Girl ガールのレビュー・感想・評価
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ストーリーが無くちょっと退屈ぎみ
彼女?の苦難の日々をドキュメント調で描き話が進まず退屈 主演の人は男?この容姿なら十分女で通用するから体までいじる必要は無いと思うが?
トウシューズの痛み
今までバレエの映画は数多く見てきたが、何度見ても爪からの出血は見るに耐えない痛みを感じます。
主人公も同じように痛みを感じてます。って感じないといけないのかな?
ラストが納得いかなくて、消化不良です。
主人公はバレエを続けて行くでもなく、自分を認めるでもなく、ただ手術がしたかっただけなように思う。
本人には何よりも大事なことだろうけど、違うよ、順番があるんだよって終わって欲しかった。
凄い
映画を見てこれだけ長いと感じたことはない。最後辺りでは4時間位映画見てるような、永遠に続くのじゃないかという閉塞感に襲われた。これこそ彼女やLGBTの方の感じている世界観なのかも。
資本主義やら民主主義という頭の中での思想の違いどころじゃない、肉体そのさらに上の性の違和感。その苦しさの追体験は苦しい。
凄まじく凄いと思ったが、ごめん俺をハッピーエンドで救ってくれ。
生涯で最高傑作です!
各賞を総なめしたこの映画
バレリーナを目指すトランスジェンダーMtfの話です
実話ではありませんが、実際にあったダンサーにヒントを得た
とのことですから、世界は広し、やはりという思いで鑑賞しました
ネタばれになるので詳しくは書けませんが
とにかく圧倒されました
緻密で繊細で大胆で衝撃的
その機微にはいちいちがてんがいき
監督の思いと俳優さんたちの演技に感動しました
おそらく、論を何十回と学んでも、この映画にはたちゆかないと思います
機会があればぜひご覧ください
ベルギーの映画ですが、とても秀逸です
最近はインドの映画もがんばっていますね
未発達の女の子
静かに悲しく怒りを表現する演技に感服。
理想とする自分に近づくために努力を惜しまないララだが、一方で他者から見た自分に怯える。
自分が苦悩していることを易々と超えていく女の子。
憧れても超えられない一線がララを追い詰めていく。
観ているこっちがララの横に座って、ホットココアでも飲みながら背中をさすってあげたくなるような映画でした。
良い映画でした
LGBT関連のお話と聞いて、社会との断絶とか周囲の無理解とかそんなのをイメージしていましたが、本作はどちらかというと本人の内面での葛藤・苦悩にフォーカス。ララの生きている苦悩に、どんどん引き込まれました。なにか生きづらさを抱えて日々を過ごしている方には、どこかしら共感できるのではないかと思います。
思春期の女の子が孤独に葛藤する姿が辛く苦しい
スクリーンには、バレリーナを夢見る努力家の女の子が映っていました。男の子はいませんでした。そのくらい女の子であることに違和感が無いのに、身体はどんどん違和感を与えていってしまう。心と身体がついていかない思春期のララが静かに葛藤し、一人で抱え込み、悩み、辛い行動をとってしまう姿が見ていて苦しかった。ラストは本当に衝撃的でした…。
ララは比較的周囲に理解者も多く家族も味方。それでも彼女は孤独で、1秒でも早く女の子になりたくて、それしか考えられない。もっと心を開ければ良かったのになぁ…。
そしてビクトール・ポルスターの演技、素晴らしかったです。
なりたい自分との葛藤
主演の俳優がとにかく美しくて目が離せなかった。
特別に美意識の高いバレエの世界で「なりたい自分」に精一杯挑戦している主人公が、どんどん追い詰められていく。痛々しいのだけど10代の主人公は眩しく輝いていて、周りの大人たちは応援している。周りの大人はもう十分すぎる努力だと認めていても、それが見えないぐらい夢中になれるのも10代だからなのですね。痛みと美しさが際立つ青春映画。
ひとつだけ引っかかったこと
主人公の置かれている環境が100%アウェイかというとそうではなく、家族をはじめ学校関係においても結構周囲は理解者が多いにもかかわらず、それでも主人公は生きづらさを感じなければいけない部分が見ていてつらかった。
ていうか、思春期って残酷過ぎます。
それはさておき、映画そのものとはあまり関係ないことですが、ひとつ引っかかったことが、、、
というのは、主人公の父親。
というか、父親の職業。
タクシーの運転手という設定なんだけど、そこそこ部屋数のあるアパートの最上階に住んでるし、子供を国内有数のバレー学校に通わせてるし、学校以外にもバレーの個人レッスンも受けさせてるし、かといって寝ずに働いているわけではなく、子供の通院にはしょっちゅう付き添ってるし、恋人との時間もつくったりしている。
子供の手術費も結構なものだろうに、余裕はないかもしれないけど、かといってキュウキュウしている感じは全くない。
タクシーの運転手ってそんなに高収入なの?
