもアールのユリは、いつも一番の人気を保っていた。アールの生活は、手間のかかるユリが中心で、妻や娘のことに構うことがなかった。ユリの花は最も短命で、手を抜くとすぐに枯れてしまう。ユリの品評会に気を取られていて、一人娘の結婚式に出るのを忘れたときは、さすがに慌てたが、娘はその日以来二度と父親と口をきこうとしない。妻もアールを責めたてるばかりで家から離れて、ファームに住むアールは、事実上別居、離婚状態になってしまった。
時が経ち、2000年代になると一般に園芸熱が冷め、ユリの球根も売れなくなリ、ビジネスが立ち行かなくなってしまった。すでに76歳になっていたアールのファームは、差し押さえとなり園芸ビジネスを畳まなければならなくなった。
ファームからトラックに家財道具をすべて乗せて自宅に帰ると、妻は口汚く夫を責め、娘は険悪な顔で相手にせず、家族は他人扱いで家に入れてもらえない。仕方なくアールはトラックで、立ち去る。
彼の新しい職場には、60年間無事故だったという模範運転歴を買われて、雇われた。雇い主は、何やら見るからに怪しげな男達だが、言われた通りにニューメキシコから荷物をトラックに載せて、言われたモーテルに配達する。始めは何を運んでいるのか見当もつかなかったが、じきにコカインだとわかる。知らないうちにドラッグマフィアの片棒を担いでいたのだ。犯罪組織は、アールのことを、タタ(おじいちゃん)と呼んでいて、次第に親しくなっていった。模範運転手の年よりを、運び屋だなどと誰も疑わない。麻薬捜査官の目をかいくぐって仕事は順調だ。
しかし犯罪組織が仲間割れして、親しかったボスが殺される。そんな取り込み中に、アールの妻が癌で死の床に居るという知らせが入る。アールは断りなしに仕事から離れ、妻のもとに走る。妻は夫が来てくれて喜び、再び夫を受け入れる。心の平静を取り戻し、妻はアールの腕の中で亡くなる。葬儀もすべて終わって、彼は職場に戻るが、事情を知らないギャング達は勝手にいなくなったアールを責めて脅し、再び運び屋を強い監視の下で行わせるが、遂に麻薬取締官の厳重体制を突破することはできず、彼は逮捕される。
すべての罪状を自ら認め、アールは進んで刑務所に入る。そこで再びユリの栽培に精を出す。嬉々として花造りをするアールの姿を追ったシーンで、映画が終わる。
イーストウッドの無駄のないフイルム、ストーリーの流れにぴったり合った音楽、筋書きのテンポの速さ、編集の完璧さ。これがイーストウッドの映画だ。彼の洗練されたフイルムが好きだ。無駄のないフイルムの作り方は、恐らく何十年間ものあいだ、ロクでもない映画から一生忘れられない名画まで、数えきれない映画に、役者として出演してきた経験から、無駄を省く能力を身に着けたのだろう。
映画のなかで、麻薬捜査官ブラデイ クーパーが、カフェのカウンターで、携帯を見ながら、思わず「畜生」と声を出す。横にたまたま居たイーストウッドが、「誕生日か?」と聞く。「いや、結婚記念日だった。」麻薬捜査が終盤にはいって、家からしばらく離れている。それを責める妻からの携帯へのメッセージに慌てる夫。そんな何気ない会話のテンポの良さ。 彼は私生活では2回離婚しているが、5人の異なる女性との間に7人の子供がいる。今回の映画で長女のアリスン イーストウッドが娘役で出演している。自分の結婚式にも来るのを忘れていた父親を責めるときの怒り顔は、演技と思えない辛辣さと怖さだった。
イーストウッドは1955年から63本の映画に主演し、1977年からは37本の映画を監督している。他のどんな映画監督よりも、多才で多彩で多産な監督だ。
本当につまらない映画にもたくさん主演している。あきれるほどだ。1955年からはテレビシリーズだけでも11本、西部劇には50本あまり主演している。
1960年代には、マカロニウェスタンの主演で、ジョン ウェインなどによる正統派西部劇でなくて、血しぶきが飛ぶ残酷なイタリアン西部劇のヒーローだった。1970年から1989年は、ダーテイーハリーこと、キャラハン刑事の型破りなダーテイーヒーローとして、暴れまくった。
彼が映画を単なる娯楽として捉えるのではなく、映像、演劇、音楽のすべてのジャンルを統合する「総合芸術」として、取り組みだした契機は、1992年の「許されざる者」(UNFORGIVEN)からではないだろうか。これで初めてのアカデミー作品賞、監督賞を獲得した。この映画は、殺し屋として名をはせた男が、完全に足を洗い、田舎で子育てをしていたが、街にギャングが現れ、女たちを脅かしている姿を見ていられず、親友(モーガン フリーマン)を誘って、ジーン ハックマンのシェリフが居る街にきて、悪者をやっつけるお話。勧善懲悪が当たり前だった西部劇に、複雑な男たちの駆け引きや、異なった価値観を持つイギリス人のシェリフや、いつも犠牲になる気丈な女たちの視点も取り入れて、沢山の名優を動員して作られた映画だった。
