牧師といのちの崖
劇場公開日 2019年1月19日
解説
和歌山県の観光名所・三段壁で自殺志願者たちを救う活動を続けている牧師の藤藪庸一に密着したドキュメンタリー。風光明媚な観光名所だが、一方で自殺の名所としても知られている和歌山県の三段壁。牧師の藤藪は、人生に絶望して三段壁にやってくる自殺志願者たちの声に耳を傾け、帰る場所のない人々に教会を開放し、ともに生活しながら生きていく方法を探っている。藤藪は生活の場だけでなく、自らが運営している食堂で、人生を取り戻そうと働き始めた自殺志願者たちとともに働き、時には厳しく現実と向き合うことも求めていく。藤藪と彼らとの対話を通して、若者たちの生への低い肯定感やコミュニケーション不全、希薄な人間関係など、現代の日本社会が抱える問題が浮かび上がり、生きる意味とは何かを問いかけていく。
2018年製作/100分/日本
配給:ドキュメンタリージャパン、加瀬澤充
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2020年2月4日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:試写会
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人を救うということは
きれいごとでは出来ないことと感じました。
森くんに対して
厳しいことを伝えた牧師さんを
批判する人がいますが
自殺しようとするまで追い込まれた人は
ここへ来るまで
自分の生き方の間違ってる部分を
気づかずにきた人かもしれません。
森くんは、死のうとするほど苦しんだけど
人間関係の、自分がしてしまう間違いは
見ようとせず
気づいてなくて
同じくことを繰り返し
死にたくなるほど追い詰められてしまったのかもしれません。
死のうとしてる人を助けても
生き方の癖に気づかない限り
また同じことを繰り返して
人との関係を壊してしまう。
また死にたくなってしまう。
森くんの生き方、
人間関係で、つまづいている部分に
牧師さんはあえて厳しい言葉をかけたのは
本気で向き合ってるからこそ
できたことだと思いました。
カウンセリングや傾聴のやり方とは違い
牧師さんの森くんへの接し方は
過激に見えたのかもしれないけれど
最終的に、人を助けるとは
方法論は通用しない。
人間と人間の
本音の心の触れ合いが必要だと感じます。
生身の牧師さんとして
生身の森くんと向き合っている姿だと感じました。
そして
神様を信じていようと
神様なんかいないと思っていようとも
人の命の最後は
人間の力の及ぶところではないと感じます。
誰を責めることも出来ないと思う。
それでも牧師さんは
人を助け続ける。
きれいごとでは人を助けることは出来ない。
助ける牧師さんにも
そうとうな覚悟がいるのだろうと感じました。
普通、映画は、最後はハッピーで終わるので
そういうのを期待している人にとっては
映画を見終わったあと
モヤモヤした感じなのかもしれません。
でもこの映画は
真実を語っています。
着色がないぶん、
観ている側の理解力を必要とします。
真実が語られているこの映画は
価値があります。
映画で
生身の牧師さんに出会い
あなたも心を揺さぶられてください。
ぜひ、たくさんの方に観てもらいたいです。、
2019年4月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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●疑問
・他の方のレビューにも、あるように、森さんのご遺族から映像使用の了承を得ているのか?不透明。
・ドキュメンタリーと呼べるのか?
活動はとても意義のあることと思います。
取材が教会側べったりに思えます。(保護された方の取材もありましたが)
取材が客観性や主体性がないように私は感じました。(取材の意図や目的が、私には伝わりませんでした。多方面・多角的からの視点・客観性が必要に思えます)
当事者に関わっているのに、取材者はずっと傍観者でいるようで。
・チラシと映画の内容の相違
映画の内容と、チラシから想像する内容のズレが多少ではなく、大きいと私は感じました。
●私見(私が、勝手に思ったこと)
人として、私も周りの人も自死を選んではほしくないと思います。
牧師自身は、森さんの自死で、自分と他人が違うことを、ようやく認められたように見えました。
活動を続けるとのことでしたが、人を変えようとするのを、止めたのかは引っ掛かります。
自死を止めるのは救い。
けど、無意識に保護した人の現状否定をして、変えよう更正させようとするのは、傷や苦しみを増やすだけ。
生きるのも、自死を選ばざらろうえないのも、今のままでいるのも、新しいことをするのも、本人が選ぶことだから。
周りにできることは、見守りや信頼すること、気づきのきっかけを与えることかも。
誰だって器用に何でもできる人なんていない。
他人から見れば、そんなことと思えることが、できない・分からない。
本人も、薄々・自覚していても、できない・分からないことがある。
誰しも、そういう苦手やできない・分からないが違うだけで、みんな持っているんだと思えたら、、、
自分にも他者にもやさしい眼差しを持てるのでは、ないでしょうか?
牧師の奥様の、結婚や子どもさえいれば自死に歯止めがかかるという考えは、1つの考えで、私もそうと思えます。
ただ、それを保護した人に押し付けるのは、善意であっても人を操作や思い通りにしようとしているのでは?
私と同じようにすれば、うまくいく・生きられる・幸せになれると、、、
昔から多様な生き方がある中で、1人で生きるのも1つの人生であり幸せがあると、私は思います。
森さんの自死に対して、神父のクリスチャン的、受け止め方は、仏教寄りの私には理解はできませんでした。
森さんのご遺族も、クリスチャンなら、そう解釈や受けとめられると思いますが、どうなのかは不明でした。
牧師の様子を見て、大変ショックを受けているのは伝わりました。
クリスチャン的な解釈は、どこか言い訳や薄ぺらいなと、私は感じました。
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私が、取材したり当事者と関わっているわけでもないので、安全な外野の勝手なことを、言っているだけです。
フィクション(創作)であれば、レビューを書こうとは思いませんでした。
冒頭に保護された女性も、牧師側の解釈のみで、最初は私も鵜呑みにしましたが、女性に話しを聞こうという試みはなかったのですか?
