岬の兄妹のレビュー・感想・評価
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映像がエグかった。 エグいものをエグいまま見せるのは、 あんまりい...
映像がエグかった。
エグいものをエグいまま見せるのは、
あんまりいいと思わない。
思考停止してしまう。
考える力を奪われる。
それが、
真実かのような顔をされると困る。
いろんなエピソードは、
実際に取材されたのかなと思う。
見事な世界観
105席シアターを独占鑑賞。昭和の名作感が漂うような作品。刺激が強いため皆にお勧め出来る内容ではないが独自の世界観は見事です。主演2人の演技も抜群で観るものをグイグイ引き込む。着信音や水道水など効果音も印象的で感心した。高山監督には今後も要注目。
2019-103
真理子の存在が私の心を打つ
タイトルのあるように 兄妹の物語
その兄は右足が不自由で足を引きずり歩いている
妹は自閉症で兄は彼女の面倒を見ながら生活をしている
部屋は散らかり放題で 暮らしもままならない様子だ
そして兄も職を失い 明日の食事もままならない
電気代も払えず 電気も止められ・・・
とこれでもか これでもかと 貧困の様子を見せつけられ
見ていてつらかった
そして 兄は妹に売春をさせ暮らすことになるが・・・
とまあ話は進んでいくのですが
毎日の生活に追われ苦しむ兄 良夫
兄はこれからのことや みじめな暮らしや
妹に売春をされる罪悪感や 会社を首にされた恨みなど
毎日がつらくてたまらない
それに対して妹 真理子は苦しんでる様子はなく
兄との暮らしを楽しんでいるかのようだ
男との関係も「冒険!冒険しよう!」と
はしゃいでいる姿がなぜかかわいかった
真理子は今を生きている
この貧しいどん底の暮らしでも
真理子はたくましく生きている
その彼女の強さ純粋さに心を打たれた
しかし見ていて本当にきつかった
胃まで痛くなってしまった
しかし 観るに値する作品だ
Tシャツ欲しかった
凄い映画だった。インモラルな内容故、決してデートで観に行く内容では無いが、心をえぐられるような内容であった。主演女優は初めてスクリーンで観る方だったが、もの凄い演技。私は仕事柄、ああいう方と接することもあるが、まさに、彼女はそれとしか見えない。社会的な援助を受けるべきという意見も散見するが、それはこの映画においては意味をなさない。実際に制度を知らない方もいれば、制度を受けるにもハードルが高いのが事実(身寄りのない発達障害の方などで、こういう件を経験したことがある)。売店で売っていたTシャツが可愛かった、買っておけば良かった。
胸クソ映画
自閉症の妹を持つ足の悪い兄が、仕事をクビになってお金のために妹に売春させる話。
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ここにサクッと売春させるって書いたけど、この映画ちゃんと見ると、お金が無くてゴミ漁ったりしてほんとにどうしようもなくなって最後の最後に売春っていう手を使ったって感じ。
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妹自分がやってることを理解してるのか分からないけど、結構喜んでやってるし、しょうがないんじゃないかなって思ってしまう。
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悪いとかダメだって言うのは簡単だけど、じゃあ誰がこの人たちを救えるのかって話だし。そういうの言う人は言うだけ言って助けてはくれないしね。
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結構見るに堪えないキツいシーンが多いけど、面白かった。
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唯一笑えたシーンは少年達にお金とられそうになって自分のうんこを少年たちに投げつけるとこ。あの必殺うんこアタックはどんな必殺技よりも強いだろうな(笑).
