「ママとの関係が終わってしまった夏のこと」メモリーズ・オブ・サマー bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
ママとの関係が終わってしまった夏のこと
1960年代、70年代の田舎町って言う設定の日本映画にしても、ドンピシャ嵌りますわ、これ。既視感、有り有りです。まるで昭和の日本映画。
ピョトレックの母と少女マイカの行動に類似性。二人に対するピョトレックの想いも平行して同時に進みます。二人は少年の心の中で重なって追い越し、離れて戻り。一夏の体験は、ただそれだけの出来事。それでオトナになった訳でもなく、一皮剥けた程度の夏休みの話。
母親が完全に「オンナ」なんですよね。それを見つめながら少女マイカに接する少年の物語は、文学的と言う表現しか思い浮かばない、静かな映画でした。
ポーランド映画祭の5作目。これが一番の期待作だったので、少し肩透かし食らった感じ。悪くないけど、心には長い時間は残らないと思う。
----------------------------------------------
6/15 追記に伴いネタバレに変更。
原題「Wospomnienie lata」をgoogle翻訳してみると「夏を彷彿させる」。「夏の思い出」という邦題は、ほぼその通りの様です。監督のアダム・グジンスキは1970年生まれで当時46歳。
映画は、古典的な要素で溢れています。
ルーティーンを繰り返す中で「状況の変化」や「内面の変化」を映し出す。一番目立ったのが、緑色の湖畔に寝そべる姿を天から写す構図。母子、一人、マイカと二人と情景が変化していく。また、喧噪・会話を聞く人物を撮り続けるという心象表現の手法。音楽と無音楽、動と静、おしゃべりと無口の対比。しかも、一つ一つが丹念だし、陰影を美しく使う撮影とか、かなり好き。なんだけど、今、2019年なんだよねぇ、ってのがある。少しはチャレンジ無いですか?してくれ、頼む、と思っている間に映画は終わってしまった。
「自分のせいでおぼれ死んでしまった」と言う罪悪感から救われるピョトレック。しばし共に遊びますが、その後、彼には気まずい劣等感を抱くことになります。この流れの苦さなんかは、もっと強調して欲しかったかなぁ。
夏休みが終わり最初の登校日。ピョトレックは踏切の中で歩みを止めて立ち止まります。知らずあゆみを続けるママ。警笛が鳴り、下りる遮断機。踏切内に、わが子を取り残した事に気づく母親。
「僕は去ろうとしてるよ。どうするの?これで良いの?ママ」なのか。単に「サヨナラ」なのか。「あなたの醜さに気づいてしまいました」ってのもあるかもしれないし。このシーンに「語らせる」ために、それまでの90分だかがある訳ですが、語り尽くせてない気がしてしまう。
二次性徴期に発する反抗心は、往々にして不合理な行動=自分でも説明のつかない行動を「子供達」に取らせる。遮断機の向こう側から叫ぶ母親。でも決して中に踏み込んで我が子を助けようとはしない。電車が通り過ぎて行った時には、ママとの関係は終わっていた。
やっぱり、父親を「失った事」というか「家族が変になってしまった事」に対する苦さ、その事態を引き起こした母親に対する非難を際立たせるためには、例の少年(名前忘れた)とのエピソードはガッツリ強調して欲しかった、って思いました。
良くも無く、悪くも無く。美しいけどココロを引っ掻くって事はありませんでした。
次は、もっと良い脚本で撮って欲しい監督さんでした。
羨まし過ぎます!
そういうイベントは自分の身近なところにはありません。
私は会員料金での鑑賞でしたがこの作品の為だけに電車に乗り…交通費も加味するとほぼ通常鑑賞料金です。
母親とマイカが被るところはなかなか皮肉でしたね。