1992年のアカデミー賞受賞以来、彼の映画熱と機動力は、目を見張るばかりだ。1995年「マディソン郡の橋」、2003年の「ミステイック リバー」、2004年「ミリオンダラーベイビー」、と続いて、この作品で再びアカデミー賞作品賞と、監督賞が与えられる。この時、彼は74歳だった。「ミリオンダラー ベイビー」は、安楽死を助長する映画だとして批判もあったが、再起不能のボクサーを望み通りに死なせてやる老コーチに共感して、涙する人の方が多かったのではないか。
2006年には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の二部作で、第二次世界大戦の激戦地、硫黄島におけるアメリカ軍と、日本軍にとっての硫黄島を、鮮やかに描いてみせた。戦争の愚かさを徹底的に描いた優れた反戦映画だ。
2008年の「グラン トリノ」では自動車工場が閉鎖されたラストベルトのデトロイトに暮らすアジア人少数民族の子供達を描いた。名もない真面目にフォード車のために働いて引退した年よりが、自分の正義感から後に続く青年のために、自分の命を差し出す潔さに、心揺さぶられる思いだった。私はこの「グラン トリノ」と、「J エドガー」が一番好きだ。完成度の高い、芸術作品。映画が娯楽だなどと誰にも言わせない。
2003年の「ミステイック リバー」の主役ショーン ペン、2009年「インヴィクタス」のマット デイモン、2011年「J エドガー」のレオナルド デカプリオ、そして2011年の「アメリカン スナイパー」のブラドリ クーパー、、、みごとな配役だ。
「インヴィクタス」で、南アフリカラグビーチームの主将がマット デイモンでなかったとしたら、全然映画が異なったテイストだった。「J エドガー」をレオナルド デカプリオが演じていなかったら、映画そのものの意味が異なっていただろう。素晴らしい配役だ。
イーストウッドは、ワーナーブラザーズ社の中に、自分用の大きなスタジオとオフィスを持っていて、何十年間もやりたい放題をしてきたそうだが、彼のような才能をずっと抱えて、わがままをじっと聞いてきた会社も太っ腹だった。映画の構想を立て、思うような役者と交渉し、思い通りに映画を作る、最も恵まれた監督だった、と言えよう。
2018年「1517パリ行き」は、パリ発15時17分発の列車でテロが起きたとき、たまたま乗り合わせていた3人の青年達の英雄的な行為で、死者を一人も出さずに済んだという、「タリス銃乱射事件」を題材に、実際この時の3人の青年達を出演させて、ドキュメンタリーともいえる手法で映画を作った。イーストウッドの実験とも言うべき作品だが、青年たちの演技に、何の違和感もなく、実によくできた映画だった。
イーストウッドが、この映画「運び屋」で主演したのは、2012年「人生の特等席」以来6年ぶりだ。「人生の特等席」では、黄斑部変性でほとんど失明しているが、それを自分で認めようとしない頑固親爺が、メジャーリーグ、レッドソックスのルーキー発掘に情熱を燃やし続ける年寄り役で、とても感動的だった。
「運び屋」では、ひょうひょうとしてニューメキシコからアリゾナまでの長距離を、ラジオに合わせて歌を歌いながら、運転する姿が、とても良い。自然体で、魅力的だ。いつまでも「男」を背負っている、イーストウッド。身長193センチの長身。それが、今回の映画で背が曲がってしまっていて、ちょっと悲しかった。88歳だからなどと、言ってもらいたくない。彼自身の言葉で、引退するなどとは言っていない。年をとっても「男」の魅力がいっぱいのイーストウッド。これからも走り続けていって欲しい。
映画の最後に、シンガーソングライターのトビー キースが「DON"T LET THE OLD MAN IN」という歌を歌っていて、それがとても素敵だ。
しみました
クリントイーストウッドの年をとった演技にしみました。老いについて考えてしまった。僕は西部劇、ダーティハリーのクリントイーストウッドはイメージだったが、 老いと人生の経験したものの味が本当に良かった。
最後に何を思うのか。
本日TOHOシネマズ日本橋にて鑑賞。
クリントイーストウッド89歳の監督作品。
登場するアールも90歳。
イーストウッドはこの作品の登場人物に自分を重ね合わせていたのではないだろうか。
90歳という晩年になり今まで生きてきた自分を見つめなおす。
主人公のアールはそれまで自分のことだけを考えて生きてきた。
外面がよく家族を顧みなかった。
その性格は多分90歳になっても変わらない。
