mid90s ミッドナインティーズのレビュー・感想・評価
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スケボーというカルチャー
私は長男なので、年上の兄や姉に憧れた。
友達の家に行ったら、必ず兄ちゃんの部屋に忍び込んで
CDや本棚、ポスターなどをよく見ていた。
それがスゴク刺激的で楽しかった。
友達同士で映画見に行ったり、
海外の俳優の名前覚えたり、
同級生は知らないバンドを聴くのがステータスだった。
そうやって過ごした、まさに80~90年代。
そうやって背伸びしながら、カルチャーに目覚め
自分に合う物を知らず知らずのうちに探してたような年代。
そういったカルチャーとの出会いは決して映画的ではなく、
日常のちょっとした好奇心から生まれるものだよ。
という映画。その部分の描き方はとても良かった。
もし、この映画が刺さらない人は、
そういう道を歩まなかったひとでしょう。きっと。
でも私の周りにはスケボーカルチャーは無かったなぁ。
スケボーが流行る少し前の世代だったから。
だから「スケボー」が持つ空気感はよく分からない。
ロックンロール=反抗みたいな空気感ね。
イメージとしては、
公道=危なくないようにルールを守る安全な場所。
そこを疾走するスケートボード。
危険=スリル=楽しい。
手すり(=安全)さえもスリルの道具にしてしまう破天荒さ。
みたいなイメージ。
あえて偏見まみれの意見を言うと、
オリンピック競技に昇華された(?)スケボーには違和感ある。
危なくないように、ひじ当てひざ当てして。
偽物の手すりを人工的に作って。
仲間に自慢するためのトリックが、いつの間にか
採点されるようになって。
そんな競技スケボーはクールじゃない。
一番カッコいいのは、オリンピックにエントリーした選手全員が
当日ボイコットし、東京のどこかに集まって自分の思い通りに滑ること。
この映画の裁判所前に集まるスケートボーダーのようにね。
警察が来たら逃げるんだ「ファイブ・オー」って叫んでね。
スケボー協議に真剣に取り組んでる人。ごめんなさい。
ファンタビのティナがシングルマザー
90年代アメリカ西海岸の貧困層。
その空気感が伝わる。
昨年 東京ではスケートボードがオリンピック種目になり日本人がメダルをたくさん取った。
総なめって程ではないにしても、けっこう金も取ってて、真夏の大冒険の西矢もみじ(なんと入れれば出てくる?きへんにはな)さんやアメリカ在住のプロの堀米優斗さんがきっちりと遊戯と技量の境目を見せてくれた。
その今と半世紀ほど昔のmid90s
時代が変われば価値観がごろっと変わるよなあと
同じものにはもはや見えないんだけれども
オリンピックの競技を見てて 正直に言うと
どこかの手すりのイミテーションをもってきて据え付けたような会場でちまちまやってるようにしか見えなくて本当は何がすごいのか よくわからん〜
と思ったおばちゃんでした。
この作品の空気感はリアル。
貧しい家庭の子どもたちの閉塞感や
これはboys側からの視点だけど
girls側ならもう絵には出来ないくらいの悲しみがありそうで考えたくないくらい。
最後の事故のあと
病院のベッドに横たわる姿見て思わず
え?お金どうするの?
この頃のアメリカの医療は保険もなくて大変なのに?
ん?金にあまり困ってなかったファックシットの家の車に同乗者保険も入ってたか?
もしそうじゃなきゃこのママは多額の借金背負っちゃったわけか?
なんてことが気になってしょうがない!
