「静かなる闘い」僕たちは希望という名の列車に乗った 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
静かなる闘い
1956年、ベルリンの壁建設5年前…。
東ドイツの学生が西ドイツの映画館で、ソ連軍の軍事介入でハンガリーの民衆が蜂起を起こし、多数の犠牲者が出たニュースを知り、心を痛める。
級友に呼び掛け、授業中にハンガリー民衆へ2分間の黙祷を捧げる。
が、その行いがソ連影響下の東ドイツでは国家への反逆行為と見なされ、生徒たちは教師や当局に徹底的に問い詰められる。
生徒たちは密告すべきか、沈黙を貫く=友情を取るべきか、究極の決断を迫られる…。
当時の東西ドイツの政治背景絡み、日本人には…。
あるひょんなきっかけが無かったら、スルーしていたかもしれない。
ちょうど公開時だったか、「アンビリバボー」でこの事を取り上げ、非常に感動し、映画も是非見たいと思った。
ひょんなきっかけでこの映画に出会えた事を感謝したい。
彼らはごく普通の若者だ。何の自由も無ければ、これっぽっちの力も権限も無い。
黙祷は心からハンガリー民衆を悼むと共に、国へのほんの些細な反発行為。
国に反発する事はそんなに悪い事なのか…?
平和な国で治安を乱すような犯罪行為ならば問題だ。
が、権力で抑え込む体制国家で信念を持って対する事は悪い事なのか…?
悪い事だったのだ。当時の東ドイツに於いては。
こういう場合、家族が味方になってくれるものだ。
が、労働者階級の家族が多く、体制側に屈する家族がほとんど。
特に質が悪いのは、教師や当局側。
校長や教師たちの執拗な問い詰め。
あの当局大臣なんて、言葉を汚くして言うのならば、クソ!
無力な若者たちの前に大臣自ら現れるという事自体威圧的であるが、その権力を振りかざし、女生徒には今なら即刻辞任&大炎上&大問題間違いナシのセクハラ紛いの圧力。
さらには、一週間以内に首謀者を差し出す事、さもなければ特待クラスのお前たちの進学(=将来)を剥奪する。
これが、権力にへりくだった大人のする事か。
大人は権力を固持し、それを武器とし、無力な若者たちを苦しめる。
いや、それどころか、お前たちは大人の言う事を聞き、お前たちの行為など取るに足らない、愚かで下らないもの。
お前たち若者は、ただ従ってればいいんだ。
今から60年前の出来事。
当時の大人たちはもうほとんど健在してないかもしれないが、この大人たちを問い詰めたいものだ。
アンタたちの行いは、今も誇らしく語れるものか、と。
そういう時代だった、と、はぐらかすな!
恥を知れ!
決断を迫られた若者たちはどんなに苦悩した事だろう。
自分の人生や将来は大事だ。
が、密告し裏切り、自分だけ将来が約束され優遇されれば、一生後味悪く引け目を抱いたまま。
この若者たちの行為を、愚かで自業自得と言う人も居るだろう。
若さ故の軽はずみな、自分たちで蒔いた種。
が、それは決して間違っていなかった!…と、声を高らかに言いたい。
結末は知っていたが、
今、多くの人々を感動させ、映画として語り継がれる。
若者たちの永遠の友情。不屈の静かなる闘い。
この頃きっとこの生徒たち世代だったという両親を持つドイツ人学生と話をした事があります。昔で言う東ドイツ側だそうです。両親は 自分の息子が日本に行く事になったのをすごく感慨深く思っていたようで、平和である事の意味を実感していると言っていたそうです。日本語ももちろん英語も話せる学生さんで、東大の留学生でした。
この映画ははるか昔に見た記憶があるのですが、全体的に暗く厳しい雰囲気で、今 こう言う時代に知識欲として見る方がずっと興味深いだろうなあと思います