というのが、気になって仕方がなかった。
作品には直接関係ないけどね。
苦しい
さすがダンサーだけあって、踊りのシーンは綺麗だし女性のようなスタイルなので違和感なく観れたのですが、ところどころのシーンが痛そうで痛そうで…。目を覆ってしまうシーンがかなりありました。
あと…女性って怖いな、つくづくと思いました。
焦るなって!!落ち着けって!!
近年観た中でトップクラスのキツさ!!
「キツイ」って言っても、「ダメ!」とか「キライ!」とか「残酷!」という意味でのキツさではもちろんないの。言うたら「痛い」。とにかく心が痛いし、心以外も痛い。
「痛い」と言えば、今回はっきりと認識したんだけど、僕はバレエの映画がニガテだということがわかった。爪先でビョンビョン跳ぶの、足グネりそうで怖くて見てられないし、「足の指付近をケガする場面」なんか、僕にとっては手や顔をケガする場面より5割増しで痛い。なぜかはよくわからないけど。
「心が痛い」という面では、この作品がLGBTQを扱った映画なので、「偏見とか差別とかに心を痛ませながらも、最後は自分なりの生き方に折り合いをつける姿に感動する」みたいな展開を勝手に予想していたんだけど、むしろそれとは逆なのがスゴい。
家族も、学校も、カウンセラも、性転換手術を前提にホルモン治療とかを担当する医師も、みんなそれぞれに主人公のトランスジェンダーを受け入れて応援してるのがスゴいんだ。だから主人公がトランスジェンダーであることの苦悩や葛藤が、全部主人公自身の内面に向かってしまう。これがキツイ。
これで主人公がクサったりヤケになったりしていけば、観客にとっては逆に救い(?)になるような気もするんだけど、この主人公はまぁ、頑張っちゃう。弟の善き姉として、バレエを目指す若者として、バレエを目指す仲間たちの友達として、そして恋をする女の子として、とにかく無理しちゃう。
それをカメラは淡々と映す。時に見せすぎなほど、淡々と映す。それはそれはツライ。主人公も周りの人たちも、誰も悪くない。観客は傍観者として「こうしたらええやん。」という道筋が見出だせない。
だから僕は、主人公が冷凍庫から氷を取り出したとき、その後主人公が何をするか、スッとわかった。それはたぶん僕が勘がよかったとかいうことではなく、それまで観客の心の中に「どうしようもなさ」の伏線をしっかり積み重ねていたからなんだと思う。スゴい。
「焦るなって!!落ち着けって!!」って思考は歳を重ねたからできることで、主人公は若すぎるから、どうしたって届かない。それもわかるからツラかった。
そんな作品の、作劇や演出もさることながら、主人公を演じたビクトール・ポルスターの演技というか、作り込みというかもむちゃくちゃスゴい。
決してふざけて言うわけではなく、ちんこが付いてる少女にしか見えない。
「俳優が少女になりたい少年を上手に演じている」ってレベルじゃなくて、本当に「ちんこが付いて生まれてきちゃった女の子」にしか見えないの。このことが、この作品の強烈な説得力になってると思う。
そんなこんなで、LGBTQを扱った映画の中でも群を抜いて深いところを描き出している作品だと思うし、思春期の焦りやどうしようもなさを感じさせる傑作だと思う。
同じ年頃の娘を持つ父親である僕にはキツすぎて、好きになれないのが申し訳ないけど、素晴らしい映画だと思う。オススメしたい。
太陽光
ララのカウンセリングルーム
ララだけしか画角の中にはいない
太陽光によって明るさが変化する室内は、これだけでこの作品が他と差があることを確信した
ララの顔の変化は静かだが確かだった
結末はあまりにも切なくて美してくて、そして純粋だった
総合的に見て今年暫定1位の作品
大切な人と見て頂きたい
自由な未来が待っている
LGBTは思春期の少年少女にとってはさぞかし辛いだろうとは想像できる。そうでなくても容姿について悩む年頃だ。おまけに同年代の子供たちは他人の容姿を悪く言うことにかけては容赦がない。逆に言えば、思春期とは同世代同士の自尊心の傷つけ合いの時期であり、同時に友人を取捨選択する時期でもある。何を重視して何を軽視するか、価値観を形成していく機会なのだ。そのときに大事なことは、周囲の価値観に流されないことである。そのためには友達付き合いそのものには重点を置かないようにすることだ。つまり「空気を読まない」ことが重要なのである。
