「われわれも「希望」という名の列車に乗りたい」僕たちは希望という名の列車に乗った りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
われわれも「希望」という名の列車に乗りたい
東西冷戦下の1956年の東ドイツ。
ソ連の影響下にあった東ドイツであったが、ベルリンの壁はまだ建設されておらず、西ベルリンにも市電で行くことが可能だった。
そんななか、東ドイツのエリート高校に通うテオ(レオナルド・シャイヒャー)とクルト(トム・グラメンツ)は西ベルリンの映画館でハンガリー民衆蜂起のニュース映像を観、市民たちに多数の犠牲者が出たことに衝撃を受ける。
翌日、犠牲者たちへの哀悼の意を込めて、授業開始の前にクラス全員で2分間の黙とうをささげたところ、この行為が国家に対する反逆だと目されてしまう・・・
といったところから始まる物語で、『沈黙する教室』(映画の原題「DAS SCHWEIGENDE KLASSENZIMMER」に同じ)という自伝・実記の映画化。
映画の中心となる少年たちは主に4人。
ひとり目の、黙とうを言い出す少年は、市議会議長の息子で、いわばエリートの中でもエリート。
ふたり目、彼の友人の少年の父は労働者階級で、一族で初めて大学に進学する者が出るのではないかと期待を寄せている。
三人目は、労働者階級の少年の彼女。男性ふたりの間で、心を揺らしていく。
四人目、先の三人と距離を置いている少年。彼の父親は社会主義に順じて戦死したことを誇りにしており、彼も社会主義に殉じるのが当然と信奉している。
人物配置のバランスがよく、特に、徐々に映画中心が、言いだしっぺのリーダー的少年ではなく、彼の友人に移っていくあたり、映画話術として抜群に上手く、映画に深みを与えている。
また、四人目の少年も、ただ単に社会主義信奉という役割だけでなく、センシティブなストーリーもあり、胸狂おしくなります。
黙とうという些細な行為が、徐々に国家への反逆と捉えられ、事態が扇情的になっていくあたりは、社会主義国家のコワサであるが、社会主義国家特有のものでもないので、日本タイトルの「希望という名の列車」というのは安直な感じがしました。
ですが、われわれも「希望」という名の列車に乗りたい、とも思いました。