なんの解説・捕捉もなく、入信?のバスタブに沈められる儀式の映像が流れる。
保護した方が集まり、牧師が嫌いになりそうな人がいるということを言っている場面も、後になって思うと、対人援助をする側の人が言う場所なのか?と、私は違和感を感じました。
遠回しにあの人が嫌いで困っていると、みんなに共有させようとしているのでは、ないでしょうか?
一対一で、対等に・互いに、気持ちや思いを伝えるのではなく、、、
森さんが、病院で指示されていること以外をやろうとしている気持ちを、取材者は知っていた。
案の定、勝手なことをして問題が起きました。
ボランティアは、神父と奥様の2人でやっている?他にも協力者がいる?(その辺も不明)
もし2人だけなら、できることや、やれることの限界があるから、神父と森さんの関係の橋渡しができたのでは?
取材していても、当事者に疑問や問いかけをする様子をカットなしで撮影していれば、関わることや干渉しても、私はいいと思います。
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長い文章を書いたのも、牧師や奥様や取材者を、責めたり否定して、心理的に追い詰めたいわけでは、ありません。
もう二度と、森さんと同じように、表面上は従順に大人しくさせて、苦しみや傷を増やしたまま、自立させる人を増やしてほしくないんです。
保護された方を、実家や家族のような場所にされたいという思いは、温かく素晴らしいと思います。
ただ、対人援助や支援を行うのに、行き過ぎている部分がないでしょうか?
人それぞれ、生まれ持った気質や性格があり、育った環境や関わってきた人達、本人が選んだことや、それしか選べない、選らばざろう得ない中での、それぞれの事情があると思います。
みんながみんな、同じようにはいかない。
どうしようもないこと、ダメなところは本人の問題であり、そのままでいるのも、新しいことをやってみるのも、本人が都度、選択して選ぶことでは、ないでしょうか?
2019年4月15日
Androidアプリから投稿
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私はこの作品を否定的には見られません。
牧師さんへの批判もあるようですが、私が一番感じたのは、牧師さんが一番苦しんでいることでした。
教会で説教をする牧師としての役割だけでなく、父親、母親としての役割も果たさなくてはならず、優しいことだけ言っているだけではダメで、時に厳しいことも言わないと伝わらないのだと思います。そこにも葛藤があって、牧師さんも試行錯誤しながらの毎日なんだと感じました。
願わくば、この作品を通じて、行政などもその支援にセラピスト、心理カウンセラーのような方を派遣するなどして、教会の方の負荷が減ると良いのにと思いました。
(既にやられていて、映画の中で描かれていないだけでしたらすみません。)
また、ここはあえてだと思いますが、自殺しようとする方というのは、うまく職場に適応できない場合、少なからずコミュニケーションの仕方や考え方に、独特の癖のようなものを持っているのだと推察されます。
(それが良いとか悪いとかいうことではなく。育った環境や遺伝的なもの、発達障害なども関係していると思います。)
それが本人の名誉のためか最小限しか描かれていません。それは観る側で補う必要があると思います。実際に、訓練を受けている方でも、下手をするとその対応でノイローゼになってしまうこともあると聞きます。
自分が牧師さんと同じ立場だったら、通常の教会運営と別に、自立支援のための事業まで運営するなど、あの少ない人数で面倒を見ることが出来るだろうか?と思うと、正直、相当キツイ、ツライと思います。
(牧師本人もそれによる自分のいたらなさを懺悔されていたシーンがありましたよね。奥さんにも自らの感情について相談しているシーンがありました。そういったことを教会で生活する方にも伝わるところでやるべきかどうかは議論があるところだとは思いますが)
この作品はそのような光も闇も照らす、ドキュメンタリーとしての価値があると私には感じます。可能ならば、前述の通り、行政やボランティアを通じて、今の負荷がうまく分散され、苦しむ方がもっと減るよう、この作品がきっかけになると良いなと思いました。
また私自信も、職場で「苦しみを生む側」にならぬよう、上司、先輩、後輩との関係についても見直すきっかけにしたいと思いました。誰も、そんな世の中、望まないと思いますので。
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何とも後味が悪かった。揺さぶられて、ザラつきを覚える、というのとは違う。もっと不快感に近いものだ。
牧師の自殺企図者への助けたいという熱い思い、情熱はわかる。弁当屋を自立支援事業所としてやるなど、知恵者でもあるようだ。
しかし企図者に対して、いや人生に迷い、戸惑っている時におかれた人へのアプローチの仕方が違うだろう。人の弱さを正論と説教で変えようとすることは、自分の価値の押し付けでしかないはず。これは、言われた方はツラい。
そして、宗教の教えのコトバに逃げ込み、牧師自身が自分の行為を正当化というか、コトバの曖昧さや甘さで誤魔化しているようにしか思えない。
このあたりは、撮影者、監督?の牧師への質問、問いかけのピントがずれているところとも影響があるのかもしれない。
何より撮影から三年経ったとはいえ、作品の中でずっと撮影していた1人の個人が自死したという事実。もし、自死を防ぐことをテーマにしているのであれば、彼にこの3年間、何が起きたのか、そこをきちんと取材し作品に盛り込んで欲しかった。これは牧師のこれからの生き方やこの活動のためにも必要だったのではないだろうか。
また、この作品を上映するにあたり亡くなった青年のご遺族や関係者の了解は取れているのだろうか。せめてクレジットで示して欲しかった。
牧師の地道な活動への敬意を基にしつつ、個人のいのち、そしてそのいのちと関わることの謙虚さとどんないのちでも尊重するという点の欠如に残念さを覚えてならない。
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