「九蓮宝燈は狙ってはいけない」麻雀放浪記2020 keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
九蓮宝燈は狙ってはいけない
まだ焼け跡も生々しい戦後直ぐの、破壊され荒廃した瓦礫の残る東京に、荒んで強欲に塗れた悉く狡猾な人心と博奕・麻雀の世界。罠、駆け引き、恫喝、そして裏切りと陰謀が渦巻く無頼の世界に生きる男たちと彼らに群がる女たち、己の運と才覚と天命に身を託して刹那刹那の勝負に生を委ねる、殺伐として乾ききった世界を見事に描出した名作のオリジナル『麻雀放浪記』(1984年)から主人公・坊や哲が2020年にタイムスリップした世界を描いたのが本作です。
博奕と人生の関わりには二通りあります。一つは、人生は博奕だという捉え方。もう一つは博奕こそ人生だという生き方。
しかし仮令75年を経てITとAIによる管理化社会の時代となっても、坊や哲は、己を愛する人のためではなく、後者の修羅の道を歩み尽くす。それは博奕に勝つことで一攫千金を狙うためではなく、勝負の瞬間にアドレナリンが大量に分泌され気分が異常に昂揚し悦楽の極致に達する陶酔感と恍惚状態が、彼を意味もなく勝負に駆り立てている。徹底した無頼の生き方である。献身的に尽くす売れない地下アイドルのドテ子の愛にも一顧だにしない。その徹底した信条は、今や遠くなりつつある昭和の男の風情です。
現代人が潜在的に抱く得も知れぬ不安感と、その反動としての虚栄的な狂騒を希求する性向。その人間の欲望と狂気を描いて鋭い切れ味を見せる白石和彌監督らしい演出が冴えわたる本作。やや鼻につくあざとい演出(特に竹中直人のシーン)も散見されましたが、人間の果てしない欲望と打算の坩堝が鮮やかに、且つ露骨に、全編iPhoneで撮影されたザラついてメタリックな映像で再現されていました。
ギャンブラーの一見華やかで、実は非情で傲慢で冷徹な世界。久々に故スティーヴ・マックィーン主演の名作『シンシナティ・キッド』(1965年)を観てみたくなりました。
そして私がこの映画から得た唯一の教訓は、九蓮宝燈は決して狙ってはいけないということです。