日本は聖徳太子以来「和をもって尊しとなす」お国柄だから、和を乱す人間が嫌われる。しかし考えてみれば聖徳太子は大変な権力者である。当然ながら彼の言う「和」は権力者にとって都合のいい「和」に違いない。そんな「和」に従えば、個人の人権が蹂躙される一方である。人格が確立されている欧米の先進国では「空気を読む」ことは主体性の欠如とみなされる。
友達を大切にすることと、友達付き合いを大切にすることはまったく別のことだ。関係性の維持のために自分の人格を投げ出すことは、自ら進んでいじめの被害者になるようなものである。白を黒と言わなければ仲間はずれにすると脅されるようなことは子供たちの間ではおそらく日常茶飯事だ。そういうときは喜んで仲間はずれになるのがよい。そして勇気を出して言い放つのだ「お前らは人間のクズだ」と。
同調圧力の強い日本の社会では、忽ち孤立するだろう。しかし孤立を恐れるあまり安易に妥協してクズの仲間になるほうがよほど不幸である。小学校から高校までの友達で大人になっても付き合いのある人間は殆どいない。友人などいなくても大丈夫なのだ。友人との付き合いはただ戯れあって時間を無駄にしているに過ぎない。ひとりで本を読んだり考えたり勉強したりする時間のほうがよほど重要である。
さて本作品の主人公は15歳にしてはとても主体性のある生き方をしている。そのように育てられたのだろう。父親は相当な人格者である。息子が生れたときからその人格を認め、トランスジェンダーであることを受け入れ、望みを叶えてあげようとする。これほどの父親は滅多にいないと思う。主人公ララは幸運である。しかしトランスジェンダーであるために生じる社会との軋轢は、その幸運を上回っているようだ。
バレリーナになりたい夢は、現実のレッスンの過酷さにも屈しない強さだが、如何せん身体がついていかない。性転換は非常にゆっくりと慎重にしなければならないが、バレエのスキルは急速な成長を求められる。希望はしばしば絶望に変わり、ララを追い込んでいく。ドラスティックな行動にでてしまうのもやむを得なかったのかもしれない。
もし日本が舞台だったら陰湿ないじめのシーンが連発されていただろう。しかしそのようなシーンはほとんどなく、他人の悪口は登場人物の台詞になかった。医師も教師も前向きな発言が殆どで、ララを勇気づけようとする。社会としてのレベル自体が日本よりも数段上なのだ。周囲に阿ることのない主体的な子供が育つ土壌がある。ララ自身も決して他人の悪口を言わなかった。翻れば日本のLGBTの子どもたちは本当に辛い思いをしているに違いない。国会議員からしてLGBTを生産性がないと否定する人間がいるし、一部の連中はその発言を支持する。
髪を切って街を闊歩するシーンは、個としての主体性が確立された自由を感じさせる。日本語で吹っ切れたという言い方をするが、いろいろなことから解放された精神が世界を力強く肯定するような、そんなシーンに見えた。
観ていて苦しい場面が多い作品だが、舞台となった社会は閉塞的ではなく、多様性を受け入れる懐の広さがある。そこが未だに封建主義的な考え方が幅を利かしている日本とは大きく異なるところだ。主人公には自由な未来が待っていると思う。
バレエを期待して・・・はハズレかも。
男性がバレリーナ、それも女性として生きていきたい
とても難しそうで今ならありなのかなと思わせるストーリー。実際男性だけのバレエ団ありますし。ですが、この主人公は普通のバレエ団でプリマとしての活躍を望んでいる。センスはあるのだけど、経験が少ないが故に皆がトゥシューズ履いてるのに自分はバレエシューズ・・・。
実際ララを演じた方は男性ダンサーとして実経験があるそうですが、男性がトゥシューズは難しいと聞きます。だからなのか胸から上の場面ばかりでちょっと物足りない。
ララの生き方は応援出来るけど、家族を犠牲に(弟はこのせいで転校させられてなじめない)した上での我儘さは寛容できないなーと思いました。バレエ好きで見るには足りない。
