「逃避と好奇心と、おぞましい鬼畜の浸潤」ジェニーの記憶 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
逃避と好奇心と、おぞましい鬼畜の浸潤
2019.4.24 字幕 Amazon Prime Video
2018年のアメリカ&ドイツ合作の映画
ドキュメンタリー監督として活躍するジェニファー・フォックスの13歳の頃の性的虐待を回顧するドキュメンタリー風ヒューマンドラマ(日本未公開)
原題は『The Tale』
監督&脚本はジェニファー・フォックス
物語は性的虐待被害者のドキュメンタリー映像の取材をしているジェニファー・フォックス(以下ジェニー、演:ローラ・ダン)が描かれて始まる
取材を終えて留守番電話を確認していると、何度も母ネッティ(エレン・バースティン、過去パート:ローラ・アレン)からの着信とメッセージがあった
それは「あなたが13歳のときに書いた手紙が見つかった。性的虐待を受けていたんじゃないの?」という内容だった
ジェニーには寝耳に水の話で、当時年の離れた男性と恋愛関係にあっただけだと思っていた
だが、母と会話を重ね、13歳の頃の自分の写真を見て、自分の記憶が書き換えられていることに気づく
ジェニーは13歳のときに何があったのかを探るために、当時の旧友や関係者たちと会いに行くことになった
ジェニーは48歳で、40歳の婚約者マーティン(コモン)がいて、調べを進めている内に彼にもバレてしまう
物語はドキュメンタリー風に「自分の記憶を遡る」というもので、ジェニーの覚えているものと実際との乖離がおぞましく描かれていく
判断能力のない13歳の少女に起きたこと
それを少し大人の人との自由恋愛だったと思い込む過程
本人が感じていない「セクハラ・パワハラ」による、ある種のストックホルムシンドロームのカラクリが少しだけ見えてくる作品である
13歳だったはずのジェニー(イザベル・ネリッセ)を15歳時のジェニー(ジェシカ・サラ・ブラウム)と書き換えているシーン
わずか2歳差であるものの、13歳のジェニーは紛れもなく子どもである
彼女は友人たちとともに乗馬教室に通うことになり、そこで乗馬コーチのジェーン(エリザベス・デビッキ、現代パート:フランシス・コロセイ)と出会う
聡明な大人の女性で憧れの対象
そんな彼女が連れて来たのが陸上コーチのビル(ジェイソン・リッター、現代パート:ジョン・ハード)
ジェニーはビルに能力を認められ、そして女性としても見初められた
恋心が芽生えた段階でジェーンとビルの関係性を知る
家庭内に不満を持ち、逃避行動として彼らの元にたどり着いたジェニーは、「特別視されること」を望み、ビルの行為を受け入れていく
これらの記憶の欠落は「自分の人生は自分で決める」と決意した本人の意思に委ねられ、悪いことをしているとは思っていなかったという感覚がそうさせる
罪悪感を正当化するために記憶を捏造し、美しい思い出だけを記憶に残していく
だが彼女のその後の恋愛遍歴が母から指摘され、現在「性的虐待被害者」のドキュメンタリーを撮っているあたり、潜在意識下にはずっと燻っていたものであることは明白である
彼女が撮っているドキュメンタリーの中で女性が語る「繰り返されると快感になる」という言葉がある
幼少期には「忍耐」だったものが、成長とともに「快楽」へとなってしまう人間の性であるが、これを巧みに利用したビルの性癖や思想はおぞましい
ジェーンも家庭に不満を用いて、刺激としてビルと行動をともにするのだが、そこに入ってくる少女もまた違った意味で家庭に不満を持った「精神的に成長した」少女であった
彼らはそう言った「精神的成熟を持ちながら判断力に乏しい」少女を懐柔することで目的を果たそうとする
そして「口の固い秘密主義」に「誰にも言えない体験」を重ねることで、それらをより強固にする
彼女がその罠から逃げだせたのは、客観的に物語として紡いだからであり、ノンフィクションである物語を「フィクション」と限定したからである
ここで描かれた少女の創作は、紛れもなく美化された記憶であり、だがそれを第三者的に見れば「おかしさ」がわかるのである
人は誰しも「ネガティブな環境」に陥りがちであり、深く考えれば考えるほど、人生の先は暗闇でしかない
多兄弟の中で蔑ろにされ、そんな兄弟たちよりは考察が深いジェニーには模範となる大人はそこにおらず、自由もない
理解できない謎ルールとこだわりで行動を限定されても思春期には反発はつきものである
そう言った背景を作り出したのは母であるが、彼女の周囲の変化に疎かったという側面は後悔しか残さない
彼女は違和感を感じながらも、実際には何も行動を起こしていないからである
物語の冒頭の講義にて、「私たちは生きるために自分の物語つくりあげる。あなたの物語は?」と語りかける場面がある
13歳のジェニーは自分だけの特別な物語を描きたかった
だが、そこに訪れた物語は直視に耐えないおぞましさの極地であり、彼女の体が限界を迎えるまで続くのである
いずれにせよ、実話ベースの物語なのでとにかく重い
同性としてビルに嫌悪感を抱き、このような男がいるおかげで被害者が悲しい思いを封印するというのは耐え難きことである
現在の日本ではこの手の犯罪に対して寛容とも取れる判決が多いが、正直なところ「性犯罪者はすべて去勢すべき」であると考えている
特に未成年者への犯罪は「有無」の余地を挟む必要がないとさえ思う
被害者の告発をセカンドレイプすることに躍起なマスコミ諸君や醜聞に群がり幸福感を覚える国では難しいかもしれないが、こう言った告発こそが守られるべき権利であろう
日本公開されるとは思えないが、機会があれば鑑賞してほしい作品である