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昭和の薫り
令和元年最初の映画館での鑑賞。しかし、東映ヤクザ映画風のタイトルといい、思いっきり昭和テイストで、今作られた映画という感じがしない。生活保護の話が出てこないのは引っかかる。警察官の幼なじみもいるのに。役所に行ったけど、働けることを理由に認められなかった(または後回しにされた)のならリアルだけど。
妻に先立たれた爺さんと一人暮らしの「こびと」はリアルだった。「こびと」のアパートの前で幼子のように泣きわめく妹の姿は胸に迫る。
ラストはどういう意味だろうか。妹を買う客からの電話か。妹は身を投げてしまうのか。
主演ふたりは出色
今村昌平的というよりは井筒和幸的な気がした。
主演のふたりはメチャクチャいいキャラクターアプローチ。そしてこの映画にはドンピシャで、アジアのほかの国の映画を観ているようだった。
個人的には脚本での最初の経済的追い込まれ具合がもっとぎゅうぎゅうになってないと、あの行動は理解できないかな〜。セットアップのゆるさが俳優の破壊力でカバーされてる感じがする。ただ、妹役がもっと脳裏にこびりつくような撮り方はあったんではないか、なぜか少し流れていってるような、、というのを何度かイ・チャンドン「オアシス」を思い出しながら見ていた
救いようのない、現実。
観に行こうか行くまいか、重たいテーマだけにためらっていたが、タイミング合って鑑賞。
ちょっとした非現実感を期待して行ったが、よもやこれが世の現実かと思い知らされたような90分。
それほど生々しくリアルな描写に、目をつむりたくなりながらも、気づけば「現実から目を背けてはいけない」という意識で息を止めていた。
女として生まれた幸せと不幸。それは表裏一体らしい。
最後の最後まで救いようのない兄妹がそこにはいて、ハッピーエンドかバッドエンドか想像しえない胸糞悪さが、結局私には心地よく観終えることができた。
2人には、最期は笑っていて欲しい。
限られた人にはしっかりおススメしたい映画。
どうしょうもない、人間だから
嫌悪感すら抱く描写の連続にのめり込んでゆく。人間はここまで堕ち様が人間を続けていく他無いのなら、人の道すら外れる他無し。この瀬戸際を、矛盾を、光を遮断した隔離拘束を、例えば自殺防止を唱える者なら、優に全肯定しなくてはならない。偽善抜きに、それを容易く出来るのか。排除社会の強烈な暗部奇劇である。
全く救いが無い、これはすごいこと
救いの無いまま終わりました。どこかで救いを入れてしまう映画がほとんどなので、すごい監督だと思います。最高評価を付けました。特に和田さんの演技は秀逸です。
ただし、二度と見たくないと思います。
_φ(・_・演技良し!最後の電話は誰から?
いい映画だったかと思います。
自閉の妹を売春させて生活する兄の話。
現実的にいないだろうけど、発達障害でソープランドで働く女性は多いですよね。それ考えるとこんな話もあるんじゃないかと思います。
万引き家族は最後に少女の見たものは何か?を視聴者に問うたかと思います。この映画も同じで最後の電話は誰からか?という事だと思います。地獄に仏はいるのか?吐きだめにツルがいるのか?を問うています。私はあの身障者の男性であってほしいと思います。
頑張っても報われない
目を背けたくなる行為と置かれた状況。スクリーンの中でもがく兄妹に観客たちはどこまで寄り添うことができるのか。兄が「偽善者」と詰る、警官の友人と我々の間にどの程度の違いがあるのだろうか。
この鑑賞の数日前、東京大学の入学式での祝辞が物議をかもした。上野千鶴子氏によるそれは、頑張りたくても頑張れない、頑張っても報われない、そうした人々に対する、余りにも厳格な自己責任追求への戒めを含んでいた。