どういう設定か誰か教えて欲しい。
跳躍の苦しさと救済
どんぴしゃ世代
生きてさえいれば、きっとなんとかなる。
楽しかった記憶も、つらかった記憶も、きっと懐かしめる日がくる。
そんなメッセージがあるのかなと思った。
別にタバコも酒もドラッグも勧めるつもりは全くないんだけど
こういう少年時代の一時のきらめきってあるよなと。
言い換えれば無理に粋がってただけ。でもその時はそれが全てというか。
大人になってしまえば些細なことでも、子どものときは天地を揺るがすような大事だったりして。
作中で言われるように、けっきょく自分の身に起きていることが全てだと思いがち。
でも少し距離をとってみれば、そんな悩みは大したことなかったりするっていう。
舞台を90年代に設定して、さらに昔っぽいザラついた画質にすることでその距離をうまいこと表現してたと思う。
しかし、自分の息子には危ないことしてほしくないんだけど、無理だよなあと。
命の危険があることは別としても、ある程度は許容しなきゃと。
人の痛みを分かってあげられる人間に育ってもらうためには、
親としての成長もまだまだ必要だななんて考えてしまった。
青春の90年
自分にとっては主人公も少しお兄さん。
憧れのお兄さんたちの物語りだった。
僕は日本の田舎に育ったのだけど、
何か空気感は知ってるような自分もそこにいたような
気になった。
タバコに大麻にドラッグに。これを少年の成長と言って
いいのか?とは思ったけど、
10代前半、自分も悪い先輩をカッコ良いと思ったし、
ああなりたいと憧れたもんで、
そう言う下から上を見上げる視線がとても上手に
描かれていたと思う。
きっとジョナヒルも憧れられてたと言うより、
周りに憧れて育ったんじゃないかな?と思います。
お兄さんの怒りの中の悲しみも見えて、
バランスの良い映画だと思うけど、
ラストは唐突な感じがした。
少年たちの行く先をもう少し提示して欲しかったなと
思いました。
忘れていた一コマを思い出させる映画
映画自体は本当に何でもない。
少年がスケボーと仲間に出会い、誰もが経験したような少年時代の話。
悪態をついたり、素行の悪いことをしたり、頭の中がそれだけになってしまうほど熱中するものに出会ったあのときの話。
自分は90年代のアメリカのカルチャーや雰囲気もよく知らないし、流れている音楽も知らないものばかり。
けれどもなぜか自分の心に残る映画だったのは、この映画の少年のなにげない日々が、自分の忘れていた少年時代や青春時代を思い起こさせ、あの時の忘れていた本当うになんでもない一コマを思い出させる素晴らしい映画だったからなのだと思う。
なんでもない事なのだけど、その何でもない一コマの積み重ねがどれほど楽しい日々だったのかを思い出させ、大人になって苦いことばかりの日々に少し癒される映画だった。
戻ることは出来ず、先に進むしか無い人生だけど忘れていたあの時の一コマをたまには思い出して感傷に浸りたい時はまた見たいと思う映画だった。
欲望に忠実な世界だなぁと感じた。みんな見栄を張って悪がカッコいいみ...