お金が無くなり手を染めた犯罪だがそこにあまり罪悪感も感じたりもしない。
友達のお店がクローズの危機になりポンとそのお金を出してあげる。
そしてみんなからチヤホヤされ浮かれていく。
家族や犯罪によって被むる人たちの事など瑣末にしか過ぎなのだ。
簡単に手に入る大金。それがどんなに危険で世の中にとって悪なのかという道徳心も麻痺していく。
そんなアールだが愛想をつかされたもと妻の死に際してやっと気付いて後悔をする。しかしもう時は戻せない。
死んでいく彼女を見て彼はどう思ったのだろうか。
今まで生きてきた過ちを若い捜査官に伝える。
そこにイーストウッド自身が映画一筋で生きてきて家族からも嫌われた自分を重ね合わせたのだろうか。
最後の裁判で自分は有罪だと認めそれを受け入れて生きていく。
彼は後悔していたのだろうか。
それとも思うままに生きてきた自分に後悔は無かったのだろうか考えさせられる。
次回の主演作も楽しみに待っています
久しぶりのクリントイーストウッド主演作品である事から再会を楽しみに映画館まで足を運びました。
私の独り言ですが、「グラン・トリノ」がハリー・キャラハンの刑事退職後のお話ととっているのですが、本作品は、なんかファンに最後のさよならを言いにきたようで、私的には本作品を見てるうちになんか辛くなりました。
本作品ですが、イーストウッドファンの立場からではなく、1本の作品として良い映画でした。
「色々お金を出して買って来た、しかし、時間は買えなかった」と言う台詞、麻薬組織の人間に「こんな組織抜けなよ」「人生ゆっくり楽しめ」と言う台詞に、なんな見てるこちらに向けてイーストウッドの遺書やメッセージにようにとってしまった・・・・・
ラストに刑務所で、植木いじりをしているイーストウッドの絵で終わりますが、何ともイーストウッドの絵が綺麗で、泣く映画ではないのですが、なぜか、切なく、悲しい気持ちになりました。
この後も、元気で監督作品、主演作品を楽しみに待っていますよ。
PS
悪いけど、映画見に来るとき、もう少し体調を整えて見に来てくれ、隣の席の奴、数分おきに、鼻をすすり、ぐたぐた体を動かし、せっかくいいところなのに、お前の鼻をすする音を聞きにきたんじゃ何だけど・・・・
また、ポップコーンも大きな音をたてて食べるのもやめろ!
猿と一緒に映画をみているようだよ・・・・
何を罪とするか
腑に落ちない作品でした。
仕事を優先にするあまり家族を蔑ろにしてきたアール。
そのせいで家族からの信頼は0
その失った信頼を何とか取り戻そうとする作品です。
家族において大切なのはお金ではなく一緒にいる時間だ
という考えに感銘を受けました。
お金も大事ですが家族も思いやらないとですね。
クリントイーストウッドの脇を固める配役も豪華で
演出もだんだんと警察が近づいてくる感じがハラハラして面白かったです。
が、
いくらなんでも上手く事が運び過ぎな感じがしました。
やばい仕事を受けながら持ち前の対人能力の高さで麻薬の売人とも絶大な信頼を築き、終いには大元のボスにパーティに誘われるまでになる。なれるの?そこまで?
家族を蔑ろにしてたのは確かで一人娘の結婚式をパーティですっぽかしてたりしていたのになぜあんなに「アール可哀想感」を出せるのか。
仕事がいよいよヤバくなってきたところで都合よく警察に捕まるとことかも都合良すぎて。
クリントイーストウッド作品なのでクリントイーストウッドが結局かっこ良く描かれるのは分かっていたんですが、、、
ひねくれずに見れば感動できる良い作品ですが、、、
もう少し真面目に描いても良かったのでは、
まあ実話が元なのでどうしようもないのですが。
人生についての映画
ヤクの運び屋の映画というと、ド派手なカーチェイスや銃撃戦を期待してしまうでしょ?もちろん、そんなものはありません。そこにあるのは、自らの人生を後悔し続ける老いてやつれた人間だけ。これがイーストウッド映画。
誤解を恐れずに言えば、リタイア後の老人生活を体感する映画だと思いました。
とにかく地味。劇中、音響も派手なシーンも特になく、ただただゆっくりとした時間が流れる。イーストウッドがヨタヨタと歩く姿がやたらとリアルでした。だって、演技じゃないからね。笑
この映画で気持ち良いのは、ハイウエイを走っているシーンだけだよ、ぶっちゃけ。でも「将来は自分もこうなるんだ」と色々と考えさせられました。歳取るにつれて楽しいことは減っていくんだよね。
あえて若い人に観て欲しい。地位も名誉も金も純粋な心でさえも、歳とれば何の価値もなくなるんだぞ。
ハリウッドで成功の頂点を極めた、あのクリント・イーストウッドでさえそうなんだから間違いない。
ラストの曲の歌詞が印象的。老いを受け入れるな!