大人が弱者のモラルや振舞いに対して不寛容、あるいは無関心な社会には、自分よりも弱いものはオモチャくらいにしか考えない「くそ」ガキがはびこる。プールのシークエンスは、まさに、映画でしかなし得ない表現である。
上野氏の祝辞は、そんなくそガキども(またはその予備軍)への親心であろう。
映画が描くのは、弱き者なりの生き抜き方とモラルである。これは、満たされた強き者のそれとは異なる。その異質な部分をことさらにあげつらい、蔑み、排除しようとする圧力の発生源が、自分の中にはないと言い切れる観客が何人いるだろうか。
生活保護や社会福祉、ケースワーカーなどに一切言及することのないこの作品は不自然だろうか。自分が手に負えない人々、自分の手を汚したくはない問題は全て役所に押し付ければ万事解決なのだろうか。
売春防止法の施行前の、遊郭の女たちを描いた溝口健二の「赤線地帯」でも、映画は仕事を失う女たちの悲哀に寄り添っていた。
ここでも、春をひさぐことで、ほんのひと時、社会との繋がりを持つことのできた兄妹が、その唯一の手段を失う。
オープニングのシークエンスに戻ってしまったかのような、ラストのシークエンス。川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号」のようではないか。
川島の作品は、ほんのわずかな希望をほのめかして映画が終わる。こちらの作品はどうであろう。希望と絶望とどちらとも受け取れるラストシーンだったが、私には絶望のように思えた。
冒頭で海に浮かぶ靴が回収される。今度こそは濡れた靴の持ち主がこの妹になるような気がしてならなかった。
往年の東映作品のような題字、音声など、やりたかったことが明確に伝わってきた。片山慎三監督の今後の活躍に期待したい。
重苦しい閉塞感の中でも生きる事を貪り食う作品です。
なんとなく興味があったので鑑賞しましたw
で、感想はと言うと…キツい。
正直キツいです。
最初は「マムシの兄弟」のタイトルからの引用かなと軽く考えてましたが、やられました。
ガツンと食らわされた様な衝撃です。
一言で底辺とかで片付けられないのですが、いろんな倫理観とか価値観とか、人間の在り方や尺度。社会で生きる定義や正義感が揺さぶられると言うか、溶ける感じがします。
陳腐でもハッピーエンドが好きなのに、果てしなく重くて、鑑賞後、希望に溢れる明るい作品が観たくなりました。
他の人も書いてましたが「万引き家族」が物凄くソフトでハートウォーミングに思えますw
また、今から半世紀も前なら、まだあり得た表現であっても、今のご時世でここまでやるか?と言う感じ。
放送禁止用語もきわどい表現もバンバンで人によっては気分が優れなくなる感じになるんではないでしょうか?
ですが、真理子役の和田光沙さんのまさしく身体を張った体当たりの演技をされてます。
和田光沙さん。ちょっと…いや、結構気になると言うか、引っかかる女優さんです。
そう意味では最近では珍しい、昭和テイストのド硬派のインディペンデントな作品ですw
とにかく、この兄妹の生き方が生々しいと言うか、重い。もうやりきれない感じが満載。
足に障害があって、仕事もクビになり、自閉症の妹を抱えての生活にのし掛かる重圧と言うか、閉塞感はハンパでないのは分かりますが、生きる為に自分の妹に売春の手引きをする悪循環。
しょうがないのかなぁと言う気持ちが何処かにあってもどうしょうもない閉塞感や罪悪感が満載。
良夫と真理子に置かれた境遇は与えられた僅かな空間の中での数少ない選択肢しかなかったから、その中で出来る事を選んだ選んだだけなので、当人達にはそれしかななかったし、それを選んで何が悪い?となる訳です。
これは、選択肢が数多くある者には分からない心境ではないでしょうか?
