「禁忌に挑んだ野心作」岬の兄妹 ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
禁忌に挑んだ野心作
底辺社会に生きる兄妹の悲惨な状況をシリアスに綴った作品。
製作、監督、脚本、編集を務めたのは片山慎三。氏にとっては本作が長編監督デビュー作ということだ。これだけ衝撃的な内容の作品を、しかもほぼワンマン体制で作り上げてしまった所にこの監督の凄みを感じた。
後で調べて分かったが、片山監督はここに至るまでにたくさんの助監督経験を積んできたということだ。「TOKYO!」や「母なる証明」ではポン・ジュノ監督の下で、「マイ・バック・ページ」や「苦役列車」では山下敦弘監督の下で助監督を務めている。これらの監督の名前を見れば分かるが、いわゆるエンタメ路線とは一線を画した、作家性の強い監督の下で経験を積んできたことが分かる。
障碍者を描くということは日本映画ではある種タブー視されているようなところがある。そこに挑んだ片山監督の意気込みを自分は大いに評価したい。中には、未成年者との性交や障碍者同士の性交といった刺激的な描写も登場してくる。障碍者と言えど同じ人間なのだから、彼らにだって普通に性欲はあるし、普通に人を裏切ることだってあるはずである。本来であれば映画の中でそれを描いても間違いではないはずなのだが、どういうわけか表現自粛という謎のフィルターに阻まれて禁忌とされてきた風潮があるように思う。そこに切り込んだ本作は、かなりの野心作と言えるのではないだろうか。
しかも、今作の配給にはイオンエンターテインメントが協力している。これまでであれば、この手のインディペンデント映画は都内のミニシアターでひっそりと上映して終わりであったが、本作は全国のイオン系のシネコンにかかったのだ。シネコンはいわゆるライト層のユーザーが利用する劇場である。そこでこうした映画がかかるというのは、それだけで実は画期的ではないかと思う。
原一男監督の長編デビュー作「さよううならCP」は、今でこそソフト化されVODでも配信されて誰でも観れるようになったが、長年幻の作品としてされてきた。それだけ障碍者を扱った作品というのは日本映画史では隅っこのほうへ追いやられていたのである。
尚、昨今では「37セカンズ」も単館ロードショーから口コミで評判が広まり、徐々に公開規模を増やして最終的にはシネコンでもかかるようになった。今後もこういう傾向が増えて行けばいいなと一映画ファンとして思う。
物語はいたってシンプルである。上映時間も90分足らずとコンパクトにまとめられている。内容がヘビーなだけに、この短さはある種ありがたいとも言える。
そして、そのヘビーさを和らげるためか、片山監督は随所でユーモアを配している。例えば、下ネタも交えて描かれる学校のシーンなどには思わず声を出して笑ってしまった。真理子と独居老人のやり取りにもクスリとさせられた。
映像も、序盤こそ兄妹の極貧生活を反映してか、薄暗いトーンで覆われているが、真理子の売春が徐々に軌道に乗り人並みの暮らしを送れるようになってからは陽光が降り注ぐ明るいトーンに切り替わっていく。やってることはヒドイ話なのだが、画面全体がそれを和らげる効果を生んでいる。
また、ピンクチラシを空にばらまくシーンには、新人離れした洗練された映像センスが感じられた。
余韻を引くラストも良い。監督の問いかけのようなものが感じられ、兄妹のその後の人生が色々と想像された。
確かに演出に粗削りな部分は見られる。例えば、真理子とヤクザの行為を良夫に見せつるシーンで、突然カメラがズーミングをする個所があるのだが、これには違和感を持った。
ただ、そうした拙さを補って余りあるパワフルな演出と作劇は、今の日本映画界にはない勢いと新鮮さに満ち溢れており、片山慎三監督の今後の活躍が頼もしく感じられた。
兄妹を演じたキャストの好演も見逃せない。特に、真理子を演じた和田光沙の体当たりの熱演なくして本作は語れないだろう。障碍者を健常者が演じるというのは大変難しいと思うのだが、それを堂々と演じきって見せたことで作品の説得力を生み出している。