「人間そのものを肯定する力強い世界観」家族にサルーテ!イスキア島は大騒動 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
人間そのものを肯定する力強い世界観
配偶者の浮気に対する登場人物たちの反応は、フランス映画とイタリア映画では随分異なるようだ。少なくともこれまでに観た映画ではそうだった。
フランス映画では夫に浮気された妻や妻に浮気された夫が激高するシーンを見たことがない。百年の恋も冷めるときは冷める。夫も妻もお互い様なのだ。価値観は相対的で、他人が自分と違う価値観を持つことを当然のこととして認めている。金持ちであることや若いことが必ずしも自慢できることではない。若い人は歳を取るし、金持ちは没落する。
イタリア映画はというと、所有欲、独占欲、名誉欲、それに性欲と食欲と虚栄心など、あらゆる欲望が満開状態で物語が進む。当然ながら自分の浮気は許せても配偶者の浮気は許せない。だから浮気の発覚は修羅場になる。
本作品はイスキア島の教会に家族が集まってくるシーンからはじまる。イタリア人は無宗教のフランス人と違って敬虔なカトリック信徒が多いのだ。カトリックは不倫も離婚も認めない。それがイタリアのパラダイムとなっている。
一方で人間も種の保存の本能の例外ではない。男はより多く種付けをしたがるし、女は生存能力の高い優秀な遺伝子を望む。カトリックの教義とは正反対である。
フランスではアルベール・カミュの「L'Etranger」(邦題「異邦人」)という小説で、家族愛の崩壊が予言されたが、イタリアはアメリカと同じく依然として家族愛の国である。
登場人物たちはカトリックの教義と家族愛のパラダイムに縛られ、その裏側では種の保存の本能にも従うというジレンマから一歩も抜け出せないまま、ドタバタ喜劇を繰り広げる。役者陣は皆大熱演で、映画の世界にスッと入り込める。
パオロとイザベラの睦事の描写が素晴らしい。時を経て再会した従兄妹同士が一日で急接近する。まるで思春期の男女のように相手を見つめ、互いの吐息を吸い込む。物語の舞台である風光明媚なイスキア島の映像はとても美しく、料理はどれもこれも美味しそうなものばかりだ。なんだかんだ言っても、イタリア人は人生を楽しむ天才なのだ。
金婚式の主役であるはずの家の主人が最後に言い放つ言葉は強烈で、全員が冷水を浴びたようになる。イタリア人は必ずしも全員が家族主義ではないということだ。登場人物の価値観と立ち位置の違いによってそれぞれの関係性に位置エネルギーが生じていて、それが物語を推し進めるダイナミズムとなっている。カトリック教徒である手前、家族愛を取り繕うがすぐに綻びが出てしまう。なかなかに一筋縄ではいかない作品で、その人間喜劇を傍から眺めている分には笑えるが、当事者には間違ってもなりたくない。
嵐のような家族たちが去ったイスキア島は漸く静かさを取り戻すが、一抹の淋しさがある。夫婦水入らずもいいが、ときどきは家族の喧騒も楽しい。集まれば泥臭いドラマになるとしてもだ。「家族はみんな絶好調」とでも訳すべき本作品のタイトルが、清濁合わせて人間そのものを肯定する力強い世界観を示している。ある意味大したものである。
「孫来るも良し、孫帰るも良し」ですねー
イタリアの家族物も世情を反映して苦味が加わってきました。
〉カミュ
僕は「たかが世界の終わり」(レビューあり)の跡形もなく崩壊しようとする家族主義の姿に、震撼しました。