思春期を迎えた少年の物語。
昔なら、少年目線で、懐かしさを感じながら
見れていたんでしょうね。こんなワルとは出会わなかったけど、
わかるわかるって部分はあります。
でも、今は、思春期の息子を持つ親としての目線で見てしまいますね。
酒、ドラッグ、タバコ、性行為……
この時期の出会いが、少年を染めていく。
複雑な気分で見てました。PG12だそうですが、
子どもには見せたくないですね。
青すぎて眩しい、が目を背けるな
90年代半ば、一人の子どもが周囲の悪い奴らに憧れる。大人から見れば一緒くたに不良のレッテルが貼られるわけだが、人の集まりは大人も子どもも関係なく、志し高く次を見据える奴も居れば、とことんダメな奴も居る。ただそこに属して傍観する人間も、その中で人知れず成長していく人間も居る。この作品を不良たちによる群像劇と捉えてしまうのは少し勿体ないのだ思う。
同じ時代、あんなに格好よくトリックなんて決めていなかったけど、ボードに両足をかけてエッチラオッチラと前に進み、終いには面倒くさくなって坂道でボードに座ってただただスリルを味わった。当然、酒もドラッグも存在しなかったけれど、エロ本を覗き見て、父親のタバコをくすねて吸って青ざめた。少しだけ大人になった自分に対して、周囲の評価が変わっていく。子どもにとってはそれは一つの「成長」だ。
多くの人が通ってきたであろう、悪いことへの憧れとそこで学んだ様々なこと。人生は綺麗事では語れない。その時代のど真ん中で何を経験し、吸収して、どのような人間に育ったかが大切なのだ。あの頃の自分と重ねて観ることができる人にとっては、何とも青く眩しい作品。今の自分は「ファックシット!」と不満気に生きていないだろうか?彼らから目を背けてはいけない。
スケートボードで風を切る爽快感に慰められ、テクニックを磨くことで成長を実感する少年たちの友情
何て瑞々しい映画だろう。90年代半ばのロサンゼルスを舞台に、スケートボードに夢中になる13歳の少年スティーヴィーの愛に飢えた焦燥と夢の爽やかな青春スケッチの映画グラフィティ。物語の内容は、不良少年たちの猥雑で幼稚な会話の低俗さ、酒・タバコやドラッグに溺れる自暴自棄な私生活の乱れ、性への赤裸々な好奇心、と非道徳を絵にかいたような話でとても気が滅入るし、全く爽やかではない。それでも、主人公始め13歳から17歳の少年たちが、貧困や虐待、ネグレクトなどの逆境に悩み苦しみながら生きる術を探る姿を、スケートボードを介した友情物語にした監督ジョナ・ヒルの視点が常に温かく、それが映画演出のこころを持っているのがいい。それ故、主演のサニー・スリッチの少年らしい表情は自然で衒いが無く、レイを演じたネイケル・スミスは作品全体の演技を下支えする好演をみせて、ファックシットなんてニックネームを付けられた役のオラン・ブレナットはそれらしく演じているし、先輩面と嫉妬の微妙なルーベン役のジオ・ガルシアと映画のエンディングを決めるフォース・グレードのライダー・マクローリンも役を全うしている。スティーヴィーの兄イアンのルーカス・ヘッジスも、複雑な家庭環境を窺わせる少年の懊悩を好演している。
映画は、ファーストカットで凡そのその良さが解る。小説好きな人が最初の1ページで作品の好悪と良し悪しを判断するように、映画も数を熟せばある程度予測が付く。スティーヴィーの最初の登場シーンが衝撃的で思わず見入ってしまったが、この冒頭の一方的な暴力シーンから始まるスティーヴィーとイアンの描写は素晴らしい。それは、観る者の想像力を刺激して、何故なのか、どうしてなのかの好奇心や関心を誘うからだ。イアンの部屋は趣味の音楽やお気に入りの物で溢れて、尚且つ整理整頓されている。次のシーンで母ダブニーとの会話から、17歳でイアンを出産したことが分かり、後でシングルマザーで二人の男の子を育てているが、男の出入りがあるのが描写される。そんな母親を二人は心から敬愛していない。それ以上に兄弟仲が悪いのは何故なのか。父親が違うのか。母親が、弟より兄を溺愛しているから兄の部屋が物で満たされているのか。それともイアンの実父が養育費を定期的に送っているのか。それらを想像しながら二人の言動を観ると最後まで映画は楽しめる。観る者の好奇心を刺激する映像表現の技巧が成されているからだ。
演出の良さと共に、音楽の選曲の面白さや映像との調和も良かった。90年代のポップミュージックに詳しくないので上手く説明できないが、演出タッチを補足するようなBGMが効果的に使われていた。スケートボードで風を切る爽快感に慰められ、テクニックを磨くことで成長を実感する若く幼い少年たちに寄り添うように映画を作った青春映画の佳編。この作品を観る限り、ジョナ・ヒルの映画愛と才能は若いだけに、これからも期待できるのではないかと思った。
タイトルなし
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