通過儀礼
それは通過儀礼の儀式。
客観的に見て根本的な解決にはならないことも、ララにとっては必要不可欠で緊急性の強いもの。
朝起きて、ミロを学校に送って、地下鉄に乗って、バレエの練習をして、居残り練習もして、医者に行って、寝て。
ルーティン的に繰り返す彼女の日々を覗いているような気分になる映画。
手持ちのカメラは常に彼女を追っていて、ドキュメンタリーみたいだなとも思った。
くちびるをキュッと締めて口角を上げることの多いララ。
果たして本当に笑っていたのは、あの内のどれくらいだろう。だいぶ少ないと思う。
容易に想像できる辛い場面でも彼女は微笑むことが多くて、それが少し痛々しく、彼女からしたらウザいであろう心配の言葉をついかけたくなってしまう。
でも、「ミロのお姉さん?」と聞かれた時の笑顔の可愛らしさと言ったら。
何気ない言葉が一番の喜び。
零れる彼女の感情に嬉しくなった。
しんどいシーンも多かったけど、陽の面も細かく拾ってくれるところが好き。
言葉も表情も少なく激情を吐露することもなく「大丈夫」と繰り返してきたララの、「大丈夫じゃないから」の言葉に胸が引き締められた。
まだ16歳、ナイーヴな心の内を父親にそのまま伝えられるわけもなく。
イライラしながらも少しでも彼女に寄り添おうとする父の気持ちもわかっているんだろうけど。
そして彼女が起こしたアクション。
「追い詰められた」と言うとちょっとしっくり来ない気もする。とはいえなんと表現するのが適切なのかわからないが。
身体が一番重要なのではないし焦る必要はない、と医者たちは言っていた。私もそう思う。
でもララにはそこが最重要で、どんな悩みもまずそこで解消するものだった。
すごくすごく怖かったけど、最後の表情に少しホッとした。
正しいとか正しくないとかではなく、彼女にはこれが正解だったんだなと。
開けておいた玄関の意味。用意周到。
バレエ学校の女子生徒たちの身体とララの身体を比べるように映すカメラが憎たらしい。
きっとそれはララの目線だったんだろうな。
レオタードや水着になると強調される、生まれ持った肉体の差。
苦肉の策のテーピングは見ているだけで苦しい。
お手洗いに行けないから、激しいレッスンを全て終えた後じゃないと水も飲めない。
文字通り血の滲むレッスンの日々。
バレエシーンが妙に緊張感に溢れていて、なんだかちょっと怖かった。
足指のダメージの大きさは心にも負担が大きくのしかかるのが身て取れて、いいから早く休んでくれ~と思ってしまう。
さりげなく気遣ってくれる男子生徒が好き。
肉体と精神の性別が一致していても、たぶんどんな人にもコンプレックスはある。
それとこれを単純に一緒にする気はないけれど、心身の性の不一致の苦しみを心の底から理解できないとき、巨大なコンプレックスに近いのかなと思った。
身体の一部ではなく、身体全体が忌々しいものに感じてしまう、その感覚は相当なストレスだと思う。
この映画を通してそのストレスを自分に叩き込まれた気がする。鑑賞後、結構沈んだ気持ちになった。
ただ、ララの周りの人たちについてももう少し振って欲しい気も。
父親のプライベートとか、ミロの感情の行方とか。途中でミロが全然映らなくなって、何かあったのかとハラハラしてしまった。
ビクトール・ポルスターの演技が素晴らしい。
名門バレーカンパニーに 所属しながら、ホルモン治療を受ける、主人公の精神力の強さに感動しました。
ラストの表情が彼女にとって、幸せな表情である事を望まずにはならないいられない。
想像以上に中途半端な
悪い映画じゃないと思う。けれど、主演が魅力的でなかったら到底90分もたない内容かもしれない。
ちなみに、ワタシはバレエ見たさに映画館に行ったけど、その欲求が満たされることはありませんでした。
役者さんは素人だけどダンサーとのふれこみ、なのに頑なに引きの画面が出てこない。下半身を映したくない理由が謎。 ポワント履いてないとかかな?
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