キッツい場面だけでなく、笑える所もあるし、ちょっとずつ生活が出来る様になってからお日様の光や花火なんかに束の間ホッとします。
ラストの終わり方は個人的には少し理解が出来なかったかな。
子供を堕して、仕事にありつけても、また再び繰り返す様にも思えるし、真理子が兄の行動に見限った様にも思えるし、全てを終わりにする様に達観した様にも思える。
いろんな事を考えさせられますが、やっぱり重いなぁw
この作品を観て、いろんな事を考えたりすると思います。
ただ、自分の置かれた境遇や立場に感謝して、反教師的に捉えると言う言葉でなく、誰にでもあり得る事、明日は我が身的に考えた時にどう考え、どう生きるかを強烈に叩き込んでくるかと思います。
正直、あんまりお薦めはしませんし、観る人を選ぶ作品でもあります。
今は再び観たい気持ちにはなりませんがw、なんとなく野村芳太郎監督の「鬼畜」や今村昌平監督の「楢山節考」を思い出しました。
…あっ!どっちも緒形拳さん主演だw
いろんな事を観る側に叩き込んできて、重苦しい閉塞感の中でも生きる事を貪り食う。
鑑賞後も心の中の襞にへばりつく様に印象と感想と余韻が生々しく残る。
そんな稀有な作品でもあります。
なぜ笑えるのか
ある港町で自閉症の妹真理子と暮らしている兄の良夫。
序盤から真理子は外を飛び出し、知らないおっさんに犯されて金銭を入れられる。
一方、良夫は足を悪いことを理由に仕事をクビにされてしまう。
妹真理子はお腹が空きすぎてテッシュを食べちゃう、それに良夫は怒るも、ふと食べてみると「おっイケるじゃん…」
という場面。
文章で表しただけでも壮絶で悲惨な状況下どこか可笑しみを感じさせるのはなぜ?
それは電気も止めれられて食べ物もなく、風呂にも入れず、ホームレスにはゴミ飯を取られるわと良いとこなしの兄妹はそうした絶望的環境にいる中においてそれでも「生」を諦めないからだ。
言いかえれば、がむしゃらに生きる人間てのはある種笑えるのだ
それは嘲笑的な笑いではなく羨望的な笑いに近い。
この「羨望的な笑い」とは、彼らがオーディエンスの私たちよりはるかに「生」に固執的であるので、私たちが彼らより「生」に対する貪欲さが劣ることを認識し彼らを仰ぐに近い笑いが生じることである。
つまりあの兄妹は私たちよりはるかに「生」において優っているのである!
コーラを飲みながらポテチを頬張り、ドラマを観ている私たちより彼らの「生」が曲がりなりにも真っ直ぐであるのがなんとも不思議な光景にも思われる。
非現実的だからこそ…
窓に
目張りをした
檻みたいな家の中で
飼い主みたいだった母親に見捨てられたまま
ひっそりと
時が過ぎゆくままに
やり過ごしていこうとしたけど
だめだった…
社会はそれを
ゆるさなかった…
むしょうに
つながれていたロープを
噛みちぎり
檻の鍵を壊して
外に出たくなる
行くあてなど
どうでもいい…
足を引き摺るたびに
世界はゆれる
役に立たなくなった右足は
足を引っ張っているのか?
止めようとしているのか?
わからない
どっちにしろ
足をすすめるしかないのだけれど
唐突にしかし当然のように
宣告される仕事先の都合
いきなり放し飼いにされる…
餞別は
一万三千円
冒険とは
棒検?
冒建?
棒研?
妹のポケットの中にあった一万円
妹の下着についていた証…
悪あがきしてみても
行き着く先は必然
妹をエサとして
差し出すかわりに
得る一万円…
手渡されたエサ(カップ焼きそば)を前にして
「待て」
とはいかない
空腹に勝てず
中と外で
お互い行為に励むことになる
かったイヌに
手を噛まれて
エサはぶちまけられ
報酬はとり上げられ
同業者に見つかって
ヤキを入れられ
兄は負け犬のように
オドオド…
それでも妹は
普通、避けて通るような
コワイ人たちでも
あっけなくイカせて
圧勝する!