時間は不変ではない
本人も言っていたが、自業自得の物語。タイミングは何度かあったが、己のエゴが常に勝ってしまう。暗い影に気が付いていても。案外誰の中にもあって、だからこそ心にザワザワとさざ波の立つ物語。
良い話とは言えないですが、巻き込んでるのか巻き込まれてるのか、ワヤクチャする展開にはほっこりするし、シンプルに筋の通ったキャラクター達が、90歳の静かでアグレッシブな日常に彩りを与えているように感じました。
おじいさんがめちゃくちゃ頑張る話
花咲じいさんではないけれど、高齢の御老人がめちゃくちゃ頑張る話。もちろん、最後に自分で認めているように、犯罪は犯罪であり、罪は償わなくてはならないが、この老人は、最後に心の底から自分のことを愛していた妻と和解し、自分を嫌っていた娘と和解できたのだから、良かったとも言える。しかも、麻薬取締官たちとしては、彼のお陰で大きな犯罪組織を摘発できたのだから、世の中の役に立ったのだとも言える。
これが実話を基にした話ということで、アメリカというのはさすがという気がする。もちろん、クリント・イーストウッドとその仲間たちも。
映画は面白いから、レビューは見ないで。
ここに連なるレビューの数々が、ネタバレのオンパレードになっているので、最初から最後まで楽しみたい方は、どうかこれらに目を通さないで、ゼロのままで映画館に行ってもらいたいです。
(だけど見た後に「いいな」って思えるレビューもあります。)
必見のイーストウッド主演作!
イーストウッドも88歳になりましたか。彼の作品を観ないという選択肢はない。
最後の主演作となるやも知れぬ今作では、見栄っ張りで家族から見放され犯罪に手を染めるダメ人間を演じた。
罪を自覚しつつ麻薬の運び屋を続けるアール(イーストウッド)。とんでもない悲劇を予感しながらエンディングに向かって行くが……
むしろ温かいとさえ感じたエンディングが優しかった。これはこれで悪くない。天国へ行ける気がした。
おそらく自らがアウトローを演じること、そして作品をエンターテイメントとして成立させることに意味があったのだろう。
老いたイーストウッドの勇姿をまぶたに焼き付けるべき必見作だ。
ちなみに予備知識なしで観たが、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシアなどなど脇も豪華だった。そして何より実娘アリソン・イーストウッドとの父娘役での共演が泣かせる。
イーストウッドと車
本来、満点は点けない主義なんだが(何処にも不満点の無い映画など存在しない)この作品から星を削る事は出来なかった。
全世界の男が観るべき傑作、「グラン·トリノ」に匹敵する作品。
脚本家が同じらしく、実際共通点も多い。
主人公が家庭に失敗した孤独な老人であること。(イーストウッド本人も4回の結婚と離婚を繰り返している)朝鮮戦争を経験していること。車が重要なアイテムになっていること。若造に説教をすること!
満点つけたが勿論不満な点が無い訳じゃない。マイケル·ペーニャはギャング側の方がキャラが活きたんじゃないかとは思うし、あのギャング達は一体どうなったんだ?と気にはなった。
しかしイーストウッド御大が「これでいいんだ。」と完成させたのであれば、ちんぴらレビュアーがケチをつけるところではないんだろう。
劇中、御大が髪を整えスーツをビシッとキメているシーンがあり、なんてカッコイイんだろうと思った。こんな爺様に成りたいと思った。身長が20センチ程足りないが。
日頃劇場で映画を観てもあまりエンドロールには付き合わない主義だが(通ぶって時間無駄にするなんてナンセンス)御大に敬意を表し席は立たなかった。
御大の愛するジャズとピアノを聴きながら、えらくゆっくりと流れるスタッフロールを眺めていると、中年を自覚している自分だが「若造よ、焦る事はない。人生は長い」なんて事を御大に言われているような気がした。
劇場を後にした帰り路、ボロボロの愛車パジェロミニのハンドルの感触が妙に心地良かった。
"安全運転で"帰ったぜ。
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