「東西冷戦下の『いまを生きる』」僕たちは希望という名の列車に乗った 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
東西冷戦下の『いまを生きる』
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日本人でも、最後の晩餐やユダの裏切りについては、宗教的解釈や文学的解釈の専門的理解はさておき、多くの人がそれなりに知っていると思います。少なくともレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を通じて、遠近法とかの言葉と一緒にイエスに向かって左側にいる黒髪黒髭ののけぞっている男について見聞きしたことのある人は一定数いるはずです。
なので、欧米社会に育ち、一定頻度で教会に足を運んだことのある人たちにとっては殆ど一般教養として刷り込まれており『裏切り』という行為をいつかどこかで、他の誰でもない自分がしでかしてしまうのではないか?自分がユダになってしまうのではないか?という恐怖心を、程度の差はあるにしても潜在的に抱えているのではないでしょうか。
裏切る対象は状況によって、国家、帰属する集団、家族、友達、場合によっては信念や理想のように抽象的なものまで様々であるが、それらが複数重なった状況の18歳にとってどれほどの苦悩か想像もつかない。しかも絶対的強権を保持する側の狡猾さは亡くなった親の行状まで持ち出して、裏切り者の血は争えないな、という催眠術的な脅しまで使ってくる。
権力側がどれだけ人権を踏みにじるか、どこまで冷酷になれるか、弱者の側の人間が高潔に振る舞おうとする時、どれほどの覚悟と犠牲が伴うか。
よくあるテーマかもしれませんが、実話ベースであることと若い役者さん達の迫真の表現で、私にとっては今年有数のとても満足度の高い作品でした。
※ロビン・ウィリアムスの『いまを生きる』を彷彿とさせるシーンがあり、思わず泣いてしまいました。
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