「「言い逃れをする人は嫌いなの」」僕たちは希望という名の列車に乗った いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「言い逃れをする人は嫌いなの」
この内容のどこまでが史実に則っているのかは分らない。監督の発言でも、事実とサスペンス要素とのバランスに気を遣ったということなので、あくまでもエンタメとしての出来を重視した結果だと思うし、それがかなり高レベルで実現されている作りだと感じる。きちんと伏線は回収されているし、なによりも若い俳優達の力量の高さを窺える。但し、独語が分らない(※第二外国語専攻は独語なのに…苦笑)ので、どこまで台詞回しが出来ているのか、棒読みなのかは不明。
悪ふざけが社会主義国内での厳格さ故、融通が利かない、否、それを利用して成り上がろうとする大人に利用される子供達の波瀾万丈話という筋書きである。イデオロギーなんてものは、結局人それぞれの資質の問題に集約していくのであって、本来ならば人間は原始的なアナーキズムが一番ストレスフルなのは明白だ。それを示唆する台詞がラスト前の「自分で決めろ」という台詞である。そういう意味では、登場人物のアナーキストの大叔父の立ち位置が目指すべき、在るべき姿なのかもしれない。まぁ、あんな風に自由に生きられるのも、結局“地獄の沙汰も金次第”ってことなんだろうか(苦笑
ストーリーに戻すが、登場人物達のそれぞれがしっかりとバックボーンを帯びていて、それが原因と結果を表現しているし、物語の関連性をまるでパズルのピースのように繫ぎ合せている緻密さに感心する。脚色が非常に高度なのが誰が観ても明らかだ。表題を例に出しても、男を裏切った女はそれなりにその理由が納得出来る作りなのだ。それぞれにそれぞれの意志とそこに至るまでの原因が納得出来るから、しっかり考えさせられる。まるでモグラ叩きみたいにそれぞれの正義を理解できてしまい、一体この騒動の元凶がなんなのかが揺らいでしまう、そんな良く練られた演出に驚愕である。特に、告げ口をする教師と郡学務女性局員の二人の立ち回りは、“シュタージ”を彷彿させる、いやもしかしたらそのものなのかもしれない怖さを充分知らしめてくれた。保身のため、出世のためならば、周りを奈落に貶めても遂行する、人間の弱さを突きつけられた激辛の作品である。主人公の父親である市会議員が、心替えして、最後に息子を助ける件は、もう少し丁寧に表現して欲しかったと、少しばかりの残念な部分を付け足しておく。