「我はオールドタイプ」機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ keebirdzさんの映画レビュー(感想・評価)
我はオールドタイプ
最近は忘備録のつもりでマメにレビューしていたけれど、正直この映画は評するのを忘れてました。
あとから思えば、観終わった後とくに感慨がなく少しモヤモヤしただけで、意見を書く気に至らなかった。
最初のガンダムは、たぶん最初の10ch再放送。他の子供たちと同じく、それまでマジンガーZの出動とかヤマトの波動砲シーンはただ口あけてボーっと見てましたが、音はアムロの息づかいだけで、二重十字線の照準が合えば相手の兵を殺してしまう緊迫感、宇宙物理の説明があったりディスプレイに探査データが表示されたりする未体験のリアル感に圧倒されてしまい、すぐ気分はホワイトベースに乗り込んでました。
また自分の拙い成長とともに、アニメの中の人類とニュータイプも進化すると勝手に思っていましたよ。
それだけに?アムロが退きガンダムがどんどんツンツンしていくのに、寧ろ主人公たちは更にガキっぽくなり戦場をますますパーソナルで感傷的な空間にして、やられ役の大人たちを当然のように殺害しながら敵仲間同士でじゃれあってばかりいるのが気に入らなくなっていった。そう私、重力に縛られたオールドタイプだったんですね。
その後たまたま自分の街に、ガンダムの実物大頭部?が置いてあるレストランとかが出現し、そこで「ガンダム一作500円今日明日だけ!」の貼り紙で訳も分からず観たのが「MS Igloo」でした。泣きました。やっぱり自分は無名のオールドタイプ兵士(退役間近)でした。
そんな私ですから、アムロ公式最期の逆襲のシャアまては無論観ました。でももうZZとか00とかSEEDは…。
駄文長々で自分でも呆れますが結局、ハサウェイ君の今世界と凄く同期したいおじさんの自分は居るんですが、実はもう30年前の時点で無理なのでした。映画の出来は良く分かりませんが、綺麗でお洒落で衛生的なのではと思います。でもそんな良環境で、どっかの美少女を護りながら沢山人が死ぬ「革命」とやらを日常的にこなす「テロリスト」を、私やっぱり容認できません。まあただの時代遅れなんですが…。
思い立って追記
近年の日本アニメでは、
「今まさに民衆の支持を集めている革命家」
がけっこう出てきます。ガンダムでも本作のマフティー・ナビーユ・エリン、またフルフロンタルやその元となるシャアもそうでしょうか。他には例えば攻殻機動隊SACのクゼ・ヒデオがいます。
そのうちもとより有名なエースでいわば王子様のシャアは別として、私にはどうしてもそれら「人気のカリスマ革命家」が民衆から支持されている人物に見えません。
本作でもタクシーの運ちゃん一人にマフティーを揶揄されて言葉に詰まるハサウェイは居ますが、ニュースや口コミではすでに希望の救済者扱いで語られており、秘密基地でも謙虚なばかりのハサウェイのために皆平然と命かけて働いてます。一体いつどこで彼らや民衆を熱狂・狂信させたのでしょう。
私はいつも、これは単にアニメの尺不足によるものなのか、私の指導者というものへの先入観なのかと戸惑います。
それともカリスマ力抜群と設定しながら、それを確信的に描写しない・できない日本のアニメ制作や日本人の政治性表現の限界がどこかにあるのでしょうか。