形はどうあれ
二人で初めて得た収入
二万円
どんな形であれ
初めて社会とタイマン
シタ瞬間
檻の目張りは外され
陽光は降りそそぎ
世界に向かって
やみくもに
宣戦布告した朝
お人形さんごっこみたいに
お化粧と着せ替えをして
あぶない橋を渡る
当然
ピンクのチラシで
社会と一戦を交える
妹の正夢…
海中を
生き生きと泳ぎまわる
まるで健常者以上に
自分の中で蠢く
なにか
足りないものを埋めようと
ガラケーはつながる
埋まるわけないと
わかっていても
携帯は鳴り続ける
かえってこの妹だからこそ解放される
自分の中にかくし持っているもの
あっさり
値下げ
やりたい放題のススメ
シミついた負け犬根性
ときに独居老人の
慰みもの
ときにイジメられっこの
筆おろし
ときにマイノリティとの
恋愛ごっこ
なんらかの社会奉仕
人を選ばず
誰とでも同じように
接する
ある意味
無敵
何が幸せで何が不幸なのか?
そんな概念をも
無意味にしてしまう
ハナより
カミばかり食べたがる
今ドキの高校生
カネより糞の
洗礼
火事場のクソぢから
人はそれを
冒険と呼ぶ
それを社会は
犯罪と呼ぶ
それを世間は
背徳と呼ぶ
いずれは来ると
わかっていた
こと
体が
眠りについているときだけは
走ることも
はしゃぐことも
なんの支障もなく
好き勝手に動き回ることができた
兄の悪夢…
肉欲の果てに
商売女だから
ナニをシテもいいと思う
甘えと打算と
無責任…
産むことしかできないのなら…?
産んでも人として育てられないのなら…?
明るい家庭計画のススメ…?
一線をこえてしまった今になって
気まぐれに訪れる社会復帰の誘い
イタズラに
元に戻っても
また
家からいなくなる
繰り返しなのか?
繰り返しじゃないのか?
今は
崖っぷちなのか?
飛び込み台なのか?
端からみたら
どうみてもひどいことをしているとしか
みえないこと…
端からすればやめたほうないいとしか
いえないこと
端からしたら通報することで
救えるんじゃないかと一方的に思うこと
たとえば
前半堕ちるとこまで堕ちた兄妹が
後半
社会福祉かなにか
NPO法人みたいなのが出てきて
二人を保護して
立ち直らせ
社会復帰を促すとか云う映画だったら
不謹慎と云われても
みたくもない…
だけど
もし近所にこの兄妹みたいな人がいたら
たぶん近づけないし
見て見ぬふりをしてしまう
自分がいるに違いない
だからと云って
可哀想とか悲惨だとかとも
思わない
ある部分では自ら覚悟して
それをしていると思うから
その人たちを認めて
蔑んだり憐れんだり
しないことくらいしか
弱い自分にはなんにもできない…
イライラがつのる頭の悪さ
子供が2人とも自閉症の親です。
現実離れしすぎてあきれてしまいました。
妹が育成地を離れていないなら福祉が定期的に現状を確認します。とくに両親がいなくなったのであれば。最初に出てきたように突発的に売春をすることはあっても、生活のためにする状況にはならないはずです。真理子には障害年金が支給されているはずです。
幼少期から妹と一緒なら、パニックを抑えるのにあんなに暴力的にしなくてもできるはずです。映画として福祉を出すと成立しないというのであれば障害を「モチーフ」にしただけの安っぽい不幸物語です。
兄が夢の中で走れる喜びを爆発させる。そんな願望が本当にあるんでしょうか。障害の受容なくして障害は語れないと思っています。「健常」という幻を信じ込んでいる、「障害」がなんであるかなにもわかっていない人の作った映画だとしか思えません。
コンクリートブロックでどこを叩く?腹を叩いてもかかる医療費は変わりません。それとも頭を叩いて殺す?あまりの頭の悪さに嘔気をおぼえました。おまわりさんが言うまでもなく、ひたすら頭が悪い。
くだらないものに時間とお金をつかってしまいました。
自閉症の演技は99点。素晴らしいです。草彅剛さんや中居正広さんもやっていましたが、結構マネしやすいのかもしれません。でも、一瞬きれいな女優さんになっているときがありました。その分だけ-1点。
いじめに参加できなくてまごついている高校生は必要だったのか?
自然光を取り入れて、風水をよくしましょう。
全170件中、101~120件目を表示