「対人援助の行き過ぎ・チラシと映画内容の相違(*批判的・否定的で、不快な内容の文章有り)」牧師といのちの崖 不完全な人間さんの映画レビュー(感想・評価)
対人援助の行き過ぎ・チラシと映画内容の相違(*批判的・否定的で、不快な内容の文章有り)
●疑問
・他の方のレビューにも、あるように、森さんのご遺族から映像使用の了承を得ているのか?不透明。
・ドキュメンタリーと呼べるのか?
活動はとても意義のあることと思います。
取材が教会側べったりに思えます。(保護された方の取材もありましたが)
取材が客観性や主体性がないように私は感じました。(取材の意図や目的が、私には伝わりませんでした。多方面・多角的からの視点・客観性が必要に思えます)
当事者に関わっているのに、取材者はずっと傍観者でいるようで。
・チラシと映画の内容の相違
映画の内容と、チラシから想像する内容のズレが多少ではなく、大きいと私は感じました。
●私見(私が、勝手に思ったこと)
人として、私も周りの人も自死を選んではほしくないと思います。
牧師自身は、森さんの自死で、自分と他人が違うことを、ようやく認められたように見えました。
活動を続けるとのことでしたが、人を変えようとするのを、止めたのかは引っ掛かります。
自死を止めるのは救い。
けど、無意識に保護した人の現状否定をして、変えよう更正させようとするのは、傷や苦しみを増やすだけ。
生きるのも、自死を選ばざらろうえないのも、今のままでいるのも、新しいことをするのも、本人が選ぶことだから。
周りにできることは、見守りや信頼すること、気づきのきっかけを与えることかも。
誰だって器用に何でもできる人なんていない。
他人から見れば、そんなことと思えることが、できない・分からない。
本人も、薄々・自覚していても、できない・分からないことがある。
誰しも、そういう苦手やできない・分からないが違うだけで、みんな持っているんだと思えたら、、、
自分にも他者にもやさしい眼差しを持てるのでは、ないでしょうか?
牧師の奥様の、結婚や子どもさえいれば自死に歯止めがかかるという考えは、1つの考えで、私もそうと思えます。
ただ、それを保護した人に押し付けるのは、善意であっても人を操作や思い通りにしようとしているのでは?
私と同じようにすれば、うまくいく・生きられる・幸せになれると、、、
昔から多様な生き方がある中で、1人で生きるのも1つの人生であり幸せがあると、私は思います。
森さんの自死に対して、神父のクリスチャン的、受け止め方は、仏教寄りの私には理解はできませんでした。
森さんのご遺族も、クリスチャンなら、そう解釈や受けとめられると思いますが、どうなのかは不明でした。
牧師の様子を見て、大変ショックを受けているのは伝わりました。
クリスチャン的な解釈は、どこか言い訳や薄ぺらいなと、私は感じました。
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私が、取材したり当事者と関わっているわけでもないので、安全な外野の勝手なことを、言っているだけです。
フィクション(創作)であれば、レビューを書こうとは思いませんでした。
冒頭に保護された女性も、牧師側の解釈のみで、最初は私も鵜呑みにしましたが、女性に話しを聞こうという試みはなかったのですか?
なんの解説・捕捉もなく、入信?のバスタブに沈められる儀式の映像が流れる。
保護した方が集まり、牧師が嫌いになりそうな人がいるということを言っている場面も、後になって思うと、対人援助をする側の人が言う場所なのか?と、私は違和感を感じました。
遠回しにあの人が嫌いで困っていると、みんなに共有させようとしているのでは、ないでしょうか?
一対一で、対等に・互いに、気持ちや思いを伝えるのではなく、、、
森さんが、病院で指示されていること以外をやろうとしている気持ちを、取材者は知っていた。
案の定、勝手なことをして問題が起きました。
ボランティアは、神父と奥様の2人でやっている?他にも協力者がいる?(その辺も不明)
もし2人だけなら、できることや、やれることの限界があるから、神父と森さんの関係の橋渡しができたのでは?
取材していても、当事者に疑問や問いかけをする様子をカットなしで撮影していれば、関わることや干渉しても、私はいいと思います。
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長い文章を書いたのも、牧師や奥様や取材者を、責めたり否定して、心理的に追い詰めたいわけでは、ありません。
もう二度と、森さんと同じように、表面上は従順に大人しくさせて、苦しみや傷を増やしたまま、自立させる人を増やしてほしくないんです。
保護された方を、実家や家族のような場所にされたいという思いは、温かく素晴らしいと思います。
ただ、対人援助や支援を行うのに、行き過ぎている部分がないでしょうか?
人それぞれ、生まれ持った気質や性格があり、育った環境や関わってきた人達、本人が選んだことや、それしか選べない、選らばざろう得ない中での、それぞれの事情があると思います。
みんながみんな、同じようにはいかない。
どうしようもないこと、ダメなところは本人の問題であり、そのままでいるのも、新しいことをやってみるのも、本人が都度、選択して選ぶことでは、ないでしょうか?